くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

9.11で検索してしまった

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16年も経つと、テレビのニュースでは扱わなくなるのだろうか。国内の出来事ならまだしも、海外での出来事だからだろうか。現場にいなくとも、当時生きていた人間としての視点としては、あの件でアメリカという国がどんどん変わっていったなー。節目だなー。と感じるのだが。

 

50年、100年と経ったときに、やっぱり大きな事件で、年号と事件名を覚えておくように歴史の授業で取り上げられそうなないような気がするんだけどな。

 

あの件があったからこそ、戦争は起きたし、しかもまだ続いているようなもんだ。日本にいながら、あんなに戦争に賛成する人って世界にいるんだ、と驚いた記憶もある。日本にいると、とにかく戦争は悲惨で苦しいものだと感じる。

戦争によって科学が進歩し、生活が豊かになったという事実があったとしても、じゃあ生活を豊かにするために戦争を選択したくなるかというと、そういう気持ちはわいてこない。

 

それは過去のことであり、未来はまだ選べるのだから、それならできるだけ苦しむ人が少ない道を取りたい。少ないだけでは足りないのかもしれない。0に近い。それが一番最適な解なのかもしれない。

 

誰かに支配されたことのない人は分からないかもしれない。けれども、親だったり、学校の先輩、場合によっては同級生、職場の上司だったりに支配されたことのある人は、きっと切に感じる人が多いのではないだろうか。誰かの権利を勝手に侵す権利は、誰ももっていない。誰もが尊重されて生きる世界がいい、と。