くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

目に見えないものが一番こわいのよ

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大人になると、楽しいことが増える。そして楽しいことの分くらい、自分が自分でなくなっていくような、危険なことも増える。

物が絡むような目に見える危険は分かりやすいし、元々学校でもある程度教えてもらえる。一応家庭科の教科書にはクーリングオフのやり方が載っていた記憶がある。

でも、大人になった人なら分かると思うけれど、一番危険なのは目に見えないものだ。

 

思想とか考え方とか、これは目にはっきり見える訳じゃないから、自分自身の自我がしっかりしていたり、元々宗教観がはっきりしている人以外は、自分に取って必要かそうでないかの判断が自分だけではつけられない。

そうすると、その考え方を提唱している人に聞くことになる。これって実はフェアじゃない。相手が、離れていくのもまたその人の道、とかって言って人間に執着していなければ問題ないけど、大抵人間に執着している。

一度引き入れたら離すもんかの勢いで引き込む。それが本気で相手の幸せを願っていようとも、本来幸せなんて人それぞれで、その人の幸せをコントロールしようというのは、冷静に考えると結構傲慢な態度だ。

 

そもそも人の幸せはみんな同じ、って思っている人にはこれは通用しないかもしれない。別にそう考えたければそれでもいいんだけれども、人の幸せはみんな同じ、っていう考え方は、行き着くところに殺人や差別があったりした宗教及び思想の歴史は踏まえておいて欲しい。

 

 

大人になって、昔の友人と会うとたまにこんな話になる。

これ、素晴らしい考え方なんだよ。

これやるとみんな幸せになれるよ。

宗教なのか、はたまたネットワークビジネスか。別にそれ自体を私は否定しようとは思わない。それで救われる人がいるなら救われた方が世の中平和になるかもしれない。

昔の友人を失ったような気がして、なんとなく残念な想いになる人もいると思うけど、そういう人はそういう人だ。

 

私は決まってこう声をかける。

素晴らしいし、リーダーがそんなに素晴らしい方ならマーケティングのプロをやとって様々な手法で広めたら良いよ。出版関係とかメディアの人とつながったら強いんじゃない?

ここで食い下がった人と私はまだ出会えていない。本気出したらお金なんてクラウドファウンディングで集まるし、みんなが幸せになるならみんなを幸せにしてやってくれ。

 

私は特段、自分の現状を不幸だと思っていないし、人生をわりとエンジョイしている、と思う。誰になんと言われようと、夜暗くなってから星空を眺めながらをお風呂、よりも夕方のお風呂が好きだし、風呂上がりのビールは最高だ。キンキンビールにキンキンに冷やしておいた枝豆とかもう最高。

ブータンの国では、幸せを感じるために欲を減らせ、という話があるらしいが、多分私は元々そんなに欲がないのかもしれない。いや、欲がないというわけじゃない。欲の量が現状の私に適量なのかもしれない。

 

何が嫌かって、

これ、素晴らしい考え方なんだよ。

これやるとみんな幸せになれるよ。

って誘う人は、必ず相手が現状不幸だと決めつけて、もしくはこれ以上さらに幸せになれるよ、と欲の押し売りをしてくるところだ。

最初はなんだこの傲慢な人間は!こんな人間になりたくないわ!絶対やらんわ!

と思っていたけれど、

最近、そんな相手を、自分以外の人を不幸だと思うことによって自分のことを相対的に幸せだと自分に言い聞かせているギリギリの人、と思うことにした。

というのは、誘ってきた人の話はあまり聞かないようにしていたのだけれども、ある日誘っていた人の心がプツンと切れてしまったようで、心の病気になってしまったのだ。多分、ギリギリの精神状態だったんだろう。私のことを下にすることによって心を保っていたのかもしれない。

なまじ仲が良かった人だっただけに、悲しくなった。

ギリギリのところで命はつながったようだけれども、それでもちょっと相手が肩をよっかけてもいいと感じられるような、毒気のない友達の1人でいればよかったかなあ、と思うようになった。

 

幸せの押し売りに対して嫌な気持ちは変わりないけれど、相手がそれで心が保てて生きていられるなら、存分に心を保って欲しいと最近は思う。

私は医者でもなければセラピストでもないので、できることは限られているけれど、こうして食事に行こうって、目的が何であれ楽しい時間を過ごそうと考えている人は、これからも大切にしたい。