くろやんの日記

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それでもこの世界は一期一会だと思う

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一期一会

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。 茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。 

一期一会 - Wikipedia

 

インターネットでどこに住んでいる人とも、誰とでも、極論生きている時間軸が違っても(時差的な問題があっても)、繋がれる世の中になりました。

大して連絡を取り合わない友人でも、Facebookに結婚報告が上がれば、ああ結婚したんだなと思うし、子どもの写真がアップされれば、子どもが生まれたんだな、ということを知る事ができます。

一昔前であれば、そういうことは年賀状とか暑中見舞いなんかのやり取りをしているくらいの仲でなければ、同窓会まで知らない事だったと思うし、そもそも同じ学校を卒業しているような学生時代の友人か、現時点でそこそこに仲の良い友人関係出ない限り、そんなプライベートは知る由もなかったでしょう。

Twitterを使えば本当にどこの馬の骨とも知らない人の、その日感じた出来事、感情がわんさか自分の頭の中に入ってきます。

インスタグラムを覗けば、誰かがその日観たのであろう景色がたくさん切り取られて集合しています。

 

そういう所で気が合ったり、興味がわけば、コメントを書くなんかして繋がって。

一度繋がってしまえば、フォローフォロワー、友達リストに大抵ずっと名前が並んでいます。

 

繋がってしまえば、もう一度会う事はそれほど難しい事ではない。

 

それは『一期一会』という考え方を根本から覆されるような、人類の進歩に見えます。もう二度と会えない。もう二度と繰り返せない。

いや、そんなことはないよ。

テレビ電話しようね。

スカイプしよう。

ラインで通話しよう。

 

生命体自体がこの世界から消える、という状況にならない限り、私達の世界から『一期一会』という感覚はとても薄くなったんじゃないかな、とも思います。

 

 

けれども、インターネットが出てきたからこそ、

ああ、世界って一期一会なんだなあ、と感じる瞬間が増えたんじゃないかな、とも思う訳です。

 

ネットの世界はすぐ繋がれます。

すぐ繋がれるのと同じくらい、すぐに離れる事もできます。

匿名だったら尚更。

IPアドレスをおっかければいいという話もあるかもしれないけれど、それだって、まったく違う場所、全く違うネット環境を整えればいいだけ。

何かをきっかけに、一度ネットから離れていると、自分がいた場所は簡単に消えてしまったり、知り合いがいつもいたと思っていたら、いつの間にか消えてしまっていたり。

そんなことが簡単に起こるのもネットだなあ、と思います。

 

学生のときによくチャットルームで話していた人

ブログを書いていたときによくコメントをくれていた人

一緒にリレー小説を書いていた人

 

みんなそれぞれ、どこでどんなことをしているのでしょう。

もう一つの学校に通っていたかのように、ネットの世界で知り合った人達も、なかなか自分の考え方や生き方に影響を与えてもらったなあ、と思います。

リアルの出会いに負けないくらいの刺激はもらったなあと思います。

 

でも、そんな彼らと繋がる手段はもうないし、辿る伝もありません。

ある意味、究極的な一期一会かもしれません。

本名も、正確な居住地も知らない。

ネット上の、場所の名前さえはっきりとしていないあやふやな場所で出会った人達。

その時しか会えなかった人たち。しっかり一度きりの出会いになりました。

 

やっぱり世界は一期一会、なんでしょうね。