図書館に借りていた本を返しに行き、さらにどの本を借りようか、何冊か本を持って閲覧席に移動し、目次をチェックしている時でした。
隣の席にちょっと不格好なスーツ姿のお兄さんが座りました。
ピカピカのスーツにワイシャツ。靴も磨かれていました。ただ、顔つきや髪型はオシャレなんてこれまで一切しないで野球に打ち込んでました!と言わんばかりの様子。
つまり、眉毛は全く整っておらずボサボサで、髪もワックスを付けて整えたような形跡はないような、よく言えば純朴そうな、悪く言えば世間知らず風なお兄さんでした。
いや、年齢的にはきっと私の方がお姉さん、なので、男の子、とでも言っておきましょうか。
男の子は黒い鞄からクリアケースを出して、自分の履歴書を出し、真っ白な違う履歴書に写し始めました。
私はあんまり他人をじろじろみるのはよくないと分かりつつも、これから社会への一歩を踏み出そうとしている彼が何をしようとしているのか、という好奇心が勝ち、横目でちらりと様子を伺いました。
彼の姿は私からみると、かなり異様に見えました。というのも、履歴書を書き進めるスピードがとんでもなく早かったのです。
とんでもなく早く、美しかったら、ほぅ、と感心するだけでそれ以上の興味は持たなかったかもしれません。
が、さらに驚いた事に、彼が書く字は非常に雑で、文字によっては枠線からはみ出そうなものも。
私がちらりと見ている事に気がついて、読み解かれないように雑に書いていたのでしょうか?実際に私には、彼の書いている字の半分は読み解けませんでした。
もう私はお姉さんとして心配です。高校生くらいの彼に、履歴書は字は上手くなくてもいいけれど、丁寧に書かないとダメだよ、と教えてあげたくて仕方がありませんでした。
彼が自分の履歴を書き終えて、私は不要な本を棚に戻すために立ち上がったとき、ちらっとまだマシな字で書いてあった写す元となった方の履歴書が見えました。ここで彼は高卒ではなく大卒である事が分かりました。
だったら就活仲間、というのも周囲に多いはず。仲間内で指摘してもらえるかなあ、と妄想をしながら、私は本を返しに行きました。
本を返しながら思った事はこんなこと
・履歴書の字があそこまで雑で、どんな会社を受けるのだろうか、どんな会社にそれを提出するのだろうか
・そもそも履歴書なんかをキレイに書くってどこで学ぶのか
まず履歴書の字。中学3年生の担任の言葉をふと思い出しました。
「上手くなくても良い、ただし雑に書くのはダメ。下手と雑は見分けられる」
実際大人になってみると、ただ下手なのと雑なのとは結構見分けられるもんだな、ということが分かりました。下手でも一生懸命書いている人はまず筆圧が違います。それから枠から大きくはみ出たりしないし、丁寧さがあれば、はみ出たと思った瞬間、それがペンなら書き直すし、鉛筆の下書きであればそれこそ丁寧に優しく消しゴムかけをします。
中学3年生、高校の受験票を書いているときに、担任の先生が口を酸っぱく教えてくれました。受験票の書き方以外にも、山折谷折りを丁寧に折ること、とか、点線はキレイにまっすぐ切り取ること、とかも。
担任の先生は、技量とかテストの点数も大事だけど、全てが僅差でどっちが勝ってもおかしくないよね、という接戦の戦いになったときは、こういう細かいところで勝負がついたりするんだよ、とおっしゃっていました。
なるほど、と素直に思えたのは、私の同級生の中には金銭的な理由から、1年間働いた後に来年高校受験をする、という友人も何人かいて、彼らは受験票ではなく就職の為の履歴書を書いていたからです。
これは学校社会だけでなく、普通に働くようになってからも大事な事なんだな、というところから、すごく説得力をもって私の心に落ちました。
私は思いがけず、こういう履歴書とか大事な書類は丁寧に書くもんだ、ということを中学校で、高校受験を通して学びました。このとき学んだ、二十線を引く時は定規で、ということに救われた事も実際ありました。
ですが、今日であった彼にそんなことを教えてくれる人はいなかったのか、はたまた言ってくれる人はいてもそれを彼は聞いていなかったのか、ただ図書館で隣の席になっただけなので、そんなことは今後も知る由はありません。
でも、よくよく考えてみれば、これからの時代履歴書ってきれいに書く必要とか能力って必要なのだろうか?とも思います。
もちろん中学の時の担任の先生の言ったお言葉は仰る通りで、何かギリギリの勝負をした時、こんなことが?という些細な事が勝敗を分ける事に繋がるのは少年マンガでもおなじみですし、そういうことも在るんだと思います。そしてこれはきっと、履歴書に限らず、色んな事にも言えるんだと思います。
前の人が書類を落としたときに咄嗟に助けられるか、自分が元気な時で、具合が悪そうな人が電車にいるのを見かけたら席を譲る行動に移せるか。
それがどっちの方向にどう動くかは分からないけれど、確かに、行動した事実は自分に積み重なっていきます。
それでも、これからきっと、そろそろ履歴書はパソコンで作ってメールで送ってね、みたいなことももっと増えるだろうし、(その人の文字を綺麗に書く能力を見たい会社でない限り)そもそも50年後には履歴書っていう形はまったく違う形になっているかもしれないですよね。
それこそSNSの履歴が履歴書代わりになるのかもしれない。
隣の彼は確かに履歴書に対して雑でした。でもまあ、彼は彼。間違っているかどうかなんて、最終的には彼しか分からないし、それは彼の人生において最終的には正解になるのかもしれない。
私が再び本を持って戻ると、彼はちょうど席を立とうとしていました。
黒い鞄に先ほどから書いた履歴書を仕舞い、席から立った時、彼の靴下がチラリと見えました。
靴下は縞模様でした。
ですがもう驚きません。私は次にこんなことを考え始めました。
「スーツの着こなしに関するビジネス」について。