先日、たまたまテレビを観ていたら、過去、満州に取り残されてしまった日本人たちに関する特集をやっていた。
『終戦後の満州』と日本語でgoogleやyahoo検索をかけると、当時の満州でどんなことが起こったのか、小学生が図書館でひっそりと読む『はだしのゲン』くらいの衝撃的な事柄が綴られている。
もちろんいろんな見方があるだろうし、日本も似たような事をやっていた、とか、感情の問題とか色々あるけれど、とにかく当時、満州に取り残された日本人というのは大変だったのだ。
戦争中では敵側だった国との境にいる上に、味方は海の向こう側。
敗戦国側であることの不安。
先行きが見えない不安。
今の日本人には想像が難しい不安に囲まれて、当時満州にいた人はどんな気持ちだったのだろう。
そんな気持ちを持ちながら、私はテレビのドキュメンタリーを見続けた。
「国に頼らず、自分の力で生き抜く事への覚悟」
観終わった後、彼らからはそんな気持ちを強く感じた。
偶然にも、別の機会に歌手の加藤登紀子さんのインタビューもみかけた。
加藤登紀子さんは終戦の時、満州ハルビンから母子4人で命からがら引き上げてきたという経歴を持っていらっしゃる方だ。
まだ3歳にもならなかった加藤登紀子さんに、母が「自分で歩きなさい、そうしないと死ぬのよ」と叱咤したという。
加藤登紀子さんのお母さんは、「私の生き抜く力と判断だけが頼りなんだ」と自らを奮い立たせ、仕事も食料も懸命に探したそうだ。
なんと略奪に来たソ連兵にも毅然と対応したそうだ。曰く、「一対一の人間同士なら必ず分かり合える」とのこと。
これは『母は強し』とか『火事場の馬鹿力』とか、そういう言葉で片付けて良いことではない、と私は感じた。
「国に頼らず、自分の力で生き抜く事への覚悟」
国は万能じゃない。国だって人が作った物だ。歴史があるし、忖度も賄賂も山ほどあっただろう。
今の日本の基礎だって、戊辰戦争からできてる、という話を聞いて思わず納得してしまった。同じ田舎でも東北と九州じゃ全然発展度合いが違うって、行ってみて知った。
そうして国ってできてる。もちろん頼りになるときもあるし、ああ、国のおかげでなんとかなったってこともたくさんある。
けれども、それでも「国に頼らず、自分の力で生き抜く事への覚悟」は持たなければいけないと強く感じる。
ずいぶん前に、知り合いの校長先生が言っていた言葉をふと思い出した。
「本物のセレブは、よっぽどのことがない限り、学校にクレームなんてつけないのよ。だって学校に大して期待していないから。大事な事は自分の家で、塾なりなんなりで、自分でやるって考えているから」
私もそんな本物のセレブのような、豊かで広い心をもちたい。