これを見たとき、「商売上手、ならぬ、お布施上手」と思ってしまいました。
川越の氷川神社にあるおみくじです。小さな釣り糸が置いてあって、御神籤を釣り上げます。
結果は大吉でテンションが上がりつつも、いや、こういう所のって大抵大吉多目に入ってるし、みんな大吉なんじゃない?
と冷静に考察していたら、周囲のお姉さん達がみなさん、末吉と凶だったので、全部大吉なわけではなさそうです。
ここ数年、というか、今の夫に出会ったくらいから神社や寺でお願い事をしなくなりました。
それまでは
いい出会いがありますように
とか
いっぱい稼げますように
とか
超煩悩だらけなことを想い、願いまくっていたのですが、最近は特別お願いしたいことが思いつかなくなりました。
何でしょう。それくらいなら自分で頑張ってやろうかな、と思えるようになったのか。
はたまた欲が浅くなったのか。
色々考えたのですが、私は結婚したことによって、自分自身の様々な欲が満たされた、と考えることにしました。
というのも、私が結婚前まで一番多かった願い事は、
いい人と出会えますように
という願い。
自分が考えていることを共有したり、
無条件に承認欲求が満たされたり、
美味しいご飯を一緒に食べる人がいたり、
海外ニュースを見て世界の問題について意見を交わしあったり、
超田舎で家族以外に会話をする人が手軽にいない状況だったせいか、人に飢えていた部分があったのでしょう。
そこが満たされた途端、特別に神様に願いたいことも無くなりました。
だからといって夫に依存しているわけでもなく、一度満たされたことによって一人の時間もかなり有意義に使えるようになった気もします。
同時に、恵まれている人ほど、満たされる条件が高そうで実は人生difficultモードなんじゃないか?
とも思いました。
人生それぞれ、easyモードに見えてもその人自身がどう感じるかはまた別、とは頭ではわかっていてもやっぱり比べてしまうもの。
自分自身がeasyモードだったとは思いませんが、これがあれば幸せ! のハードルは、都会で出会った友達を見ていると、私はえらく低いような気もします。
尺のハードルってきっと上げるのは簡単でも、下げるのは難しいんだろうな。
私はジャガイモが好きで、特にジャガイモ入り味噌汁が大好き。
実家は父が珍しくパン派だったこともあって、一人暮らしをするまで味噌汁を食卓に上げることは私にとって特別で、今では味噌汁を1日1回は食卓に出します。
そして1日のうちにジャガイモ味噌汁を食べることができたらその日一日は私にとってとてもしあわせないい日だった、と言えてしまうのです。
でも世の中には、毎日フレンチコースみたいな料理を食べたい人もいるし、ブランド物に包まれていたい人もいる。
LINEのメッセージが頻繁になきゃダメって人もいるし、1日3杯はスタバのコーヒーを飲みたいという人もいる。
私はそれがたまたま味噌汁だったのだ。
そんな私は、次から寺や神社に行った際には、味噌とジャガイモをこの世から無くさないでほしい、と願うべきなのかもしれない。