くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

なぜ、私はパンダに生まれなかったんだろう

f:id:kuro-yan:20180530170008j:plain

ネットニュースをサーフィンしていたら、可愛らしいパンダの写真が出ていた。中国の山奥にいた黒と白模様の熊は、今や日本だけでなく全世界から愛されているアイドルだ。

世界中から愛されている上に、人間の外交にまで使われている、とんでもない経済的影響と外交的影響をもった生き物だ。

 

というか、なんで私は本気でパンダに生まれなかった事について考えているんだろう、というのはおいておく事にしようと思う。

だって思いついちゃって、考えちゃったんだもん。

 

―そもそも人間に生まれてよかったと思っているのか

私が思いついた人間のメリットはこちら

・生息域が広いため、いざとなれば違う場所へ生活場所を帰る事ができる

・趣向品の種類が多い

・割と寿命が長い方

・天敵が少ない(天敵とともに暮らすリスクを減らせる生き物)

 

デメリットは何だろう

・生きる為に必要そうに思えないような行動をしなければいけない時がある(見栄、プライド)

・他の生き物ではなく、同類の人間に殺されるリスクを考えて生活する必要がある

 

 

―じゃあ、例えば私はパンダになりたいのか

パンダのメリット

・発見されたら大体保護される

・中国以外で暮らす場合、外交問題に発展しないようだいぶ大事にされる(動物界における国賓待遇)

・保護されているので餌(食い扶持)に困らない

・ちやほやされる。アイドルだから。

 

パンダのデメリット

・いつも拘束されている

・いつも監視されている

・ゆりかごから棺桶まで、監視される

・強制移動が多い

 

メリットもデメリットも上げてみたけれど、私はパンダにはなりたくないと思った。これは都会のマダムなお宅で猫をみかけた時の気持ちと似ているのかもしれない。

 

小さい頃、猫のことが羨ましかった。

天気がいい日はごろごろとひなたぼっこをする猫。私は憂鬱な算数のテストのことを考えながら学校に入っていく。

天気がよければ日に当たりたいと思った。

雨の日は人の家の屋根の下で猫会議。傘をさすのも面倒だし、どろどろに靴が汚れるのも嫌だから、私も同じように過ごしてみたいと思った。

 

けれども、大人になって都会の猫を見て、猫になりたかった思いは全部飛んで行った。子どもの頃のにわかに思っていた、砂粒くらいの思いも全部吹き飛んだ。

都会で生きる猫はいつも何かと戦っているか、拘束されているか、どちらかのように見えてしまったからだ。

 

 

今が幸せだから、人間で良かったなあ、と思える。

けれども確実に、人生のうちの一度は、輪廻という考え方をしている日本人である以上、きっと考える事なんだと思う。

 

飼い猫、飼い犬、動物園が嫌なら、やっぱり次に生まれ変わっても、人がいいのかもしれない。