東京生まれ東京育ち、に限らず、都市部に住んでいる人の声に驚くことがある。高校生の時はいちいちそれに驚いて、いちいち心の中で感情を爆発させていた。
熊を撃ち殺すなんてかわいそう
イノシシを電気ショックで追い払うなんてかわいそう
野菜と自分の命を守りたいのに、大変さを何も知らないくせに。と憤慨すると同時に、知ってもらいたくてしょうがなかった記憶がある。Twitterがあの頃にあったら、多分私はそんなことを呟いて、もしかしたら炎上でもしていたかもしれない。
そんな気持ちも打ち壊されたのは、この一言だった。
鳥を解体するなんて、かわいそうだからやめて。
お前は鶏肉を食ったことがないのか。クリスマスに一度もケンタッキーを食べたことがないのか。と驚くと同時に、物理的には同じ世界に住んでいるはずなのに、違う世界に住んでいるかと思うくらい人がそれぞれ考えていることは違う、と感じた一言でもあった。
以来、誰かに分かってもらおうとする欲求が少し減ったようにも思う。分かってくれる人が分かってくれればいい。
けれども相変わらず、自分たちが食べているものがどうやって出来ているのかも知らずに、横やりだけいれてくる声に苛立ちを感じていた。
しかし、そう言う自分もなんてことはない。自分が何の上に立っているのか理解していなかった。
便利な携帯電話、スマートフォン。どこでどうやって生まれたのか
便利な家電製品。誰がどうやって作ったのか
安いけどおしゃれな服。どんな人がどうやって作ったのか
質問を突きつけられたとき、私は答えられなかった。今でも正確に答えられるほど知っている訳ではない。
世の中の会社の仕組みを知ると、法人税は上げた方がいいと思っていたけれど、もっと会社にお金を還元した方が、政治に無駄なお金が流れるよりも素敵なものがつくってもらえるんじゃないかと思ったり、
海外旅行に行って、子供に物乞いをされた時は、田舎で生まれ育ったことが嫌でしょうがなかった自分の気持ちはどこかにすっ飛んだ。
幸せは誰かと比べるものではないけれど、自分の幸せが何の上に成り立っているのかを考えるには、想像力が必要だった。
傲慢になる前に考えたい。これからも考え続けていきたい。
自分の幸せが何の上に成り立っているのかということを。