くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

映画『イヴの時間』から考えさせられた、「差別」について

 

いつものことですが、ネタバレ注意です。

 

差別という問題はとても繊細だ。

見方もとても多様だし、新しい考え方にぶつかるたびに、ああもっと色んな事を知らなきゃなあ、と思わせられるのも大抵この問題であることが多い。

 

ずっとAmazonプライムで表示があった『イヴの時間』という映画が気になって、やっと鑑賞。

SF系のアニメかな。中二病的な終わり方かな。なんて考えながら見てみたら、思っていた以上に色んな方面に深くて、そして感動的なアニメだった。

 

まずどんな映画かというと、

舞台は「多分日本…」と冒頭で表記されるように、国はどこかは明記されていない。でも、学校の様子とか人々の肌の色から多分日本か、少なくともアジアの中だろう。

まあ、アンドロイドが出てくる未来の話しだから、あんまり関係ないのかもしれないけれどね。

昨年くらいから注目のAIとか、ロボット倫理委員会とか、そういう内容がてんこもりだったから、なんとなく近未来感を感じました。

一言で言うと、ロボットと人間の関わりがテーマになっている映画、って感じでしょうか。

 

 

ロボット達(アンドロイド達)の見た目は人と全く変わらない。違いは頭の上に出る輪っかだけ。

天使かよ。という突っ込みはなしで(笑)

本当に頭上に輪っかが出ています。でも天使的なやつじゃなくて、未来感溢れる、情報が頭上をくるくる回っている感じ、とでも言えば良いのでしょうか。

それ以外の外見的特徴はほぼ普通の人間と変わらず、それがなければどっちが人間でどっちがアンドロイドなのか、区別はつかない。

そんな中、舞台はアンドロイドと人間の区別をしない、というカフェから始まります。そこのカフェの中ではアンドロイドたちは天使の輪っかのようなものを消す事が出来るので、入った瞬間にどっちが人でどっちがアンドロイドなのか、お互いに分かりません。

出入り口もプライバシーが守られる工夫がしてあったりして、現実世界で偶然ばったり出会うということでもない限り、本当にお互いにどっちがどっちか分からないような状態。

ちなみに世界観としては、アンドロイドは物に過ぎなくて、アンドロイドを友達扱いするような人間は、ドロ系と呼ばれてちょっと変な人、扱いされています。何となく、現実世界で言うところの二次元にはまった人を見る目線と同じかも知れません。3次元女よりも初音ミクの方が好き、と言っていると、確かにいいねっていう人よりも、えっ……て驚く人の方が多いかも。

その辺はなんだかリアリティがあるなあと感じました。

 

外からこの『イヴの時間』の世界観を見ていると、明らかに主人公達が考えている、ドロ系に対する考え方が、自分で考えて納得してそう思っている物ではなく、テレビのCMだったり、政府からの広報によって植え付けられている物ってことがよく分かるのですが、主人公達は普通そうだろ、という姿勢を割と長く貫きます。

これがなかなかに風刺的で、普段自分が当たり前に思っている事を疑う難しさ、を問われているような気がしてなりませんでした。

 

 

小さな変化でも、それが積み重なるか、積み重ならないかで未来は変わる

最後をネタバレしてしまうと、主人公のアンドロイドに対する考え方、というのは変化します。本当にただの『物』という存在なのか、自問自答の末、主人公なりに答えを出し、出した答えの先にある未来は、なんだか自由で明るそうです。

これとは別に、政府の動き、というのもアニメ上で少し描かれているのですが、こっちは本当に暗い(笑)主人公達のアンドロイドに対する認識が、新しいものに変化して行く中で、政府(ロボット倫理委員会)の動きはどちらかというと真逆のまま。

これって現実世界でもよくある気がしました。

個人が変わっても、大きな組織が変わるには時間がかかる。けれども、主人公達が見せた小さな変化が積み重なるときこそ、組織が変わる瞬間でもある。対局の流れが今は違う方向を向いていても、本当にあるべき姿が何なのか、本来みんながいいと思っている理想はどこにあるのか、そういったものを追求する人達が存在し続ける事で、その理想が育って行くんだな、という積み重ねて見える世界、というものをものすごく感じました。

 

 

というわけで『イヴの時間』思っていた以上に面白い映画でした。

そして思いのほか、結構泣ける映画でした。