くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

世の中真面目な人間でも怠けたいと思った時が成長していく、という言葉を実感した話

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夫はとても怠け者だ。

 

もちろん生存に必要な最低限度のことは実行するけれど、無駄と分かったり、必要のない物、と判断したこと、ものは容赦なくきる。

しかし、怠け者ゆえに非常に効率的に動く。

一つのことを頼むときに、必ず同時にした方が良いことを考えるし、そして結果同時にした方が良いことを3つくらい一緒にやってくれたりする。

一日のスケジュールを考えているときでも、効率的に移動するルートを考えることはきちんとやるし、電車に乗るときは、乗り換えや降り口が近い号車を調べてのる。

 

怠けていないじゃん、と突っ込んだら、

だらだらしていて動かず、結局周りを迷惑に巻き込むのは怠け者ではなくただの迷惑者だ。

とのこと。

 

そう、夫は自分で自分のことを怠け者だと言う。

 

そしてそんな夫を端から見ていると、学習効率がいいな、と感じる。怠け者故だろうか。実際、高学歴の人になればなるほど、「怠け者、めんどうくさがり」というのは多いらしい。

たしかに、今人間が持っている便利な者だって、昔、楽したいとか、もっと効率的に面倒をなくしたいって思った人達の想いが重なって発明された訳で。

怠けたい、という想いは学習の源であり、必要という感情であり、発明の母なのかもしれない。

 

私はどちらかというと真面目なタイプの人間だ。

学校では素直に、実直に勉強を積み重ねてきたタイプで、いわゆるそれ以上のことをする、ということに関してはそこまで得意ではない。

何と比べるかにもよるけれど、とりあえず夫よりはそうではない、と感じて生活してきていた。

 

しかし、本日、私にも「怠けたい」が故に発生した学習が目に見えた。

それは朝、夫のお弁当を作っているときだった。

結婚、というか同棲を始めたときから、夫のためにお弁当を作っている。

父親が病気していたこともあって、自分のことも夫のことも健康に気をつけて生活したい、という想いが強かったのと、中学生の頃から自分で弁当をつくる習慣があったので、二人分に増えてもそんなに負担でもない、と思っていたところからだった。

夫はお弁当を喜んでくれているのと同時に、毎日無理しなくていいというスタンスだったし、私も自分の繁忙期や体調が優れないときはお弁当お休み宣言ができたのも、続けられた一因だったかもしれない。

 

とにもかくにも、途中お休みする日があっても、弁当を作り続けた。

そんな私のお弁当も、社会人成り立ての頃と比べると、だいぶ進化してきた。

 

なりたての頃はとにかく短い時間で出来るもの、ということで簡素になりがちだったのだが、今は4種のおかずにおにぎり。しかもおにぎりの中身にきちんと具材を入れた上に海苔も巻くという豪華さ(私的には)

海苔を巻く、というのは私の中では一手間で、最近ずっとおにぎりをのり巻きに出来ている自分を褒めたい。

 

そして今日夫に言われたのだ。

最初の頃と比べると、起きる時間は遅くなったのに弁当は豪華になってるよね、と。

 

そう。朝ギリギリまで寝ていたい想いとお弁当作りをいつの間にか両立させるべく、私自身成長していたのだ。

 

お弁当を洗うのが面倒にならないよう、お弁当箱はタッパー。タッパーにはラップを敷いて、そこに銀の器を4つ。その中に作り置きしたおかずたちを投入。

こうしておくと、片付けも洗い物も超絶楽チン、というのは自分の職場にお弁当を持ってきていた男性のお弁当箱を覗いて発見した便利技だった。(奥さんがこうしてると楽って言ってたーと見せてくれた)

おにぎりを握りながら合間にコーヒーも入れて、朝のコーヒーを一緒に飲むことも出来ている。

 

怠けたい、さぼりたい、という人間の欲求、ってすごいな。

と自分の成長を感じた朝だった。

 

これまで割と真面目な人間な私は、怠けたい、さぼりたいという想いはあまりよくない感情で、いつでも頑張った方がいいと思って生きていた。

怠けたい、さぼりたい、は決して悪い感情ではなく、成長させてくれる感情だなと思ったので、これからも大事にしていきたい。