2017年もいよいよ今日でおしまい。
毎日なんでもいいから日記を書くを始めて記事も200を超えました。
今年は表現する、特に『書く』ということに注力した一年でもありました。
はじめはまったく書けませんでした。書ける日もあって、書けない日もある。けれども日記は毎日何かを書くことを目標にしている。だから書けない日でも何かを書かなければいけない。
書くことがある日はいいけれど、思いつかない日はちょっと辛かったり。何を書いたら良いのだろうか、と悩む日もそれなりにありつつ、今は毎日書く事に溢れる日々を送っています。
推敲をしてからアップをしたり、ネットに接続しない日もあるから毎日の更新、にはなっていないかもしれないけれど、日記は毎日スマホのメモ帳につけて、そのアップは欠かさず、ついに今年の終わりを迎えました。
書けないときにはとにかく1行でもいいから、なんでもいいから書きました。
魔女の宅急便のウルスラの台詞が頭の中でぐるぐる繰り返し蘇りました。
「描けないときはもがくしかない」
文章も同じで、「書けないときはやっぱりもがくしかない」
そう思って、毎日毎日何かを書き続けました。
どうでもいいこともたくさん書きました。
毎日の書いて来た日記を読むと、自分の精神状況も見えたりしてなんだか面白いです。
さて、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』これは中国故事、と呼ばれているけれどその起こりについてはっきりした事はよくわかっていないようです。ググっても、この人が言いました、と断言するような記事は見つかりませんでした。
(あってもそれぞれの記事で言っている事がバラバラなので、どれが正しいのか判別不明)
意味としては、稲の穂は実るほどに穂先が低く下がるもの。 人間も本当に偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と接することが大切であり、会社も成長・発展すればするほど、会社の態度・社員の態度が丁重にならなければならない。というようなものです。
世の中で認められている人、一定の成果を収めた人、という人の中には、そのことを武勇伝のように語り、賞賛されています。
自分でもできたから、これくらいがんばったから、もしくはこれくらい頑張れればここまでの人間になれる、といった希望という意味では、そういった武勇伝は一定数必要だと思うし、そういった話しを聞く事は何か参考になることもある。
けれども本当に結果を残し続ける人というのは自分の話しをするだけでなく、年下であったり自分よりも権威をもっていない人の話しもよく聞きます。
自分はそれほどの人間ではない、と良い意味で謙虚になれている人は、意外と少ないなあと、大人になって感じました。
逆に、本当にすごい人はどんなに偉くても学ぶ姿勢が崩れず、心の底からかっこいいと感じます。
自分自身がそれを実践できているか、たまにきちんと振り返って、卑屈ではなくいい謙虚さというのも磨いて行きたい、紅白をみながらそんなことを考えつつ、年越しをしたいと思います。