くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

雨が降るたびに思うのは、この時代に生まれてよかったってことかな

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

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雨の日の過ごし方、と検索をすると、雨の日でもオススメのデートスポットから、雨の日オススメの一人での過ごし方、とにかく色んな記事が出てきて、これらを読んでいるだけでも何時間かはあっというまに過ぎていってしまいそうです。

エンターテイメントパーク、ゲームセンター、図書館、水族館、映画館、テレビゲーム、ボードゲームソーシャルゲーム、ジグソーパズル、

遊ぶだけでなく、副業してみる、みたいな提案もありました。

 

インターネットもありますし、現代人は天候に大して左右される事なく、楽しいものにふれる機会が多いかもしれません。

私自身も最近は、雨が降っても晴れてもできるような予定ばかりのような気がします。雨が降ったら予定を変更する必要があるのは自転車関係の予定くらいでしょうか。

 

色んな人の雨の日の過ごし方を覗き見しながら、次の雨のお休みはこう過ごしてみたい、というものをいくつか考えてみました。

 

①【アクティブ度★】 家で最高に楽しむ、映画・動画鑑賞デー

  

好きな時間に起きる

午前 

部屋の掃除、家事の類いを全て終わらせる。部屋は無駄に人が家に来る事を想定して片付けをする。

お昼前

近所のコンビニやスーパーに好きな食材、おやつの買い出し。雨が降っているので遠くには行かない。

洗い物を増やしたくないので、できる限りお惣菜で買う。あまり買わない、近所で評判の唐揚げ屋さんの唐揚げ。シューマイ屋さんのシューマイ。あ、野菜も買おうかな。コンビニでサラダセット。あとおやつ。お酒も買っちゃおうかなー。

帰宅後 午後

好きな物をテーブルにセット。コンビーフを出して、ビールを出して。昼から飲むビール最高。さらにAmazonプライムでチェックしていた作品をチェック。ゴッドファーザーみたいんだよね。youtubeでアルティメット人狼も見たいな。

動画を見ながらひたすらだらだら。

夕方

片付け。基本的にお惣菜たちなので容器等を捨てるだけ。片付けも楽チン。

ここで午前中に掃除しておいたお風呂を湧かし始める。酔いが冷めた頃、夕方の早い時間にゆっくりお風呂。ついでにこの前もらった入浴剤も入れてしまおう。

もうお風呂にも入ったのでいつ寝てもオッケー。早めに寝て週明けに備えるもよし。

 

 

②【アクティブ度★★★】予算4000円以内(交通費別)でインドアをやりつくす

 

あえての早起き 軽く朝食を食べて、映画館へゴー!

午前中 

朝に映画を一本。朝早いと、値段も安かったりするし、あと何より休日でも空いていたりするんだよね。

お昼

デパートで12時前にランチ。大体1000円で美味しくて量もそこそこいいランチが食べられる日本って本当にすごいと思う。そりゃ外国からも旅行者がくるよね。

午後

ボードゲームカフェに遊びに行く。最大5時間くらい、2000円で遊べるんだからすごいよね。一人で行っても知らない人達に混ぜてもらえたりするし、新しい出会いもあったりして楽しかったり。普段とは違う頭も使って、脳が柔らかくなった気分に。

 夕方

帰宅。早めのお風呂。

お風呂上がりにいっぱいとおつまみで就寝は早起きした分早めに。

 

 

 

雪国育ちの私は、梅雨時期の「雨の日の過ごし方」よりも、冬の時期、「雪が続く時の過ごし方」の方がなんとなくしっくりくる気もします。6月は梅雨って言っても晴れたら外に出られるし、関東はあったかいですし。

 

さて、次の雨の日はどんなふうにすごそうかな。

 

【東京ミステリーサーカス】に遊びに行ってきました

 

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謎解き・エンタメ大好きな友達に誘われて、TOKYO MYSTERY CIRCUSに遊びに行ってきました。

mysterycircus.jp

 

謎解きするよ!と言われて、なんだかおもしろそー。くらいの気持ちで行ったので、期間限定でよくみかける脱出ゲームの類いに似た奴かなーって思って行ったのですが、そんなちゃちいもんではありませんでした。

ビルの一角が全てこのミステリーサーカスで、まるで映画館で上映作品を選ぶように、謎解きやら脱出ゲームを選べる場所でした。

※帰宅後、ネットでも検索してみたのですが、本当に映画の予約みたいです。

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また、この映画を思い出しました。

この映画でドラえもんのび太達は、自分が冒険したい星(西部劇の星ではガンマンになる、おとぎ話の国では物語の主人公になる、など)を選んで遊びに出かけるのですが、東京ミステリーサークルも、まさにそんな感じで自分が入り込みたいゲームに入り込んで遊ぶ感じです。

 

 

今回友人と私達夫婦含む5人で行ったのですが、友達が予約してくれていたのはこちらの謎解きでした。

ticket.mysterycircus.jp

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『歌舞伎町探偵セブン』という捜査ゲームです。探偵になりきって、実際に歌舞伎町の街を歩き回り、謎を解きます。

事件2、とありますが、事件はどこからスタートしてもよいようです。友達は、あんまり人が死ななさそうなやつ、というところで選んでくれたようです(笑)

ちなみにこちら、歌舞伎町の街中を歩き回ることに加えて、実際にあるお店(お酒を出すお店も含む)にも入って聞き込み捜査をする関係上、18歳以上でないと参加ができないゲームです(事件によては保護者同伴で可能なものもあるようです)

 

 

プレイ料金は、初回が2,500円。2回目以降は2,000円になります。最初に探偵ファイルを渡され、そちらに解決した事件にスタンプを押していくページなどがあるので、500円はファイル代金といったところでしょうかね。

ちなみにすべてのCASEをクリアしたら12,500円。これだけみると高いんですが、2500円で私達グループが遊んだ時間は3時間半。ほぼ映画2本分です(笑)

しかもこれで日曜日の午後いっぱい全部使っているんですよね。歩き回って、スマホの万歩計では14000歩を越えていました(笑)歩き疲れたし、アタマもそこそこ使ったしで、これだけみても、コスパの良さが伝わるかなーと思います。

(しかも映画と違って、歩いている捜査の途中でコンビニで飲み物休憩、おやつ休憩可能!)

某ネズミ王国で休日、人気のアトラクションに並んでる時間で、街全体を使って楽しむゲームに参加できるんですよね。歌舞伎町歩き回って思ったんですけど、結構広範囲ですし、これすごいなあって思いました。

天気はあいにくの雨だったんですけれど、基本的に謎解きが主役なので十分楽しめました。ただ、街歩きの側面がある以上はもちろん晴れている方がいいんですけど、台風とかでない限り、雨でもしっかり楽しめるエンタメだと思います。

 

 

また、別の側面ですが、歌舞伎町という街について知る新しいきっかけにもなりました。

実は私、上京してから一度も歌舞伎町には行った事がありませんでした。っていうか、一般人がいっちゃだめな場所、だと思っていたので、(地方の子でそう思ってる子多いんじゃないかな)脇を通過したことはかろうじて1度あっても、歌舞伎町事体に入ったのは本当に初めてでした。

ゴジラがビルから顔を出しているのはなかなか面白い光景だったし、外国人に流行っているというロボットレストランも発見しました。こんなナイトスポットど真ん中にあったのかー!と驚きと、今度は自分でも行ってみたい、なんて思っています。

危ない側面もある街なんだと思いますが、地下鉄で居眠りしていても安全な国、日本ですもんね(笑)

 

そんなこんなで、歌舞伎町と謎解きを楽しんだ雨の日曜日でした。

また違う友達と行っても面白そうだなー。もしくは夫婦で行っても楽しいかも^^

 

東京ミステリーサークルについて、詳しくレポート・感想書いている方がいらっしゃいました。

www.yuuki-liberty.com

「ゲームの中に入り込んだような...」とありますが、まさにそんな感じでした!人がちゃんとアドリブも入れて対応してくれるんですよ!

 

 

 

 

 

サッカー素人が今更考える、ドーハの悲劇の敗因

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サッカーファンなら知っている、『ドーハの悲劇

私はサッカーに関して、素人中の素人の為、『ドーハの悲劇』という単語は知っていても、その内容については何も知らず、悲劇悲劇言うけど、何がどう悲劇だったの?

とサッカー好きの夫に聞いてようやく知る事になりました。

 

加えて、本日こんな番組を見ていました。

www2.nhk.or.jp

NHK BSで放送されていた番組です。岡田元監督達を始め、日本のサッカーに大きな影響を与えてきた歴代の監督や選手たちによるフリートーク的な番組でした。

サッカーを全く知らない初心者でも日本のサッカーの歴史がよく分かる、丁寧で優しい番組でした。

 

Jリーグは発足からまだ30年ほどであること。

ワールドカップに向けてとにかく予選突破を目標に戦ってきた時代の事。

そしてドーハの悲劇が起きた時の事。

特に、ドーハでの試合の様子や選手控え室での様子について、ラモスさんが語っていたのですが、非常に臨場感がある語り口で、ついこないだ起きた事かのように感じることができました。面白かったです。

 

日本サッカー史において、ドーハの悲劇という事実の大きさについてもなんとなく認識できたような気がします。

ここでのラモスさんのお話は印象的でした。

「先制して選手控え室に戻ってからも、控え室はまだ試合中だというのにものすごい盛り上がりだった。後半に向けてのミーティング、どころではなく、ひたすら興奮して終わった」

みたいなことを仰っていたかと思います。

こういうことは当時から言われていたようで、悲劇が起きた後、

・これがワールドカップに出てからが本番だと考えているチームと、ワールドカップにでること事体が目的になっているチームとの違いだ、とか。

(ワールドカップに出た事のあるチームと、そうでないチームの差)

・戦犯は誰だったのか?検証とか。

20年も前の事ですが、グーグルで検索してみると、多くの人が公の新聞、雑誌に始まり、ブログで記事を書いています。

 

確かに、試合がまだ終わっていないのに勝利気分で貴重なハーフタイムを使い切ってしまう、という行為は、気のゆるみそのものだし、今だったらきっと考えられない事。

当時はまだワールドカップに行った事がなかったチーム日本、だから精神が未熟だし、甘えもあった、という主張には一理はあると思いました。

 

ただ、経験値がないだけだったのか、日本のサッカー史、という大きな流れを番組で見ていて、それだけではないような気がしました。

それは年齢です。

 

ただの印象ですが、サッカー選手って20代前半でわあっと出て来る印象で、しかもずっと走りつづける競技の特性上、選手生命も短い印象。

そこでドーハの試合をみてみると、ラモス選手は36歳でバリバリ出ているし、他にも30代の選手が結構出ています。

いや、これ体力的な要因で負けてるんじゃないか?と思ってしまったのですが、思い込みだけで判別するのはあれなので、各大会の平均年齢調べてみました。

 

 

まず、ドーハに出場していた選手達の平均。一人ずつ誕生日から計算して、そこから平均値を取ってみました。

すると……28.30歳(小数点第3位以下切り捨て)

意外とそんなに高くない?自分が思っているよりは平均が高かった。

 

それでは今年。最近発表がありましたね。こちらは検索したら選手の年齢が表で出てきたので、平均値を計算するだけ♪楽チン♪

すると……28.26歳!

おお、あんまり変わらない!

じゃあドーハの悲劇の時は、特別みんなちょっと年齢が高めだったから最後息切れして後半に入れられたって訳ではなかったのかな。

 

一応他の年の代表選手の平均も出してみました。

2014年→26.82歳

2010年→27.82歳

2006年→27.21歳

 

おや?今年より前、つまり私がにわかに、サッカーって若い選手多いなーって感じていた年代の代表選手達は、確かに若かったようです。

 

世界と比べるとどうなんでしょう?

日本の「平均年齢28.6歳」は何位? W杯出場32か国の“23人”を5つのカテゴリーで徹底比較! | サッカーダイジェストWeb

32中の8位、ということでどちらかというと年齢は高め、といったところでしょうか。

ただ、この記事によると、ロシア大会は総じて高めなようですね。

www.jiji.com

 

ただ、ここまでの調べだけだと、ドーハの悲劇の敗因は年齢だ!と決めつける事はできないでしょう。

ただ、今よりも疲労回復に対する意識も高くなかった時代に、

今だったら交代を上手く使って「温存」という作戦も視野にいれているのを、基本エース選手は出ずっぱり?だったようで。(調べた限り)

 

大会に対する意識とかに加えて、年齢及びそれに対応するための作戦が機能していなかった、ということは敗因の一つなのではないかな、と思います。だってどちらかというと平均年齢は高い方だし。

 

今回も久しぶりに、というか世界的にも平均年齢が上がっているという事で、日本がどんな戦略で戦うのか、そういう比較もできそうです。

 

また、サッカーに関しては全くの素人もいいとこなんですが、こうして一つ視点を入れる事によって、またサッカーが違う視点で面白く見る事ができそうです。

 

がんばれ!日本!

 

隣の人の履歴書の字が雑過ぎて考えさせられたこと

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図書館に借りていた本を返しに行き、さらにどの本を借りようか、何冊か本を持って閲覧席に移動し、目次をチェックしている時でした。

隣の席にちょっと不格好なスーツ姿のお兄さんが座りました。

ピカピカのスーツにワイシャツ。靴も磨かれていました。ただ、顔つきや髪型はオシャレなんてこれまで一切しないで野球に打ち込んでました!と言わんばかりの様子。

つまり、眉毛は全く整っておらずボサボサで、髪もワックスを付けて整えたような形跡はないような、よく言えば純朴そうな、悪く言えば世間知らず風なお兄さんでした。

いや、年齢的にはきっと私の方がお姉さん、なので、男の子、とでも言っておきましょうか。

 

男の子は黒い鞄からクリアケースを出して、自分の履歴書を出し、真っ白な違う履歴書に写し始めました。

私はあんまり他人をじろじろみるのはよくないと分かりつつも、これから社会への一歩を踏み出そうとしている彼が何をしようとしているのか、という好奇心が勝ち、横目でちらりと様子を伺いました。

 

彼の姿は私からみると、かなり異様に見えました。というのも、履歴書を書き進めるスピードがとんでもなく早かったのです。

とんでもなく早く、美しかったら、ほぅ、と感心するだけでそれ以上の興味は持たなかったかもしれません。

が、さらに驚いた事に、彼が書く字は非常に雑で、文字によっては枠線からはみ出そうなものも。

 

私がちらりと見ている事に気がついて、読み解かれないように雑に書いていたのでしょうか?実際に私には、彼の書いている字の半分は読み解けませんでした。

 

もう私はお姉さんとして心配です。高校生くらいの彼に、履歴書は字は上手くなくてもいいけれど、丁寧に書かないとダメだよ、と教えてあげたくて仕方がありませんでした。

彼が自分の履歴を書き終えて、私は不要な本を棚に戻すために立ち上がったとき、ちらっとまだマシな字で書いてあった写す元となった方の履歴書が見えました。ここで彼は高卒ではなく大卒である事が分かりました。

 

だったら就活仲間、というのも周囲に多いはず。仲間内で指摘してもらえるかなあ、と妄想をしながら、私は本を返しに行きました。

 

 

本を返しながら思った事はこんなこと

・履歴書の字があそこまで雑で、どんな会社を受けるのだろうか、どんな会社にそれを提出するのだろうか

・そもそも履歴書なんかをキレイに書くってどこで学ぶのか

 

 

まず履歴書の字。中学3年生の担任の言葉をふと思い出しました。

「上手くなくても良い、ただし雑に書くのはダメ。下手と雑は見分けられる」

実際大人になってみると、ただ下手なのと雑なのとは結構見分けられるもんだな、ということが分かりました。下手でも一生懸命書いている人はまず筆圧が違います。それから枠から大きくはみ出たりしないし、丁寧さがあれば、はみ出たと思った瞬間、それがペンなら書き直すし、鉛筆の下書きであればそれこそ丁寧に優しく消しゴムかけをします。

中学3年生、高校の受験票を書いているときに、担任の先生が口を酸っぱく教えてくれました。受験票の書き方以外にも、山折谷折りを丁寧に折ること、とか、点線はキレイにまっすぐ切り取ること、とかも。

担任の先生は、技量とかテストの点数も大事だけど、全てが僅差でどっちが勝ってもおかしくないよね、という接戦の戦いになったときは、こういう細かいところで勝負がついたりするんだよ、とおっしゃっていました。

なるほど、と素直に思えたのは、私の同級生の中には金銭的な理由から、1年間働いた後に来年高校受験をする、という友人も何人かいて、彼らは受験票ではなく就職の為の履歴書を書いていたからです。

これは学校社会だけでなく、普通に働くようになってからも大事な事なんだな、というところから、すごく説得力をもって私の心に落ちました。

 

私は思いがけず、こういう履歴書とか大事な書類は丁寧に書くもんだ、ということを中学校で、高校受験を通して学びました。このとき学んだ、二十線を引く時は定規で、ということに救われた事も実際ありました。

 

ですが、今日であった彼にそんなことを教えてくれる人はいなかったのか、はたまた言ってくれる人はいてもそれを彼は聞いていなかったのか、ただ図書館で隣の席になっただけなので、そんなことは今後も知る由はありません。

 

 

でも、よくよく考えてみれば、これからの時代履歴書ってきれいに書く必要とか能力って必要なのだろうか?とも思います。

もちろん中学の時の担任の先生の言ったお言葉は仰る通りで、何かギリギリの勝負をした時、こんなことが?という些細な事が勝敗を分ける事に繋がるのは少年マンガでもおなじみですし、そういうことも在るんだと思います。そしてこれはきっと、履歴書に限らず、色んな事にも言えるんだと思います。

前の人が書類を落としたときに咄嗟に助けられるか、自分が元気な時で、具合が悪そうな人が電車にいるのを見かけたら席を譲る行動に移せるか。

それがどっちの方向にどう動くかは分からないけれど、確かに、行動した事実は自分に積み重なっていきます。

 

それでも、これからきっと、そろそろ履歴書はパソコンで作ってメールで送ってね、みたいなことももっと増えるだろうし、(その人の文字を綺麗に書く能力を見たい会社でない限り)そもそも50年後には履歴書っていう形はまったく違う形になっているかもしれないですよね。

それこそSNSの履歴が履歴書代わりになるのかもしれない。

 

隣の彼は確かに履歴書に対して雑でした。でもまあ、彼は彼。間違っているかどうかなんて、最終的には彼しか分からないし、それは彼の人生において最終的には正解になるのかもしれない。

 

私が再び本を持って戻ると、彼はちょうど席を立とうとしていました。

黒い鞄に先ほどから書いた履歴書を仕舞い、席から立った時、彼の靴下がチラリと見えました。

 

靴下は縞模様でした。

ですがもう驚きません。私は次にこんなことを考え始めました。

「スーツの着こなしに関するビジネス」について。

 

アフリカのことわざから考えさせられた、ゴールに辿り着く為の哲学

 

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 「早く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければ皆で進め」

ーアフリカのことわざ

 

 

今日読んだ本に書いてあったのですが、初見ではなく、何となく聞いた事はあったような気がしたのは、この映画を見たせいかもしれません。 

スーダンからの難民がアメリカに渡ったその後を描いているのですが、作中に難民達がどのようにしてキャンプに辿り着くのか、という描写があります。

そこで知ったのが、彼らは何百キロという気の遠くなるような距離を歩いて国境を越えて他国に逃げ込んでいたという事。

ある村で生き残った若者(日本だったら子ども)達がひたすらみんなで協力して歩き続ける姿を見ていると、一人じゃ絶対辿り着けない(というか気力が持たない)、みんなで歩くから歩き続けられるんだ、と強く感じたシーンでした。

 

今日このことわざに出会ったのは、この本の中でした。

一人の作者にハマると、しばらく同じ作者で本を選んで読み続けるんですが、これもそんな経緯で出会った一冊。

今やe-スポーツとか言われて、プロゲーマーという言葉も少なくとも若い世代には膾炙されてきましたが、その先駆者的存在である梅原大吾さんと社会はブロガーちきりんさんの対談をまとめた本です。

 

普通の人の角度よりも圧倒的に鋭い角度の視点からの意見が飛び交っている1冊でした。対談というと、ジャンルが似ている同士、意見の方向性自体は似ている同士、が多いかな〜という印象で読み始めたのですが、この2人は人生の位置づけという本質は似ていても意見自体は結構逆だったりして、読んでいてとても刺激的でした。

こういう対談を読んでいると、自分も思考を鋭く磨いて、全然違う角度のこれまた鋭い人とお話しできるようになりたいな、と思ったり。

 

この対談途中ででてきたのが、冒頭で出したアフリカのことわざでした。

梅原さんはプロゲーマー界でのこと、ちきりんさんは日本の製造業ののし上がり方を例に、一人きりで国内ナンバー1になっても、それは国全体のレベルを上げる事にはならない、ということをお話しされていました。

 

梅原さんは自分自身の技を惜しみなく、すぐに周囲に話す事によって日本全体を底上げし、結果として日本は全体として強くなれた、という結果がついてきた。

ちきりんさん曰く、これは一昔前の日本の製造業でも同じ事があったようで、生産管理とか品質管理をみんなで教え合って、オールジャパンが世界に認められる事を目指したそうです。アメリカだとコンサルに高いお金を払ってノウハウを買わなければいけない状況だったところ、日本はお互いに無料で教え合っていたのだとか。

全然そんなこと知らなかったし、調べようとも思った事がなかったので、日本ってそんな事してたんだーと正直びっくりしました。

 

以前にマッキンゼーの仕事術に関する本を読んだとき、マッキンゼー社員は良いと思った事はお互いに出し惜しみせず、教え合って全体のレベルアップに努めているんだ、という内容があって、さすが世界のマッキンゼー!意識高いな!とか思ったんですが、日本の製造業が、それを会社という垣根を越えてやっていたんだ、って思うと会社内だけでやるよりすごいことだし、製造業が世界という舞台に行けた事実にも納得だなあと思いました。

 

また、このことわざから最近たまに話題に出る、「インクルーシブ教育」のことも想起させられました。

h-navi.jp

ざっくりいうと、これまで障がいのある子どもたちって、特別支援学校(旧盲学校・聾学校養護学校)に行ったり、支援学級に行くにしても自校ではなくその地域の子達を受け入れている別の学校までわざわざ特定の曜日、特定の時間だけ子どもが通っていたり、とにかく普通級とは分けて、というところが大筋でした。

 

しかし最近、できるかぎりみんなが同じ場所で学べるように配慮する、例えば子どもが通う形式だったのを支援級の先生が子どもの元にやってくる、みたいな配慮の方向性に変化してきたのです。

障害のある人でも健常者でも使いやすいような物をユニバーサルデザインって行ったりしますが、方向性としては、学校・教室という場所、環境をユニバーサルデザインにしていくって感じ、という表現が個人的にはしっくりきています。

 

そもそも社会に出たら、いろんな人がいるっていうのは前提なはずなのに、人間関係を学ぶ場所でカテゴライズをしていたら、確かに本質的な学びにはなっていませんね。学校が社会の縮図、リアルな社会を学ぶ場に、という意味付けをするなら、とても大事な事なんじゃないかなあと個人的には思います。

そりゃあ、勉強をスピーディーにすすめるべきなら、「早く行きたければ一人で進め」ということですが、「遠くまで(人が辿り着きたい未来へ)行きたければ皆で進め」ということで、結果的にゴールに辿り着くためには、色んな人がいる中で学ぶ機会も結構意味がある事なんじゃないかな、と思いました。

※もちろん時期によっては、それぞれ個人が手早く学べる場所を選んで進む事も大事だと思います。遠くまで行くにしても、時に仲間の一人が早く進んで、危険を察知することが必要なように。

 

 

早く進む事=ゴールに辿り着ける、という式は必ずしも成り立つわけではないと考えています。

というのも、もしも早く進む事でゴールにきちんと辿り着けるなら、エリート教育(一部の優秀層ががんばって世の中を良くしてくれる)はもっと崇められ、世界中でたくさん行われているような気がするのですが、必ずしもそうではないし、歴史を見ていると、必ずしもエリートが世界を平和な方向に導いてきた訳でもないです。

それこそ昔の白人が白人だけで、のように一部の人種だけで、日本で言うなら男性だらけの会議……ではなく、いろんな国の人が一緒になって、また、男性だけでなく女性も交えて色々考えている現代の世の中の方が、私達人間が望んでいるような世界に近づいているんじゃないでしょうか。

 

 

私は人にとってのゴールって、急げば辿り着くような場所にあるわけではないと思っています。そもそも何がゴールだよっていう話は置いておいて、最小被害で最大幸福を、ということを考えたとき、そこには「遠くに行きたければ皆で進め」という哲学が私達には必要なんじゃないかな、と思います。

 

 

梅雨入りすると夏にやりたい事を思い浮かべ始める

 

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近所を歩いていたとき、アジサイの開花が早いなーと思っていたのも束の間。梅雨入り宣言、というフレーズがテレビから聞こえて来るようになりました。今年は梅雨入りが早いですね。

 

梅雨に入ると、じめじめで嫌だなあ、と思うこともあるのですが、それ以上に、もうすぐ夏じゃん!今年は何しようかな?とワクワクもしてきます。

 

気の合う仲間とビアガーデン。暑いときに飲むビールって美味しいんですよね。私は冬は日本酒を熱燗でいきたい派で、夏はビール党です。(発言が完全に同世代では少数派ですが)

けれども最近は何でも揃った家に籠って、家の中でお酒や食事を楽しむのも、結構アリだなって思ってもいます。好きな物を好きなだけ用意できるし、コスパも良いですし。

ちょっとやってみたいのが薫製パーティー。

この本を読んでから、家で薫製が手軽にできそうだな、と計画を練っています。 

 

中華鍋で薫製ってできちゃうらしいんです。この本によると。

薫製もビールも大好きなので、この夏は薫製にでもチャレンジしてみようかなー。

 

もう一つやりたいこと、それは友達と海に行く事!

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海が遠い環境で育ったので、海で遊ぶって経験が乏しいのと、友達同士で海なるものは実は1度しか行った事がありません。

それがとても楽しかったのと、当時はまだ高校生だった事もあって、火気を使うようなバーベキューとかはしていないし、車なんかじゃなくてみんなで電車で行きました。(みんなは電車で1時間30分くらいのところ、私だけ家が遠いので、倍以上の時間かかって行ったのも良い思い出(笑)

大人になった今、誰かの運転でみんなでワイワイ海に行ってみたーい。

 

というわけで、梅雨に突入しましたが、私の頭の中はもう夏のことでいっぱいです。

 

 

目標であった1年間、毎日日記を書き続けて思う事

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ついにこの日がやってきました。記事番号は365。何の記念日でもないこの日をこれだけ意味ある日に捉えられるのは、1年前、このはてなブログのサービスにちょちょっと登録した、という1つの行動から始まっているんだと思うと、なんだか感慨深いです。

くろやんの日記ブログ「まっすぐにいこう」は1周年を迎えました。

 

1番最初の日記はこんな感じ

kuro-yan.hatenablog.com

 

当初の目的(理由)と言えば

★卓球的会話(対多人数)に対する発信力を上げたい

という所が一番の理由でした。

とりあえず不特定多数に向けて発信(アウトプット)トレーニングを積みたい、みたいなところから始まっている訳ですね。

 

そして決めたルールがこんな感じ

①2018年6月6日まで、つまり1年後まではとりあえず毎日書く。1行でもいいからなんか書く。

②思ったことは書く。ドロドロしたこともかく。

③夢は書いてもいいけれど、嘘は書かない。

 

①については毎日がんばって書ききりました。メモや下書きに書いておいたまま、アップするのは数日後、というのはざらにありましたが、日々思った事を記録し続けることは、今やしっかり習慣になりました。

始めた当初は3日坊主を恐れ、1日1行でもいい、というハードルの下げようでしたが、ハードルを下げていたのが功を奏したのかもしれません。

②も③もしっかり守れたかな〜と思います。

ただ、公開している以上、読者数が増えてきたところで(50人を越えた辺りで)見られている、読まれている、を意識し始め、

★何の為に書いているのか→将来自分のひ孫にみせたい(目的の明確化)

★日記以外に記事をカテゴライズすること

に加えて、ドロドロしたこと、を避けるようにはしていたかもしれません(笑)

 

元々の目的であった、対多人数とのコミュニケーションについてですが、昨年と比べると、得意とは言えずとも、苦手という意識は減った気がします。

ただ、ブログの効果、というよりも、昨年夏頃からはまった人狼ゲームとの相乗効果によるところが大きいのかな、とも思います(笑)

昨年の自分よりは、集団の中で自分の意見を言うのが上手くなったと思います。

 

日記を書き続けてみて、予想外の自分の成長もありました。

それは、

★文章を書くスピードが上がった事(それによって書ける文量も増えた)

★日常に対する視点について、一度に考えられる角度が増えた事

です。

 

★文章を書くスピードが上がった事、については日記(ブログ)を書き続けている人であれば多くの人が感じる事なのかもしれません。素直に、練習量は裏切らないんだなあ、と感じました。もちろんただ量をこなすだけ、だと成長の停滞を一定のラインで感じる瞬間は訪れる訳ですが、何も始めていない時の自分と書き始めた自分を比べれば、その差はよく分かります。

最近なんて、1行で終わる日記はほぼないです。初期は本当に毎日の文章が超短い(笑)お前もっと書く事なかったのかよって突っ込みたくなるくらい短いです。もはや俳句。いや、俳句って言うのも失礼かな。

 

★日常に対する視点について、これは他の人の日常考えた事に関する記事を読むようになったおかげかもしれません。ブログを始めて、書く以外に増えたのが他の人のブログを読む時間でした。稼ぐ為にブログをやっているプロブロガーの方から、ただつらつらと日常感じた事を書いているのんびりブロガーさんまで、とにかく色んな人の文章を読むのがとても楽しかったです。

住んでいる地域によって、また年代によって着眼点が違うのも面白かったですし、はてなはエンジニア系の方が多いおかげか、エンジニアに関わる知見も増えたような気がします。ビジネス系も多いですよね。本当に勉強になります。はい。

 

 

さて、無事目標は達成された訳ですが、1年間を経て、今思う事はこんな感じ。

◆自分自身の思考力向上ツールとして、日記は続けていきたい(つまりまだ毎日書き続けたい)

◆公開するからには、価値あるものを生み出したい。書きたい。

 

そう、1年間旅行に行っている時も毎日書いていたというのに、私はまだ毎日書き続けたい欲求があるようです(笑)

書く事によって自分自身の思考力がどんどん洗練されて行くなあって実感があったのと、それはこの半強制的なアウトプットの場を持ち続けたからかな、と思っています。ブログって結構シビアな場所だとも思うんですよね。自分自身でも分かりやすく書けたなあって日はPV数も伸びるし、適当に絞り出した日はほぼ読まれていません(笑)

それは匿名でやっているからならでは、でもあるように思いました。FBとか実名がくっつく場所だと友達が見てくれますが、匿名だと0スタート。

1から信用を築いていく活動は結構楽しかったです。

 

公開するからには、価値ある物を、というのは最近人様の日記を読んでいて思った事です。

1年経つという記念に向けて、有名な日記、というのをいくつか読んでみたりしたのですが、日記という閉鎖的なモノなはずなのに、どれも読んでいて楽しいんですよね。いくつか読んでみて、ああ、日記も楽しめるエンタメになり得るんだなあ、と感じました。

私自身は、とりあえず自分のひ孫が読んで、この時代に生きたひいばあちゃんはこんなこと考えてたんだー。とか。ひいばあちゃん、私と同い年の時ってこんなこと考えて生きていたのね。みたいなツールになったら面白いな、くらいにしか考えていなかったのですが、読者数が100を越えた辺りから、人様に読まれている、100人の読者さんが面白いなって思ってくれるような日記を書きたい、という欲が生まれました(・ω・)

そんな中で読んだ本がこちら。

ちきりんさんの『「自分メディア」はこう作る!』面白くて、よく読んでいるブログなのですが、そのブログのメイキングって感じの内容です。

 

日記はエンタメにまでなれるんだな、と思ったのと、もっとあった出来事の事実だけでなく、自分のアタマの中を書き残したいな、という気持ちが湧きました。

 

人の頭の中っていうのは本当に面白いです。自分の中にはないものが眠っているし、そんな視点もあったのか、というのは違う人間だからこそ生まれるもの。

それに現代は、その人の頭の中で考えた事、の価値がとても大きい時代にもなったんじゃないかなあと思います。

モノ自体の価値もまだまだあるけれど、例えば本屋さんであれば、本そのものを売る場所っていうよりは、どんな本がお薦めされているか、本にどんなポップが書かれているか、『本の目利き力』みたいなものが売られているんじゃないかな、と思います。特に地方の書店とかはそう。

個人的には岩手県のさわや書店のポップが面白くて好きだし、岩手に行く際には本屋に寄って、今どんな本にどんなポップが貼られているのか、見に行きたくなってしまいます。

 

他にも、私は、インスタを見て服のコーディネート、とか、それこそブログを読んで、使い勝手の良い家電製品の情報とか、生活雑貨の情報を仕入れます。

ただ家電や雑貨のスペックが書かれていても面白くなくて、その人がどういう経緯で、どういう必要感(思考過程)をもってその物と出会ったのか、という部分がすごく大事で、それが自分と似ていたらAmazonでぽちっと注文です。

そしてそういう買い物って間違いとか失敗が少ないんですよね。思考過程が同じでその結論に至っているせいかな。

 

長くなりましたが、それだけ人の思考って面白いし、頭の中って面白い。自分自身も、そういう思考を残した方が、面白いし、ひ孫も面白がってくれるんじゃないかな、と思いました。

 

というわけでまた1年間、今度は価値ある文章、という少しハードルは上げますが、また毎日こつこつ頑張りたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

 

《おまけ》

2018年6月5日現在 読者162人 ありがとうございます!^^

今日までのアクセス数 9741

そう言えば一度だけ、プチバズりが発生していました。サイトの平均は1日30〜50アクセスなのですが、その日は1日で448アクセス。いつもと桁が違うので、最初カウンターが壊れたのかと思いました(笑)その記事はこちら↓

kuro-yan.hatenablog.com

 

思考の時間の測定、始めて見ました

 

一日のうち、自分が考えている時間ってどれくらいなんだろう?

 

人気ブロガーちきりんさんの著書を読んで、普段自分が「考えている時間」について意識するきっかけが生まれました。

というのもちきりんさん、日記を書くにあたって、とにかく時間をかけているのが「考える」という過程です、とおっしゃっていたツイートをみかけて、

★そもそもちきりんさんの言う「考える」って具体的にどういう行動を指すの?

っていう疑問をもったところからこの本を読み始めました。

 

そもそも何が、どういう定義が「考えている時間」なのか、というところから親切丁寧に解説されており、スケジュール帳なんかに自分の行動記録をちょっと取ってみれば、あとはどこが「考えている時間」で何が「作業している時間orその他」なのか、ジャンル分けがすぐにできる、といった具合でした。

 

試しに6月初めの1日の行動記録から、自分が思考した時間を計ってみると……

なんと1時間30分ほど!(@◇@)

睡眠時間や食事、お風呂の時間を抜いて、一日の行動タイム(仕事タイム)を10時間くらいだとしても、思考時間1時間30分(笑)

自分でもびっくりしましたよ。はい。

だって、10時間のうち1時間ちょっとしか考えていないって……もっと自分って考えて生活していると思っていたけれど、違った……。

 

ちなみに30分は日記を書くにあたって考えていた時間です。残りの1時間くらいで仕事に関することを考えて、そしてその後はアウトプット。

その日が特別アウトプットが多い日だったのか、とも思えますが、5月の記録を見てみても、案外考えている時間よりも、インプットの時間(知識を得るだけ)に偏っていたり、いわゆる「作業」をしているだけだったり。

思考する時間を増やす為にも、

◎目的意識(ゴール設定、意思決定プロセス)

◎なぜの次に、だからなに?と自分に問う事

の重要性が本当によく分かりました。

 

人が考えた事、を読んだり見たりすることはとても楽しいです。

思考が練られている人の文章ほど、多少文に誤字脱字があっても読み進めてしまうし、他の人のただの日常なのに毎日ブログをチェックしに行ってしまうのは、その人の思考が面白くて、よく考えてアウトプットされているからなんだろうな、とも思いました。

 

日記を書き始めて1年ですが、「よく考える」「練られた」日記の方が、将来的にひ孫もきっと楽しんでくれるだろうし、何よりただの日記なのに読者登録してくださっている161人の方々に対しても、ただの日記でもより価値のある日記をお届けできそうだなあ、と思いました。

 

というわけで、思考の時間の測定、しばらく続けてみようと思います。

 

 

ガーデニング始動!

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やるぜやるぜ言って、ようやく始まりました。

日曜日、夫に頼んでホームセンターに連れて行ってもらいました♪

 

それにしても、今時のホームセンターには園芸コーナーがおしゃれで目移りしっぱなしでした。

www.cainz.com

 

庭も整備できたらそのうち写真撮ります♪

 

今更感あるけど、BACK TO THE FUTUREにハマった

ジャンル SF, アドベンチャー
監督 ロバート・ゼメキス
主演 マイケル・J・フォックス, クリストファー・ロイド, リー・トンプソン

1985年 115分

 

いやこの映画、面白いですね!かなりの名作であることも知っていたし、なんなら2015年はこの映画で描かれた未来と今どう違う?みたいな特集もテレビでやっていたような気がするのに、その時でさえ鑑賞しませんでした(笑)

 

★タイムトラベルなりのルールに在る程度したがっているので、思っていたよりハチャメチャでもない

タイムトラベルものって、パラドックスがどうこうとか結構理解が大変だったりすることがあるんですが、『バックトゥザフューチャー』は理解がしやすい方かな、と思いました。ドク博士が説明してくれるしね。

行ったり来たりするんですが、「宇宙が壊れてしまう」とか、時間の切り替えポジションは宇宙によって決められているのでは、的な肝心な部分は人間が知り得ない大いなる力の存在をちらつかせたり、ドラえもんよりも現実的なタイムトラベルだなあと感じました(笑)

 

★主人公の思考回路が超単純で、憎めない

勝手なイメージですが、古い映画の主人公って一つ行動パターンが決まっていて、思考回路もかなり単純なような気がします。(それはハリウッド映画だから?でも最近の流行って内面が複雑な物が多い気がする)

スター・ウォーズルーク・スカイウォーカーにしても、マーティ・マクフライにしても、行動基準が見ている側に分かりやすく、そろそろ学習しろよ!と突っ込みたくなりつつも、そこにコメディ要素が生まれていたりして、飽きずに見る事ができました。

 

2、3とあるので続きを見るのが楽しみです。

現在Amazonプライムで会員であれば無料で見ることができます。