まっすぐにいこう

けいぞくはちからなり。将来ひ孫に見せる私の日記

正しいことが正解ではない、と気がつく時

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本の学校では、正しいことが正解であることが多い。

先生によってはミニテストて記述をつけて、そういった評価をしてくれる人もいるけれど、センター試験の問題は基本的に穴埋めだし、正しい一つを書けば正解である機会が高校生まではとても多い。

 

けれども、大人になる過程で多くの人が気がつく。正しいことが正解ではない、時もあるということに。

噓も方便という言葉もあったり、どう考えても合理的な選択はAなのに自分がBを好き過ぎていばらの道と分かっていても選択してしまう、とか。

 

正しい、をみんなにとって正しいのか、自分に取って正しいのか、どっちにおくの?という前提はあるけれど。

言葉の意味が、道理や法にかなっている。誤りがない。

とあるので、その道理や法って所謂世間ってやつだったり、常識ってやつだったりと考えると、正しいは基本的にみんなにとって、というやつがつく用法で使うのが良いんだろう。

 

とにかく。その正しいことが正解ではない、ということに気がつくまで、私もたくさんの人を傷つけてしまっていた。

気がついた後からは気をつけるようにしているけれど、絶対的な正義ほど怖い者はない、と考えるようになったせいか、その副作用?として他人の暮らし方、過ごし方に対して過干渉にならないようにとても気をつけるようになり、しゃべらない人、と第一位印象で言われるようになって、どうにか発信が上手くできるようになりたい、と思って日記を始める訳だけれども。

 

こういう世の中だったら良いよね

こういう人達が多かったら良いよね

 

理想論は語れるけれど、悪に分類されがちな人達の裏側に隠れたストーリーを深読みしてしまう癖によって、私はいつも悪の味方しているよね、みたいなキャラにもなってしまった。

本当は自分だって嫌いだし、あんまり関わりたくないけれど、その人が他人に迷惑をかけているようで、実はその人自身はよかれと思ってやっているんだろうな、みたいな。

過去の自分がしでかしてたばかりに、その人のことがよく分かる。が故に、そこまで嫌いにもなれない。

 

これが後輩とか、同年代くらいの人だったら全然付き合うし、多分アドバイスもするんだけど、話しを聞く姿勢を失ってしまった年配の方だと、気持ちは分かるけれど自分から何かを言うことも出来なくて、ただただ付き合うのが辛いときもある。

 

そしてそれだって、相手に取っては正しいことであって、相手からみたら私が間違っている、と考えている可能性もとても高い訳で。

 

そんな時、正しいことが正解とは限らない、という視点を持ってくれていれば、お互いに分かり合えそうな気がするのに、と思う。