くろやんの日記

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【妄想】もしも今、自分が高校三年生だったら考える、受験に対するあれこれについて

 

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2月も気がつけば中盤を過ぎて、中学生も高校生もいわゆる受験も佳境に入る時期なようです。最近カフェに行くと、最後の追い込みのように真剣に勉強している受験生の姿を多く見かけます。

大学が全入時代になったとは言え、この先生がいるから行きたい。こういう仲間がいるところで学びたいから、都会に出たいから、色んな理由でそれぞれ志望校があって、その目標に向かって精神を削っている最中だと思います。

 

私は受験からそろそろ1×年の月日が経過しようとする今、もしもこの時代に自分が受験をするとしたら、もしくは今の自分が10年前に戻るとしたら、こういう選択肢を取りたい、という妄想をしてみました。

 

過去の自分の選択は変えられませんが、自分は色々あった末、背水の陣で国立大学を受験し、ギリギリ後期試験での合格を果たしました。

もしも落ちていたら浪人かな、とぼんやり考えていましたが、社会人になった今なら日本で浪人という形は取らないかな、と思い始めました。

 

じゃあどうするか。今の自分だったら留学を考えます。行き先は東南アジア。タイなんかを狙いたいです。

 

ここで大事なのは、自分の人生の目的、そして生きていきたい方向性、さらに自分自身のスペックです。

もちろん18歳やそこらで、人生の目的なんてそこまで定かじゃないし、スペックの伸びしろもまだあと少しあるでしょう。けれども、好きなことだったり、自分の趣向っていうのは何となく見えていたりもします。

外交的なのか、内向的なのか。特筆して好きなことがあるのか、ないのか。

 

私自身のスペック、性格としてはまず、

・勉強は好きだけど苦手。努力の才能はそれなりに神様からいただけたようで、努力の総量でみんなと勝負している。けれども理解力は本当のトップ層には及ばない

・根性はあるけれど、分かり易い特筆して好きなことで輝いた経験もまだない。(全国レベルで戦える能力が18の時点でまだない)何かのスキルで差別化が必要

・出かけたり新しい物を見ることが好き。ビルゲイツみたいな金持ちになりたい願望はない。人の役に立ちながら、自分が楽しいと思うことをして生きていきたい(=経済的野心は薄く、社会貢献欲求の方が強い)

 

現実の私は大学に合格したので、そこで様々な資格を取りまくりました。海外で働きたい欲求もあったので、海外でも通用しそうなスキルを磨きました。

 

合格しなかったのであれば、その資格は大学でしか取れないので別のルートを考えなければいけません。正直今の時代、浪人してまで行く価値のある大学、もしくは学部って日本には少ないかな、とも思います。

というわけで今の私のスペックなら、確実にタイ他、東南アジアを狙いたい。

理由は以下の通り。

・入学までに英語をとりあえず勉強する。ネイティブの間で揉まれなくても、しゃべれるようになれば後で鉛は直せる。というか、元々純ジャパなのだから日本なまりは基本的に残る。

そうすると、仮に向こうで大学に入れない事態が置きても、今の時代英語ができたら何かしら仕事はある。それに日本では英語ができる人に対して優しい受験制度になっているところが多い。

・運良くタイの大学に行けたらタイ語も学ぶ。これから発展する国の言語が分かるというのは、現地もしくは日本で絶対ほしがられる。何かしらで。言語はやっぱり強い。自分の理解力が乏しくても、実際に住んで、仲間をタイ人で囲んだら自然と学べる。

・日本より物価が安いので、住むのにお金があまりかからず、親の財布にも優しい。

 

 

と、今の自分だったら考えているかもしれません(笑)

最近LIFESHIFTという本を読み進めているのですが、今若い人ほど、人生の時間はこれまでの先人達よりもはるかに長くなる人が多いです。60歳なんて通過点な訳ですね。 

大学だって一度行けばいいもんでもなくなりそうです。

ただ、大学は大学で面白い場所です。大学に行って思ったことの一つが、ここは仲間作りの場だ、ということです。仲間がたくさんできます。

けれども、ネットが発展した今、自分自身が面白い人間であれば、どんな大学出身の人とも繋がることができる、というのもまた事実です。

最近は海外の有名大学出身者の知り合いも増えてきました。みんなめっちゃ頭良い。

けれどもありがたいことに、自分がやっているプロジェクトだったり仕事だったりに、知恵をたくさん貸してもらっています。

私自身は特に勉強もできないし、何かができるという目に見える悪魔の実的な能力はないのですが、常にやる気と主体性は持ち続けています(笑)

そしてこのモチベーションを維持し続けられていることこそが自分自身の強みでもあったのだなあ、と受験から1×うん年たった今、やっと気がつくことができました。

 

受験期というのはどうしても、よくも悪くも勉強だけに目がいきがちです。偏差値の高い大学に行った人間が偉いようにも見えます。

もちろん偏差値が高い大学に行く価値はありますし、偏差値が低くてもそこでやりたいことがはっきりしているのであれば、自分にとってはものすごく価値があるということになります。

けれども、大学に行けさえすればいいという価値が低くなった今、受験期も就活と同じくらい自己分析が必要な時代になってきたのかもしれません。

何の為に行くのか

考えてみれば、これは大人になってもずっと続く永遠の問いですね。

何の為に生きているのか

けれどもこれだけはいえます。

悩んでもがいた分だけ、人生の色は深みを増して、楽しくなる。と。