くろやんの日記

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ちょっぴり私を大人にしてくれた高畑監督の作品たち

 

高畑勲監督が他界され、今日は金曜ロードショーにて『火垂るの墓』が追悼放映されました。

おもひでぽろぽろ』とか『平成狸合戦ぽんぽこ』とか、なんなら直近で監督をしている、『かぐや姫』とか、色々あると思うのですが、やっぱりこれが選ばれる、というのはなんやかんや、色んな世代の心に響いた国民的作品、だったからなんでしょうかね。

金曜ロードショーの時間帯がもう少し早い時間であれば、『パンダコパンダ』とかもありなんじゃないかなあ、とかって私は思いました(笑)あんな愉快な作品もないと思う(笑)ちょっと最近流行ってる、『ポプテピピック』とテンションだけなら似ているのでは?と思ったり^0^

※宮崎監督だったら何になるんでしょう。もはや1ヶ月かけて、『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』、そして多分監督の個人的思い入れが強そうな『風立ちぬ』の辺りなんでしょうかね。

 

色々な作品がありますが、高畑監督作品の多くで、私はちょっぴり大人になれたなあ、と感じます。

 

▼『おもひでぽろぽろ

言わずもがな、のザ・日本の田舎、の映像はもちろんですが、そこに住む人達の心情、都会から移住しようとしている主人公の心情も含めて、過去でも未来でも、今後自分探しをしたい人が導入として観ておくといいのでは?と思う作品です。

田舎をキレイに描いた作品はたくさんありますが、映像だけでなく、音や登場人物達の行動、心の移り変わり等、旅をする、ということがなかなかに奥深く描かれています。

旅の仕方が、日本人っぽく短期間滞在、とか買い物・観光、に絞らず、10日間という日本ではわりと長期で、かつ田舎の家にホームステイ的に滞在する、という欧米系の夏休みの過ごし方のようなのもポイント。

そんな旅と共に、現代の日本人、というか、先進国に住む人達みんなの悩みを、主人公のタエ子が背負っているように描かれています。

もやもやしたままの恋愛、学級委員の女の子のようにモノをはっきり言う事、お父さんに反対されてそれっきりの演劇のチャンス、ハナタレ阿部くんとのこと。

それぞれが何か、見て見ぬふりをしてしまっているような現実と向き合う、というのは特別に難しい事ではなくて、タエ子のように、きちんと過去を話せるか、話せるくらい消化できているか、というのを、しゃべりながら確認する作業なのかもしれない、と感じました。

『自分探し』は究極的には『自分と対話する』ことなんだなあ、ということを考えさせられた作品です。

 

▼『平成狸合戦ぽんぽこ

自然との共生、というのは人間の私達もよく使う言葉で、それを逆の立場から描く、というのはなるほど、画期的だし、神様が複数いる(八百万の神)っていう価値観の日本でしかなかなか描けない設定だなあ、と感じました。(他の宗教下でも描けるかもしれませんが、説得力が足りなくなりそう)

また、「自然を守ろう」「環境を守ろう」という言葉を非常にうまく、批判している作品だとも感じました。

「人間も少しは残してやる」
「僕らも花や木と同じなんだ」

自然を守ろう、という言葉は、使い方を間違えれば、「人間は自然なものではない」と言っているようにも聞こえます。実際、そういった意味合いで捉えている人も、今は少ないかもしれませんが、環境問題が認識され始めていた時代は多かったのではないでしょうか。

※この世から人間がいなくなれば良い、少なくなれば良い、と思っている環境問題の学者さんもいたりする。

けれども、たぬき達が言うように、「僕らも花や木と同じ」ということは、「人間も花や木と同じ」なのであって、常に共に生きる、共に在るためにはどうしたらいいのだろう、というのが、本当の意味での「自然との共生」、というのがこの台詞から感じる事ができました。

 

また、繰り返し観るうちに、自然との共生、というテーマは、狭い島国で、先進国でありながら、自然が身近にならざるを得ない環境で暮らす日本人だからこそ、結構身近なテーマなんだな、とも思いました。

 

▼『かぐや姫の物語

賛否両論ありましたが、私は好きです。これ。

感想ブログを徘徊してみると、そもそも「罪と罰」って何?とか、欧米系ウケを狙っての「罪と罰」にしたのか?とか何のサスペンス?みたいな感想が多かったのですが、

そもそもかぐや姫は、月で罪を犯した罰として、地球に送られた。みたいな一節があって、そこから、かぐや姫罪と罰とはなんぞや、という研究が数多くあるのは、文学系、古典系をかじったことのある人には結構メジャーな事実。

ci.nii.ac.jp

日本最古の物語、と言われる竹取物語。そもそもかぐや姫に献上される宝の数々、とか、それらを持ってくる男達は何の象徴だったのか、とか、帝の権力、とか、色々探求される幅が広い作品でもあります。

(こういう文学研究って、基本世の中の役に立っていないよね、と言われがちですが、竹取物語終盤の描写から、富士山の噴火時期や噴火の様子を知る為の資料として活用されていたりしますよね)

 

さて、この作品、もちろんかぐや姫は月での罪を忘れて地球に送り込まれます。

地球を楽しむかぐや姫ですが、物欲、権威欲の波が押し寄せてからはその暮らしぶりは一転します。

家も、綺麗な服も、そしてたくさんの男達から言いよられて、一見幸せであるはずなのに、かぐや姫はちっとも楽しさを感じる事ができません。

それはかぐや姫にとっての、本当の幸せ、というのが別のところにあったから、なのでしょう。

それは私達、特に先進国に住む人に言える事なのかもしれません。

数えきれないものに囲まれ、食べきれない程の食料に囲まれ、私達は本当に幸せになれたのだろうか。もちろん幸せな人もいるでしょう。けれども、それらに疑問を持っている人も少なからずいますし、ある意味ミレニアル世代はそういう世代になるでしょう。

 

「それって本当に幸せですか?」

というメッセージが投げかけられているように感じました。

これらのことから、かぐや姫の罪とは、月にて物欲、権威欲、などの欲を持って、それを強く持ちすぎた事から、それを強く持つという事は、どうなることなのか身を以て知るが良い、的な感じで地球に送還。

そして地球での罰は、最初に自分の心の赴くままに感じていたことは幸せでも、それ以上を望んだり、己の欲に振り回されれば、痛い目を見るんだよ。

ということを感じる事だったのかなあ、と思いました。

 

・・・・・・・というのは初見で思った事で、2度、3度と観るたびに、いろいろなことを考えさせられる、という意味で、飽きない、というところで「かぐや姫の物語」は結構好きです。 『竹取物語』ではなく『かぐや姫の物語』というタイトルにした辺りにも、意図を感じます。

 

 

どの作品も、「ああ、面白かった」だけで終らないからこそ、いつも私自身に問いをくれて、少しずつ、私を大人にしてくれるのかなあ、と思います。

それが、絵やストーリーだけでなく、登場人物達の心への注目度が高いからこそ、観賞後に自己と向き合う時間が充実するのかもしれません。

 

素敵な作品をありがとう、監督。