くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

パクられてなんぼ、と思えれば何をやっても楽しい

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「パクる」ことについてはすごくいいと思っている。けれども、地方でいろいろ頑張ってたやつを東京で、「私達が先にやりました」って感じでやられると、なんだかえっ?って気持ちになる。

 

と、知人から相談をされました。いえ、厳密には相談ではないのでしょう。女同士によくある、「わかる〜」という共感を求められているやつです。

「わかる〜」と、昔だったら言えたけど、今は言えないや。と思いつつ、へえ〜と素知らぬ回答を返す最近です。

 

本当の意味でマルパクリってものすごく難しい。パクろうと思うオリジナルが大きければ大きいほど、環境やら人材やらの条件が少し違うだけで再現はとても難しい。

逆に簡単にパクられたのなら、きっとアイディア自体は誰もが思いついていて、誰もが知らぬ間にやっていて、たまたまメディアとかに取り上げられた順番が違いましたねって程度のことが多い。

 

それでも環境が違うと進化の仕方が違うから、結果は異なる方向に行く場合がほとんどだ。

 

そもそもパクられることはとても名誉なことだ。すごくなかったらパクろうとまず思わない。最上級ですごいのは国にパクられることだ。パクられて一人前。そもそもいちいち何かにパクられたことに対して何か思うくらいのけつの穴の小ささなら、ビジネスなんてやらない方が良いと思う。

 

もちろん権利があることと、パクるは違う。権利は法律で守られているもの。

けれども何かのやり方をパクってうだうだ言うなら、きっとそのパクられたって言っている当人も、さかのぼれば孫正義さんとかビルゲイツとか、トヨタとかを何かしらぱくっているわけで。なんなら多分まるまんまパクっていることもあると思われるので、著作権をはじめとする権利を有するようなものでないかぎり、パクられてなんか嫌って思うのは筋違いだなと思ったりした。

 

知人はビジネスを立ち上げようとしている人だ。

パクられてなんぼ。くらい心大きく、これからもがんばってほしいな、と心の中でエールを送った。