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けいぞくはちからなり

「エースをねらえ」がスポ根に見えなくなった

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※若干ネタバレあり。「エースをねらえ」

久しぶりに、漫画「エースをねらえ」を読んだ。

タイトルだけならどの世代でもきっと知っているんだろうけど、案外漫画を全巻読んだことがあるか、という話になると、昭和生まれでも多数派にはなれないようだ。

 

私が初めて読んだのは中学生の頃。しかもど田舎暮らしの中で読んでいたので、都会の高校生にはガチでお蝶婦人みたいな人とか、藤堂さんみたいな人がいるもんだと思ってた。100歩譲って藤堂さん、尾崎さんみたいな人はいるかも。

千葉さんが一般のプロメディアよりも先に重要情報つかんでいるとか、現代にそんな描写登場するものならその道のプロからいろいろやいやい言われそうだけど、あくまでフィクション。

 

「エースをねらえ」の解説では、大抵スポ根漫画、と称される。

確かに練習量はきつい。そしてうさぎとびはもうだれもしない。今もしスポ根漫画を書くのであれば、超優秀な分析人物を登場させなきゃいけなさそうだし、その競技の研究も大変な物になりそうだ。

でも、私は今回再読して、「エースをねらえ」はただのスポ根に終わらない、精神成長も伴った、ある意味スポーツをするにおいて大事な要素がたくさんつまった漫画だったんじゃないかと思うようになった。

 

まず初期に、まだぜんぜんへたっぴな岡ひろみが、縁あって当時憧れの遠い存在である藤堂さんと打ち合うシーンがある。

楽しく打ち合うシーンの後の、岡ひろみの気付きが秀逸なのだ。

 

楽しく打ち合えて、お花畑気分の岡ひろみ。藤堂さん手加減してくださったんだわ……あ!みたいな。

そう。手加減してもらっているということは、対等ではないということ。それは想いも一緒で、対等な心を持ったときに、対等に会話ができるというようなことを岡ひろみはここで気がついて、対等に打ち合いたい、打ち合えずとも渡り合えるような広い心を持てるようになりたい、と練習にさらに打ち込むようになるのだ。

 

もちろん手加減してもらって打たせてもらう楽しさはある。全然打てなかったら楽しい。でも、手加減なしで自分の力で相手と対等に打ち合えるような楽しさ。

そう、相手と対等であるが故の楽しさは、感じたことがある人は多いのではないだろうか。

 

他にも、誰かを乗り越える時に起きる摩擦に対応する精神のあり方、自分を伸ばす恋と自分を停滞させる恋の違い、誰かを信じるということ、何かに打ち込むということ。随所随所で、現代人にも考えさせられるテーマが配置されている。

 

もっとも、そのやり方はもう現代に合わないよ、という部分は多々あるのだが、方法論の問題ではなく精神論の問題なのだ。どうやるか、ではなくどのような心持ちで取り組むか、はなかなか革命が起きるようなことでもないようだ。

 

先ほど記録した、岡と藤堂のシーンはかなり初期のもの。

お蝶が岡を励ますシーンも胸にくる物があるし、ジャッキー妹の話や同年代ライバルとも称される宝力との葛藤シーンも現代につながるものもある。

 

女子のスポ根ものって最近、アイドルになる系のものが多く世間に出ている気がするけれど、現代で女子のスポ根ものを描いたらどうなるんだろう。

というか、最近の女子スポ根ものってどんなものが多いのだろうか。

 

何はともあれ、お蝶や藤堂クラスの精神性って高校生かと思うとやっぱりすごい、異次元、超高校級だわ。