ひ孫へ
今、日本は物に溢れていて、それなりに知識をつけて、変な人との遭遇を避ける事ができれば、大変幸せに生きる事ができるお国情勢だと思います。
それは途上国に行った事がある人なら誰もが思った事があることでもあると思います。
そしてそう言う人は大抵、日本で辛い、と行っている人に、「インドに行ってくれば?」とか「カンボジアに行ってくれば?」と声をかけます。
これは一つ、正解であって正解ではないとも思います。
というのは、物がある=豊かである
という式は成り立つようで、実は成り立っていないことが、先進国が先進国になって明らかになったと思うからです。
昔、それこそ団塊の世代の時代は、物がない→物があれば幸せ、ということで、マイホームにマイカー。他にも家の中には基本的に物に溢れているのではないでしょうか。
私と同世代くらい、または少し上の世代になると、実家の家の片付けが大変だ、とか、遺品整理にウン百万使った、とか、とにかく物に困らされているひともまた多いです。
それも一つの形ですが、物に辿り着いても幸せになれない、物欲だけでは寂しい、みたいなことが分かり始めたからこそ、今はシェアが流行ったり、ミニマリストが流行ったりするんだと思います。
では何が人にとって、幸せなのか?
次に人々が求めるのは、「選択する豊かさ」なんじゃないかと考えています。
もちろん選択が嫌、嫌い、苦手、という人もいますし、日本人にはこういう人が多いようにも思います。
(ですが幼稚園児や保育園児がみんな与えられたものだけで幸せを感じているという訳ではないようにも思うので、選択が苦手、嫌、という人の大半は、周囲の環境等による後天的なものだとも思うんですがね)
私もものによっては選択するのが面倒で、どうにかしてうまくとばせないか、考える事があります。
けれども、基本的には「選べるということは豊かさ」であるとも思います。(選択するのが面倒、というのも、選択肢があるから芽生える感情でもあったりする)
例えば、学校。
田舎の子は基本的に選べません。一番近場かお金がなければ、高校、大学は行きません。(お金以外の理由ももちろんありますが)
一方都会の子はどうでしょう。高校からでもとても豊かな学科の選択肢がありますし、学校がなくても周囲に学校以外の選択肢を教えてくれる大人が身近にいたりもする機会が多いでしょう。
田舎は人もいないので、そういった選択をする以前の問題で、選択肢を知らないという上京になっている事がとても多いです。
例えば、国。
例えば、日本人として日本に住んでいて、日本のパスポートを持っていれば、大抵の国に行く事ができます。世界のパスポートランキングでもそこそこ上位です。
また、移住に関しても選択肢があります。国によっては移住が自由に許されていない国もある訳で、そういう人は、「自分に生まれた国が合わないな」と思っても、そこから出るという選択肢がないのです。
私達は、ハードルはまだまだ高いですが、本当に嫌になったら海外に逃げる事ができます。
国を選べるという事は、宗教や法律を選ぶ事ができるという事です。
外に出てみると、日本の過ごしやすさいいなって思うんですけどね。特に宗教。昔から、2つの宗教(仏教と神教)を同時に信じて良いよっていうのが根底にあるので、神様が何人いても良いって思っている価値観の人が殆ど。なので、誰が何を信じている人でも、糾弾されたり、毎週末日曜日に神社(もしくは寺)に行かなかったからといって、特に問題は発生しませんし。(その代わりにあるのがムラ社会かもしれませんが)
選択する豊かさを得る為には、まず知らなければいけません。
そしてこの「知る」ということに対して、世間や国、そして学校でさえも、そこまで一生懸命な機関でもない、というのもまた一つの事実です。
特に、公の機関が管理する学校は、世の中の一部しか教えてくれません。(それでもいっぱいいっぱいなんでしょうが)
でも恨んではいけません。世の中、勉強する事が多すぎるので、幼少期迄の学校は、勉強の仕方、学習の仕方、ハウツーについて教えてくれる場所、というイメージで行った方が、大事な事は自分で学ばなければいけない、という気概になり、自分にプラスかと思います。
それは国や学校、ひいては社会に依存しない生き方でもあると思います。
社会情勢は10年、20年という単位で変化していくものです。誰かのせいにしていると、自分が依存した社会にずっとしがみついていなければいけなくなります。
社会の波にしがみつくのではなく、波にしっかり乗る為には、どの時代に置いても自分なりに「知る」という行動を続ける事が大切だと思います。
というわけでひ孫よ。
物欲を満たしたら、もしくは満たせたら、次は「選択肢をたくさんもてること」という欲がやってくるので、その欲に対応すべく、自分自身を高める事を怠らないように。
追記:
ちなみに「選択肢がたくさんある」の次の大きな欲求は今日までにはまだ、自分自身にはふりかかっていません。
選択肢が見えている状態だと、承認欲求もある程度コントロールできているからかもしれません。