真夜中のホールケーキ
名実ともに、なんとも甘い響きであろうか。甘さの裏に隠された罪悪感は、食べれば食べるほど感じるのだろう。朝日が昇る頃には罪悪感が勝つか、満足感が勝つのか、それは食べてみなければ分からないのだ。
真夜中のホールケーキは1人で食べると大抵罪悪感に苛まれる。
それがどんなに高いケーキであっても、逆に安いケーキであってもだ。
高いケーキだと、美味しいのだけれどやっぱり途中で満腹になる。よほどの大食漢でない限り、確実に満腹になる。種類にも寄るが、生クリームは腹の中でだんだんと増殖をするのではないかと思うくらいに、お腹はふくれる。
高くて美味しいと言えども、同じ味がホール丸ごと続くとやっぱり飽きる。様々な種類のフルーツがのっていても、凝った装飾が上にのっていても、土台は同じケーキなのだ。
安いケーキだと、取っておいて明日また食べようか、とも思える。時間が経って、多少味が落ちても最初がそこそこの安いケーキだ。そう思って朝日が昇ると途端に食欲が失せたりする。あれは何の魔法なのだろうか。
そしてやっぱり安いは安いなりなのだ。高いケーキよりも早く味に飽きる。味に魅了されることがないから、自分はこのホールケーキを独り占めして食べている、と目が満足して口には以外と入らないものだ。
もう一生ケーキを食べなくても大丈夫、とその場では思っても、何年か経ってふと夜中にケーキが食べたくなったりするのだから、真夜中のホールケーキの魔力は侮れない。
しかし、これが不思議なことに、適切な人数、メンバーで行うと、途端に罪悪感がどこかに消えていく。
あまりにも人数が増えてしまうと、ホールケーキの特別感は薄れてしまうのだけれども、2人、3人などホールケーキを食べるにしては少し少ないくらいの人数で、真夜中のホールケーキというイベントを開催してみると、思いのほか最後まで盛り上がる。
朝日が昇る前の暗がりの時間の中で簡潔するから、朝日を浴びる部屋の中でなんとも言えない悲しい気持ちになることもない。
さらにこの場合、安いケーキよりもやはり高いケーキの方が盛り上がる上に、高いケーキであればあるほど、何か自分たちが特別な祭り事をしたような気分になり、罪悪感がどんどん消えていく。
ホール1万円のケーキを、とても中の良い3人でむさぼり食いながら、おしゃべりだったりゲームをしたりする。最高だ。
次の日に運動もしくはエステの予定なんか入れておいたらもうそれは最高に贅沢なイベントに早変わりする。
真夜中のホールケーキは、1人でやる魔力もなかなかに強いのだが、2人、3人でやるくらいが一番魔力を感じつつ罪悪感という、魔法の反動を受けにくい。
そんなことを考えながら、この真夜中のホールケーキの魔術は何かに似ていると考え始めた。そう、3人寄れば文殊の知恵、と何かが似ている。
何かを始めるとき、それは例えば何かプロジェクトだったり、同好会だったり、新規事業だったり、そういったものと似ている気がしてならない。
罪悪感はリスクなのだ。人数が多ければそれだけリスクは分散されるけれど、多すぎるとリスク以外の利益も考え方も分散されすぎて、目的は達成されない。
ああ、真夜中のホールケーキは新規事業ビジネスと同じだった。
キルフェボンのホームページを夜中に見ると、こんなことばっかり考えてしまっていけない。