子どもの頃、夏休みが終わるくらいになるととても寂しい気持ちになった。
そして、終わらなければ良いのに、と思った。
きれいな星空、友達と夜暗くなってから顔を合わすだけでもなんだか特別なのに、さらに花火という名の火遊びをすること。
日中誰に怒られるでもなくずっととんぼを追いかけていても大丈夫だし、太陽光を浴びてキラキラひかる川はとても気持ちがいい。
たまの土砂降り雨は家の中から見ていると、それはそれで非日常感があっておもしろかった。ちょっと成長してくると雷が光った後から音がなるまでの秒数を数えて雷の距離を計算したりしてみた。
かき氷もおいしいし、ソフトクリームも美味しい。スイカも桃も。
夏休みは冒険に溢れていて、わくわくすることしかない毎日だった。
だから、なんだか線香のにおいがぷんぷんし始めると、ああ、そろそろ夏休みが終わりに近づいているんだな、と寂しくなる。
少しずつ空気がひんやりしてきて、みんなそう思っているか知らないけれど、夕日の色も少し変わってくる。
そうすると、ああ夏も終わりなんだな、今年の楽しい夏も終わるんだって、ちょっとじゃないね、結構寂しくなる。
これは小説を読んでいても、ゲームをしていても、漫画を読んでいても同じ現象が起こるということに最近気がついた。
だんだん終わりが近づいてくると、本をめくるスピードは落ちるし、ゲームは進めたくなくなる。漫画の最終巻も一緒だ。
そして終わった後はなんだかその世界に少し浸っていたくなって、ぼんやりする。夏休みぼけってつまりこういうことだと思う。
ぼんやりが少し続いた後、自分の生活とか自分がやるべきこととかがどどっとやってきて、そして前より何かをつかんで新しい自分で自分の生活が始まるわくわく感が秋にはやってくる。
私は最近夢中になれるゲームがない。小説も漫画も変わらず面白いエンターテイメントがあるのに、ゲームだけは子どもの頃ほどはまる物がみつからない。
それもそうだ。最近のゲームには終わりがないのだもの。
課金を続けても、ゲームが終了することはない。
だれが望んで一生夢の中にいたいと思い続けられるか。終わるからこそ、なんだかもう一度読みたくなったり、ゲームをやりたくなったりするんじゃないだろうか。
トランプゲームが一生続いたらいつ自分が勝つのか分からなくなって多分飽きる。将棋もオセロもそうだ。どっちが勝つのか、はらはらした状態はわくわくするけれど、それは必ず終わりがあるからその時間も楽しく感じるんだ。
ファイナルなファンタジーなんて、いかにも終焉をきちんと迎えそうなタイトルなのに、これさえ終わらないゲームになってしまったようだ。
終わるゲームはもうないのだろうか。
夏休みは終わらないで欲しい、そう思っていた私は多分間違いだった。
夏休みは終わるから貴重なんだ。
次にやってくる秋も楽しいし、冬も楽しいからね。
夏が終わる前に夏のキンキンビールを楽しまねば。