くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

最近考えた、テレビというコンテンツの扱い方について

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最近テレビを観る時間はとても短くなった。

一人暮らしをしていたときはBGM代わりに付けっ放しにしていたものだけれど、最近はバラエティのがやがや感が何となくうるさく感じられて、観ていない番組だとすぐに消してしまう。

狙って観たい番組以外でだらだらテレビを見てしまうことがなくなった。

 

朝のニュースについてもそうだ。

上京してからは、大抵テレ東のビジネスニュースで、最近はもっぱらBSのNHKで海外ニュースの吹き替えを観ている。

スペイン、イギリス、ドイツ、インド、韓国、アメリカなどなど、様々な国のニュースがひたすら流れていて、それに落ち着いた女性の声で翻訳が入るのだ。NHKだからCMも入らないし、ずっと同じテンションでひたすらニュースだけが流れている。

朝の民放を久しぶりに付けてみたらそのテンションの高さが、私には刺激的過ぎた。もう民放には戻れないかもしれない。

 

朝のニュース番組はどれを観ているかで世界、世間の捉え方、というものは全く変わってしまうのかもしれない、ということを感じさせられる。

最近、各国のニュースはもっぱらシリアでの爆撃のニュースでもちきりだ。けれども日本ではそんなニュースは一言も流れない。シリアのシの字もみない。

アメリカはトランプとロシアゲート問題のことまだやってるし、スペインでは独立問題の話題でいっぱい。

こうして各国の国で取り上げられている問題が多国籍感あるけれど、最近の日本は再びあの文書問題という国内の問題だったりして、平和なのか内輪ネタしか扱えない系なのか、よくわからない。

 

夜、疲れ果てて残り後僅かになった自分の時間をこのコンテンツに使って良いのか、と考えさせられてしまい、結局本を読むか、映画を観るかでテレビ番組をつけることはめっきり少なくなってしまった。

昔よりは少なくなったけれど、芸人さんの叩き合っている映像というものが私はとても苦手で、そういうシーンが出てくると、すぐに消したくなる。

これは幼稚園、小学生の頃から苦手なので、本当にだめ。ホラー映画が苦手、というのと同じ感覚でだめ。

 

テレビ以外のコンテンツが充実しているからこそ、テレビじゃなくても良い、と考えているという現代の10代の気持ちが何となくわかり始めた気がした最近。

NHKみるから払うけれど、実際モニターとしてでしか使っていなかったら、そりゃあNHKに支払う意味がよくわからなくなるよね。