くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

移動範囲で変わる、故郷の広さ

手塚治虫の『火の鳥』を読んでいたとき、宇宙に飛び出した若い女性が年をとってから地球に思いを馳せるシーンを見て、

どこからどこまでを人は故郷だと思うのか

ということについて考えさせられました。

 

私は地球人で、宇宙戦艦ヤマトが地球に帰ってきたシーンは感動したし、故郷地球のありがたみも感じました。けれど、だからといって本当の意味で地球こそ我が故郷って思えているかというと、多分全然そうは思えていない。

 

そして、この感覚はその人自身の移動距離に反映されるのかな、と思ったり。

例えば小学生の頃は隣町の小学校の子に会うだけで、なんだか新しい気分というか、自分はこっちの小学校の学区で、あの子は違う、みたいな感覚があっても、高校生になる頃には同じ高校っていう感覚に。

そして大学進学で地元を離れる頃には、私は××県出身、みたいなところがアイデンティティーになって、さらに海外旅行に行って、私は日本人、という感覚が生まれたような気がするからです。

 

日本にいれば、沖縄県民に飛ばすジョーク、大阪府民に飛ばすジョーク、東北出身者に飛ばすジョーク、みたいなのが普通だけど、海外に出れば、日本人に飛ばすジョーク、イタリア人に飛ばすジョーク、と括りが大きくなります。

 

だから、移動範囲で故郷の定義って結構大きく変わるんじゃないかな、というか、変わる人が多いんじゃないかな、と思いました。

 

今の私の故郷?

まだ日本って思うかな。