くろやんの日記

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もはやマンガは教養書?読んだ事ない、と突っぱねるのはもったいない

 

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日本を訪れる、もしくは日本が好き、という海外の方とお話をすると、8割くらいの方はマンガが好きだなっていうことを肌感覚で感じます。

国や地域、男性女性、年齢などで傾向はある気がしますが、大抵どの人もジャンプ系のマンガ、ドラゴンボールやワンピース、ナルトあたりは知っている方がとても多い。

(アメリカの方だと名探偵コナンのファンの方が多いような気もしますが)

 

そんなマンガが好きな方は、ディープな作品も知っていたりして、先日びっくりしたのは、ジブリ美術館目的で来日したというイギリス人の若い男性と、マンガの話しをしていると、今一番ハマっているのは『ワンパンマン』だということに...

一瞬こっちか?

と確認しましたが、いや、「わん」だ、と言い直されました(笑)

そう、こっち。

私も夫に勧められて読んだ事があった作品だったので、イギリス人男性とは多いに会話が盛り上がりました。

結構マイナーな作品で、ジャンプファンなら抑えているでしょうけど、まさか外国の方にも認知がある作品だとは思っていなかったのでびっくりでした。

しかもちゃんと英語で出版されているのね……

 

これはレアケースでしたが、大抵の方はドラゴンボール、ワンピースあたりはみんな知っています。

海外の方とお話しするときの、1ツールとして、もはや読むのが教養レベルに必要なんじゃないかと思わされます。

 

そう、別に必ず読まなきゃいけないわけではないんですよ。

 

教養って、なければないで生きて行く事はできるでしょう。

森鴎外とか、夏目漱石の作品を読んだ事がなくたって死なないし、働く事はできるでしょう。モーツアルトの曲を一曲も知らなくたって、明日ご飯が食べられなくなる、みたいなことが起きる訳でもありません。

 

けれども、知っていれば。

同じことを知っている人と、感情を共有できるかもしれません。

会話の糸口になるかもしれません。

何か、難しいことを説明するときの、たとえ話に使えるかもしれません。

誰かと友達になるきっかけになるかもしれません。

 

全部、「かもしれない」ですが、生きる事が楽しくなる1ピースになることには間違いないでしょう。教養は必ずしも必要である事がないという性質から、知らなかったからよかった、ということはないような気がします。

スキルが人生を組み立てて、雑談が人生を彩る、とはよく言ったもの。

 

たまにマンガなんて読まない。

少年誌なんて読まない。

と突っぱねられる事があります。もちろん宗教上の理由で読めない、とかは別ですが。何かのメディアを頑にシャットアウトしている人って、(柔軟なシャットアウトの人とはまた違う)端から見ていると、ちょっと損している人が多いように思います。

ふと何かイベントやら勉強会やらにお誘いするときにも、あの人はもしかしたらこういうのは無理って突っぱねそうだな……と、お誘いリストからもすぐに外してしまうことが多いような気もします。そういったことが積み重なって、必要な情報やよい情報を取り逃がしてしまっているようにも見えてしまう。

 

それはそれでも良いと思うのですが、マンガそのものを全部読み込まずとも、1巻だけ読むとか、 あらすじをwikiで追う、とか、ストーリーを楽しむだけでなく、誰かとの会話の準備の仕込みをしておくだけでも意味があるし、

何かをシャットアウトするということは、自分ではそこまで閉じたつもりはなくても周りはかなりシビアにシャットアウトしています。

そういう環境を自分で作っている、という自覚がないと、ちょっと悲惨です。自分で気がつかない間に、自分が生きていく範囲を狭めているという事になっているのですから。

 

というわけで、ひ孫よ。

何事も食わず嫌いにならず、素直に吸収する気持ちを大切に、ね。