日本の識字率は100パーセント。語られて長い歴史をもつこの一つの事実について、最近本当にそうなのか?という記事がありました。
識字率とは文字が読み書きできる人の割合どれくらい?っていう数値。日本は寺子屋文化のおかげかどうか、戦後も江戸時代もとにかく高い識字率を記録した、という記録が残っている訳ですね。
しかし最近、こんな記事を見つけました。
確かに、実態として、きちんと義務教育を受けていない子、がいる限り、100パーセントとは言い切れない実態はありそうです。少数派にはなりますが、いわゆる戸籍を持たない子、みたいな子もいます。
日本の人口が増えた今、パーセンテージ(割合)としては増えていなくても、読み書きに不便をしている人の数自体は増えている可能性はありそうです。
別の記事ですが、上記のニュースを踏まえて、この記事では、こんなことが書かれていました。
「文字が書ける」ことと「文章が書ける」の間には、すさまじく深い溝があります。社会人になって早10年ほどの私ですが、過去に部下を持った際に、あまりにも文章が書けない人が多かったことを、この記事を読んで思い出しました。
もちろん「私は◯◯しました。」といった簡単な文章が書けないわけではありません。ただ、主語・述語関係がめちゃくちゃで文脈が意味不明だったり、自分が思った順に言葉をただ並べていくことしかできない若者がかなりの数いたことに驚きましたね。考えてみると、そうした人たちは大体家庭環境に恵まれていませんでした。
この「文字が書ける」ことと「文章が書ける」の間、という言葉で、とある出来事を思い出しました。
これは図書館でのできごとです。
たまたま普段行っている図書館が蔵書整理で長いお休みに入り、違う図書館に行ったときのことでした。事前に調べたところ、私でも利用者カードを作れることが分かっていたので、到着してからさっそく利用者カードを作成。
最近はそれぞれの図書館ごとに様々なルールがあるため、それを確認しようと作成後のガイダンスも受けました。その後、こんなやり取りをしました。
図書館員さん「何か質問はありますか?」
くろやん「パソコンを使って、本を読みながらレポートを書きたいのですが、どこの座席を使っても大丈夫ですか?」
最近はパソコンを使っても問題のない図書館も増えましたが、パソコンを使っても良いエリアとそうでない場所を分けている図書館も多い為の確認です。
図書館員さん「このエリアの席と、このエリアの席は大丈夫です(館内案内図を指しながら)先ほど作った利用者カードを使って申請をお願いします(申請するコンピュータを指差す)」
くろやん「分かりました。ありがとうございます」
ここまでは普通の出来事かと思います。が、ここから数時間後、事件が起きました。
私が申請した机でレポートを作成していると、突然「ねえ」と、大きな声で後ろから話しかけられました。図書館なので響きました。
ちょっとびっくりしながら振り返ると、スーツを着用した年配の方がいました。腕には案内人の腕章。どうやら図書館の正規の案内人のようです。いわゆる街の中央図書館で広い場所の為、こうした人がいるのでしょう。
案内人さん「あなた、ここはパソコン禁止ですよ!今すぐやめてください!」
そんなに大きな声で言わなくても、っていうかここ、だめなの?と焦る気持ちを落ち着かせて、冷静に聞きます。
くろやん「先ほどここで、と中央カウンターで言われたのですがだめなんですか?」
案内人さん「だめなものはだめなんです。とにかくやめてください」
ここで少し、?と思いました。案内を受けてここに座っていたので、だめなものはだめ、と言われてもイマイチ響きません。いや、ここって案内受けたけど。違うのか。
仕方がないので片付けをし、席を立ちました。案内人さんは私がきちんと席を立つのか、片付けの様子を見守っています。そのまま居座られるのを避ける為なのでしょう。
座席のキャンセル申請をするように言われたので、すぐにキャンセル申請へ。申請をした時には案内人の人はいなくなっていました。
大きい図書館だし、本を読みながらパソコンを使える席くらいあるだろう、と再び中央カウンターへ。
念のため、聞く前に図書館案内の小冊子をめくってみたものの、やっぱりパソコン使用に関するところがインターネットのことしか書かれておらず、ネットを繋がない、自前のパソコンでレポート作成するには?について、もう一度直接聞くことに。
くろやん「パソコンを使って、かつ本を読みながらレポートを書きたいのですが、適当な座席はどこでしょうか?」
先ほどよりもパソコン、を強調します。
図書館員さん「このエリアとこのエリア(案内図を指差しながら)でしたら大丈夫です」
くろやん「そこ、パソコンだめなんじゃないですか?」
図書館員さん「はい、だめです」
もうここで正直泣きたくなりました(笑)日本語が通じていない?
丁寧に質問を重ねた結果、インターネットサービスを提供している席で、30分ごとの更新をすれば使える、という話を聞き出すことに成功しました。(予約者がいれば交代となる)
30分ごとは面倒だな、と一瞬思いましたが、個人的に15分ごとに立ち上がる、Daigoの超集中力を実践中だったので、ま、いいか、と思ってインターネットコーナーへと行きます。
ここでの申請でまた問題が。選択ボタンに30分がない(笑)
どういうこっちゃ、と思っていると先ほどの案内人の方が通りかかりました。
案内人「あ、あんたさっきの。ちょっとこっちに来なさい」
え?他人にあんた?って言う?というのは置いておいて、また私何かしたのかなあ、とドキドキしながついていくと、到着したのは先ほど座席を取ったシステムの前に。
案内人「自分が使ったところはちゃんとキャンセルしてください!」
また大きな声で、周囲にいた関係ないお兄ちゃんもびっくりした表情で振り返ります。もちろん私のカードはキャンセル済み。さっきあなたがそう言ったからすぐにキャンセルしにいったんじゃない。
既にキャンセル済みのカードなので反応なし。
案内人「あれっ?」
くろやん「先ほど、言われたとおり、キャンセルしました。カウンターでインターネット席の案内を受けたのでそちらで申請しようと思ったのですが」
そう言うと、先ほどのインターネット申請のところへと再び連れて行かれました。中央図書館という広い場所なので、正直この辺で歩き疲れてきました(笑)
案内人さん「インターネットは何分使いますか?」
くろやん「インターネットは使いません。ただ、パソコンを使ってレポートを書くならここだと案内されました。利用時間は30分ごとの更新と聞いたのですが、こういう場合はシステムのどのボタンを押せば良いのでしょう?」
案内人さん「とにかく120を押せば良いから」
くろやん「え?いいんですか?中央カウンターの方は30分とおっしゃっていましたが」
ボタンは60分もあります。60と120の二択で、30分と言われていたら、とりあえず60を押しておいて、というのは分かりますが、なぜ120?という疑問でいっぱいです。とりあえず多い時間にしとけってこと?
案内人さん「とにかく押してください!」
くろやん「は、はい」
図書館に似合わない大きな声で言われて、そのまま120分申請のボタンを押しました。
その後特に何も問題は起こらなかったのですが、適切に質問していても、先ほど「そこはだめ」と言われて不安を覚えていた私はテキパキと作業する若いお姉さんを捕まえて、不明点を確認。
お姉さんのおかげで色々明らかになったので、今後の利用には支障がなさそうですが、この図書館からの帰りに『識字率』の記事を見つけて、あれっと思ったのです。
今日、私が会話をした図書館員さんも案内人さんも良い年をした大人でした。特別に何か助けが必要なマーク等を下げている訳でもありませんでした(たまにヘルプマークを下げた館員さんもいらっしゃったりするので、そういう場合複雑な質問をその方に投げるのはなるべく避けるようにしています)
日本語でそれなりに会話もした訳ですが、微妙に伝わっていない、と感じる場面が多々ありました。
案内人の方がおっしゃっていたことも、図書館員さんがおっしゃっていたことも、理解はできますが、微妙に会話が成り立っていません。この感覚はRPGゲームの道具屋さんとか、宿屋の主人に話しかけているような気分でした。
上記記事にあった、「文字が書ければ文章が書ける」訳ではない、というまさにこの事体が発生していたのではないかと感じたのです。
そして微妙に会話が成立しない、RPG感のある会話の感覚が少し懐かしい感じもしました。どこかで、前にも、こういう感じ、味わった……!
そう、私の出身地である超ど田舎です。
たまに近所のおばあちゃんおじいちゃん達と話していると、文章の起承転結は基本的にありません。文字や単語ははっきりしていても、てにをはがぐちゃぐちゃだったりして、通じているのか通じていないのかよく分からない。
小学生頃までは自分も「てにをは」が怪しいので気にしなかったのが、中学生、高校生となるにつれて、何だか通じないなあ、と思い始めた記憶が蘇ってきました。
(同じおじいちゃんでも近所で唯一大学まで行ったおじいちゃんの話しは、てにをはがしっかりしていたし、他のおじいちゃんおばあちゃんたちと比べると、会話が文章になっていました)
会話が通じているかいないか、のレベルであれば、普段のオンライン英会話での英語での会話の方が意思疎通できてるんじゃなかろうか、とまで思ってしまいました(笑)
過去、識字は単に読み書きができる、という定義でしたが、法律も制度もここまで複雑を極めている先進国で、本当にそれだけで識字、と言っていいのほうか疑問に思いました。
今日のように会話が成り立たないと、普通の仕事は難しいように思いましたし、よっぽど特別な技能を持っていないと、高い価値を生み出すことも難しいでしょう。
ぶっちゃけたまに行く途上国のタクシーの運ちゃんの方が英語もできるし、よっぽど会話が通じる、ようにも思います(´・ω・)
もちろん会話ができること=識字、という定義ではありませんが、読み書きが理解できる、の理解できるが、本当にそうなのか、「日本の識字率ほぼ100パーセント」という過去の栄光に隠れた闇が広がっている気がした出来事でした。