くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

人間が生きていくに必要な要素への配分がうまくいけば、資本主義はすごくいいのに。

 

WOODJOBを観た。 

 

よくいる都会の、虫もだめで動物の解体も直視できなくて、へなちょこな男の子が、林業の研修を通して成長するお話だった。

 

 

 

資本主義において、第一次産業は弱い。その証拠、というか事実、就労する人の数は減っているし、地方で暮らす人の数は減っている。

増えている地域もある、とはいうものの総数は減っている。

もちろん担い手が少なくても生産ができるようになるのが一番良いだろうし、目指すところではあるけれど、資本主義の世の中では、毎日食べる米や肉や野菜を作る人達よりも、ケータイアプリゲームを作る人達の方が豊(豊の定義にもよるけど)になりがちで、そちらをいいな、と思って選択する人が多いことも事実だ。

 

数年前、東日本大震災が起きた時、というか、その後くらいだったか、都会から地方に講演に来たえらい学者さんに言われたことが忘れられない。

明日から都市機能が壊滅したとしても、君たちは生き残れる確率がとても高いし、きっと都市の人達を助けるのは君たちだ。と。

講演を聴いていた人達の9割以上が、実家で農業や畜産をやっているような、それを生業にしなくても畑の一つや二つはもっているような家ばかりで、震災当時も、電気が通らず、物流が止まっても、水は井戸水。ガスはそれぞれの家庭にある缶から取るから点検だけしてすぐに使い始めて、貯蓄用の食料で特に問題なく暮らすことができた家もあった。(もちろん沿岸はそれも全部なかったから大変だったわけだけど)

 

今、WOODJOBに出てきたような村は、畑を管理する人が少なくなって、土地が荒れ始めているような場所もすごくおおい。

土地が荒れるということは、自然がそこまで浸食してくるということだ。

 

講演が終わった後、こうして実感として田舎の役割を知っている私達ができることは何だろう、と考えさせられた。

もっともっとこの地、この場所を知っているから考えなければ行けないことがある、もっと勉強しなければ、と考えさせられた気持ちを改めて思い出した。