3月というだけで様々な卒業ソングが頭に浮かんできます。
中学校の卒業式がこの辺りだったでしょうか。小学校はもうちょっと遅くて、高校はもっと早かったかな。
卒業、というフレーズが似合う3月に、このドラマを思い出しました。
そう、『女王の教室』
いい加減、目覚めなさい。
日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?
今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。
この台詞は子どもながらに衝撃的で、良くも悪くも、『国=システムの1つ』としてとらえるきっかけにもなりました。(王制、共和国制、独裁、それぞれのメリット、デメリットを考えるきっかけになった気がします)
愚かなままでいると、損をする。
というのは勉強をしてみるとよく分かることでもあったりして、思考がどちらかというと遅い自分はかく生きにくい世の中だなあ、とたまに思います。
けれども、どんなに理解が遅くても、理解をしようとすることを止めなかった、というだけで、学生時代私よりずっと賢く、聡明だった子とは全然違う人生になっているなあ、と感じることもしばしば。
たまたま彼女に会った時、彼女は自分自身の職場だったり、社会に対してだったり、人生だったりに愚痴と批判のオンパレードで、とても幸せそうには見えませんでした。
話すうちに、最近の話題書のことなんて全然知らないし、メディアに出てくるホットワードも、彼女にとってはちんぷんかんぷんの別世界。だからなんだという話かもしれませんが、学生時代に勉強がさほど得意でなく、できないという状況でも、落胆する必要は全くないのだな、と感じました。
天才的に得意な人もいるし、それを好きだという熱意と努力でカバーして後天的に天才になる人もいる。
けれども人生勉強だけで生きる訳ではないし、人の学びは経験×学習のかけ算だと思うので、経験の総数が大きくなったときに再び学び直し、なんかしてみると、学生のときとは大違いの理解度で勉強が進んだりもする。
何が言いたいかって、ひ孫よ。
勉強が苦手で嫌いでも、手を抜いたり、のんびりやるのはいいけれど、やめてはいけない、ということだ。
1mmでもいいから続けることが幸せへの第一歩だと思う。