先日、iPhoneⅩが発表された。
顔認証とか、ホームボタンがないとか、未来感溢れていて楽しい気分になったのは記憶に新しい。
TwitterやFacebookの自分のタイムラインも、発表の場所になったところが宇宙ステーションっぽいとか、新製品の機能に限らずそんなわくわくした投稿でいっぱいになっていた。
しかし、よくみていると、こんな意見もあった。
直感的に怖い
おもしろさも感じるけど、人間の何かを浸食されているようで怖い
そう、恐怖の感想だ。
途中で友達になった年配のお友達でしょ、とか女子高生のふりしたおじさんでしょ、とか思いたいのだが、発信していたのは学生の頃からのリアルでもしっている友人だ。
当時といえば、ガラケーからスマホに変わっていくところで、やっぱりスマホだよね、と卒業前にはきっちり全員スマホになっていた。あ、嘘。ガラケーとwifiとiPodというやつもいたかも。
別にどんな意見が出たって構わないし気にしない。会話が噛み合なくなれば、自然と距離ができるだろうし、そこを無理矢理付き合い続けなくたって良い、くらい、自分は人間関係にはドライな方だと思う。
けれども、自分が知っている中で、一緒に面白いことやろうぜって言って、これまでにない企画を立ち上げてみたり、お固い頭をした大人に一緒に立ち向かった友人だったはずだった。
若さ故の云々も色々あったし、今は大人側の気持ちも分かるけれども、
その友人は、
大人に対して、知らないことだから怖がっているんだよ。メーリスなんてぜんぜん危ないことないのに、って言ってた友人だった。
大人に対して、あーゆー頭固い大人になりたくないって言ってた友人だった。
大人に対して。
別に恐怖を感じる人はいても良いと思う。そういう人がいてこそ、新しい道具の使い方が精錬されていくと思うし。なんなら最近の某国と某国の言い争いをみていると、こんな小学生のけんかみたいなことしている人の手に核が委ねられているのか、と考えると、人間の精神の進歩は道具についてきていないんじゃないかとも思う。
でも。
あの頃、大人になっても年寄りになっても、新しいことを取り入れる人間になりたい、と共に語り合った友人が消えてしまったようで、なんだか寂しくなった。