昨日も日記で書いてみた【あたしおかあさんだから】の詩の件。
なにやら作者が謝罪する事態にまでなったようですね。
ちょっと前にあったサザエさん問題もそうだけれど、時代にそぐわないから反対って主張するところまではありだけれど、創った人、生み出した人を否定するところまでいってしまうと、ちょっと社会主義っぽいような。
いつの時代も、何かを主張する、クリエイトして発表するということは心が強くないとできないのかもしれないですね。それこそ時代によっては死を覚悟しながら信仰したり、書いたりした人達がいたんですもんね。
個人的には謝罪まではいらなかったんじゃないかなあ、と思います。世間の声が個人に届きやすい世の中って言うのも考えようなんだなあと思います。
さて、はてなのトップにこんな記事が出ていました。
こちらの記事を読みながら、そういえば私の母親ってどんなんだったろ、と考えるきっかけをいただきました。
母はその時代の流れの中では、ごくごく普通の大衆に属するような属性の女性だったと思います。
高卒で事務で働いて、大卒の父と結婚後、父の転勤のせいもあって退職。その後は専業主婦で、私と弟、2人の子どもを育て上げました。絵に描いたような核家族像です。
唯一ちょっと一般的なイメージと違うのは、父側の田舎に住んでいたせいで、母側の実家の方が都会で、田舎のお婆ちゃん家、ではなく都会で電車にもさっそうと乗れるお婆ちゃん家、でしたが。
夏休みはおばあちゃんの家に言って、おばあちゃんと映画をみたり、プラネタリウムに行ったりするのが定番でした。カブトムシは自分の家の周りに死ぬほどいて、山菜やきのこがあるのが日常な私にとって、電車に乗るおばあちゃんは格好良く見えました。
さて専業主婦の母ですが、結婚してから、うちの母は結構いいように手を抜いていた、ということが判明してきました。
《小学校に上がってから、朝食は自分で、ルール》
パンやごはん、おかずなどは冷蔵庫や食品置き場にあって、朝は基本的に自分で用意して自分で食べるルールでした。
弟が幼稚園を卒園するまではわりときちんと作っていたりしましたが、小学校が遠過ぎて、私が弟よりもだいぶ早く家をでるようになったこと。
弟が小学校に上がる頃には、小学3年生の私が簡単な目玉焼きくらいは作れるようになっていたこと。
きちんと使い方を学んだ上でのルールだったので、特に困る事はありませんでした。
聞くと、母は朝が弱いらしく、もっと寝ていたかったから、というところが大きかったようです。
休日は父と9時すぎくらいまで寝ていたように思います。ただ、私も弟も毎日の朝食ルールによって自分でごはんの用意ができるようになっていたので、自分たちで用意をし、朝7時からの日曜日のアニメを見ながら食べていました。
《中学校、朝練したいのならお弁当は自分で、ルール》
中学生になると、私はもっと早起きになりました。地形的に危ないという理由で自転車通学が禁止だったため、徒歩一時間の通学路。雨の日も雪の日も歩いていました。
最初はお弁当を作ってもらっていたのですが、部活の朝練がしたくて早く行きたいと言ったところ、材料などは用意するから自分でやって欲しい、と母はギブアップ。
これを言われる前に、母が用意した弁当の中身が全部ミニトマトだったり(多分畑で豊作だったのでしょう)、という朝に何かをする限界があったのでしょう。
人には得て不得手がある、ということと、母自身から「お母さんは朝が苦手だから協力して欲しい」という話し合いがあった上で、私自身がそれでも朝練がやりたい、という意欲を持っていたので、朝食、そしてお弁当も自分で作るようになりました。
これは後に大学生になったあと、そして社会人、結婚した後までつづくいい習慣になりました。(私は職場で必要がない環境だったのですが、夫があったら嬉しい、でも無理はせず、の環境だったので作り続けています)
《夕ご飯はお父さん、休日は大体そう》
我が家はお父さんが料理をする家でした。父の方が料理上手で、魚のさばき方は父に教わりました。(煮物とかは母ですが)
なので夕ご飯は大体父、ただし、片付けが一切出来ない父だったので、洗い物や部屋の掃除などのその他の家事は全て母でした(まあ、専業主婦ですもんね)
そんな洗い物も、食洗機が登場してからは我が家にいち早く導入されたパソコンを使っていろいろ遊んでいたようですが……
遊んでいるといっても、それがスキルとなってフリーな仕事を獲得していった訳なので、とても生産的ですよね。今思えば。
そんなこんなのエピソードが、結婚してから当たり前ではない事が分かりました。
ごはんもみそ汁も自分でよそうルールがあった我が家。好きな量を自分でよそった方が、量が自分に合う、みたいな感じでそうでした。ごはんが足りなければ自分でフライパンを握って作り足すことも。材料は冷蔵庫にあります。
結婚してから、こてこての九州男児がいる家庭で育った夫に、ごはんをよそって欲しいと頼まれたときは死ぬほど驚いたと同時に、ドラマみたい!と最初は楽しく「はい、あなた」とか言ってやっていました(笑)もう飽きましたけど(笑)
今では夫が私に合わせてもらっています(笑)たまによそってあげるけどね。
他にも夫の母の、母としての完璧さには頭があがりません。教科書のようです。
箸置きをちゃんと使う、とか。ランチョンマットを一回一回違う柄にする、とか。料理の品数は3品以上死守、とか。
私なんて、汁物に具材たっぷりにしちゃったら、夕飯米と汁物のみってふつうにやります。(具材は豪華です。豚肉、人参、ほうれん草、白菜、などありものの野菜をどんちゃか入れます。そして味噌があれば大丈夫)
あれですね、宮沢賢治の『雨にも負けず風にも負けず』に出てくる、玄米なんちゃか、みたいな食事風景です(笑)
かと言って、私に強制してくる事はないので私自身も家では楽に、夫の実家に行ったときは、「ドラマみたい!」と文化の違いを楽しむようにしています。
母の上手いズボラエピソードは他にも色々あったような気がしますが、基本的にはできることとできないこと、をはっきりと主張する、ということが大事なのかもしれません。
また、父が家庭の事情によって実の母親ではなく乳母的存在の女性に育てられた事から、母親神話が嘘である事を体感していたのも大きかったのかもしれません。
というか、昔の貴族ってみんな自分の母親に育てられていないけれど偉人はいっぱいいるじゃないですか。そんなもんだと思います。母親がいた方が良い、ではなく、大人がいた方が良い、となればいいなと思います。
(いなくていい、という事ではないと思います。身近に大人があんまりおらず、一人でいた子どもはやっぱり若干語彙力が低めの子も多いようです。両親が積極的に本等を与えていたらまた違うようですが、放っておかれっぱなしだと会話をしないので知らない言葉が多いようです。そういう子は漢字の読みも苦手だったりします)
母の沽券のためにも書き記しますが、部活動の練習試合の送迎はほぼ毎回欠かさずに参加してくれていました。他に共働きで忙しくて送迎が出来ない人もいた中、専業主婦の母なりにできることをがんばってやってくれて私を応援してくれていたのです。
できること、できないこと、子どもの発達具合とか、アレルギーとか、色々条件は違うかもしれませんが、子どもは子どもで結構やればできるもんだし、私も弟もそれなりに健全に育ちました。
私にはまだ子どもがいませんが、できたら多分、母のようにそれなりに手を抜くのでしょう。もちろん抜けないまでが大変なのでしょうが、世の中の母親像がもっと気楽な物になったらいいな、と思います。
最後によく言われる子育て四訓でしめたいと思います。
子育て四訓
1.乳児はしっかり 肌を離すな
2.幼児は肌を離せ 手を離すな
3.少年は手を離せ 目を離すな
4.青年は目を離せ 心を離すな
子育て、であって母親四訓ではないんですよね。世の中のお母さんが少しでも気楽に楽しく子育てができますように。