くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

勉強が得意な人を観察して発見した習慣5つ

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私は勉強(学校の)がとても苦手です。短期記憶関係が苦手なので基本的に小テストの類いはボロボロでした。

大人になって、自分を分析してみて発見したのは、自分は無意味な羅列を覚える事は基本的にほぼできないけれど、繋がった線を意識できれば、それは全部覚えられる事。

一度通った道は基本的に全て覚えている、という謎の能力のおかげで、あまり迷子になったことはありません。(ただし初めての場所に地図を見ながら行くのは時間がかかります)

 

そんな自分の分析ができるようになったのは、周囲にいわゆる勉強ができる人、過去学校の成績がとんでもなくよかった人と一緒に過ごす時間が増えてからです。

彼らと出会って、そんな少女マンガの設定みたいなやつって本当にいたんだ...とマンガのキャラはぶっとんでいるようで実は本当に実在しうる、説が私の頭の中で立証されました。

(野球の大谷選手とか、将棋の藤井先生とかが出てきたので、多くの人がそう思うようになった最近...でしょうか)

 

そんな彼らをよく観察していると、なるほど、それを学生時代に知っていたら、私ももう少し勉強ができていたかもしれない、と思うような習慣がみられました。

もちろん彼らは彼らでぶっとんだ能力値があるからそこまでの人になったんだろうなあ、と思わせられる訳ですが、よーく観ていると、あれ、それなら私にもできそう!と思うような行動もある訳です。

 

 

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1.秒で調べる

ドライブをしている時、みんなでボードゲームをしている時、料理をしている時、ご飯を食べている時。とにかくいつでもどこでも、唐突に「これってどういう意味だろ?」っていう疑問が出て瞬間、全員スマホでぱぱぱっと調べ始めます。

(そして調べた事を共有し始めます(笑))

夫も、ドライブ中に何か疑問を見つけると、すぐに私に検索するよう指示します。おかげで私自身も、何か分からない事が合ったときにすぐスマホでとにかく調べてみる、という癖がつきました。

癖がついてから気がついたのは、これによってPDCAサイクルが回転する速度がこれまでよりかなりスピードアップする、ということです。

調べる→知る→新たな疑問を調べる・・・回答(データなど)が出てきたら、それに対して自分なりに感想、意見を持つ。

こうすることで自分の思考が形成されていくし、誰かと話していてこの話題が出たときにもすぐに反応する事ができます。

 

 

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2.秒で連絡を返す

もちろん非常識な時間や緊急事態には連絡は帰ってきませんが...基本的にどこか電波の通じないところにいない限り、24時間以内には返事が返ってきます。

ちなみに超田舎にいたときの友人達の多くは、連絡は1週間くらい待ちます。LINEです(笑)手紙ではありません(笑)

どうでもいい連絡だったらそれくらい待たされても私はなんとも思いませんが、急ぎの内容とか、遊びの誘いとかについて返事がない場合、私はこの友人には自分は切られたのかな、と思い、その後一切こちらからの連絡をしていませんでした。

が、久しぶりにたまたま直接会ったときに、くろやんちゃんだけあんまり連絡とれないって言われました(笑)

いや、みんな私に連絡返してくれないから以降催促しないだけだよ(笑)

 

話は逸れましたが、秒で連絡を返すって自分のところでいつまでもボールを持ち続けない、誰かに渡す、ということなのかなあ、と思いました。

1番の秒で調べる、にも通じるのかもしれないけれど、分からないもの、やらなければいけないことをそのまま放置しない、ということ。

できないならできない、やりたいならやりたい、そんな意思表示がはっきりできる人は、勉強自体が不得意でも社会に出て活躍していたりしますよね。

自分は勉強苦手って人で頑張りたい人は、せめて連絡だけでもがんばったら良いんだと思います。

 

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3.人の話をよく聞く

アーティスト系の天才はあまり人の話は聞いていませんが(笑)努力の積み重ねで高学歴な人達は、人の話を聞くのがとても上手。

話を聞きながら、相手の話の要点を抑えて、相手も自分も話し終わった後にすっきりしている、なんてことが多いです。

私は自分自身の考えがまとまらなくなったとき、彼ら彼女らに話を聞いてもらって整理整頓しています。

彼らの一人はこう言っていました。

例えば学校。先生だって意地悪してテストの点数をとらせまいとしているわけじゃないし、むしろ僕たちに点数をとって欲しくて一生懸命話している。

だから先生の気持ちをよく考えながら先生の話しを聞いてあげれば、先生が何を言いたいのか、授業の要点が分かるから、とりあえず義務教育まではこれでいける。

とのこと。

なるほどねーっ。中学生のときの私何て、自分に対してもっと分かり易く教えてよーっておもうばっかりで、自分から歩み寄るって気持ちが薄かったかも、なんて思いました。

 

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4.問題が発生した時、『問題の正体を具体的にする→問題の種類を分析→手法をいくつか出してみる』までのサイクルがすぐに出てくる。

もちろんいろんなアプローチ方法がありますが、問題に対する対処の仕方のレパートリーが幅広いなあ、と思います。これだけ幅広い手法を持っていたら、そりゃあ学校の問題も解けるよね、なんて思いました。

1.秒で調べるにも繋がりますが、彼らは本当にどうでもよさそうな問題に対しても、全てこれを使って全力で解きにかかります。

いつでもどこでも、こうして思考のトレーニングを繰り返しているからこそ、大事なときにその力を使う事ができるのかなあ、と思いました。

繰り返して活用して、いざという時に使える状態にしておく。料理人がしっかりと包丁研いでおくのに似ているのかもしれません。

 

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5.よく遊ぶ

本当にみんなよく遊びます。が、遊びと仕事(勉強)それぞれに対する集中力はとても高く、なお遊びもかなり本気でやります。

以前一緒にグループ旅行に行ったら、行った先先で動画を撮って、後日なかなかストーリー展開が面白い動画に編集されていました。彼は仲間内で楽しむ為だけに作ったのですが、音楽もカットの仕方もかなり面白かったです。

(あくまで趣味でしたが、みんなと共有する為に、公開でyoutubeにアップしたら全然知らない人からファンになったというコメントが来たらしいです(笑)

ある意味で、その一瞬一瞬の時間を大切にしているのかもしれません。

同じ話しは繰り返さない、できるだけ一度で理解できるよう集中する、それは『時間を大切にしたい』という気持ちからくるようです。

授業の1回で理解できれば、その後は自分の自由な時間に使う事ができる。

本を一度読んだときにできるだけ理解すれば、何度も読み直さなくて済む。(その分の時間を違う本にあてることができる)

そしてよく遊ぶ。

その集中力で、人生をぎゅっと凝縮させたとても高濃度で楽しんでいるのかもしれません。

 

 

そういえば、勉強にしろ仕事にしろ、自分が持っている現時点での能力よりも、どの環境にいるのかを選ぶ方が大事、といっている人がいました。

私自身も過去は勉強ができなさすぎて、劣等感を抱いたりした学生時代があったわけですが、今でももちろん、学習能力は昔と変わりませんが、学習方法が変わって、人生がぎゅっと濃縮されたような濃い毎日を送る事ができています。

 

好みなので、薄味が好きならそれはそれで。

でも大事なのは、どっちがいいのか、自分で考えて、選んで、決める事。

ひ孫もちゃんと自分で選ぶ事をやめないでね。

 

こんな記事も発見しました。情報を集めて、色々自分で考えるの大事!

www.takumoney.com

t-yamazaki.hatenablog.jp

 

反抗期、父と私は1週間に1度でさえ口をきかなかった

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ふと、自分が高校生の頃を思い出した。

高校生活の3年間。私は父とほぼ会話をした記憶がない。

よくある反抗期ではなく、物理的に会う事ができず会話が成立しなかったのだ。

 

高校はそこそこ遠かった。

一番近い高校まで片道1時間。電車で。電車も1時間に1本あるか、ないか、みたいなところだったから、当然朝は早い。

部活の朝練もあったし、始発で出て、家に帰ってくるとご飯、お風呂を済ませてすぐに寝てしまっていた。

休日も部活。午前だけ、午後だけの日もあったけれど、行き帰りに時間がかかっているし、正直お店とか本屋さんがある高校周辺で友達といる方が楽しかったし、図書館もあるから勉強も家でなく図書館か学校でやっていた。

だから本当に、家には寝るのと夕ご飯を食べに帰るだけ。

朝ご飯は自分で用意して食べるルールは中学から継続だったし、お弁当も同じだった。

 

父は私より朝が遅かったし、夜は私よりも少しだけ遅かった。

少しだけだから待っていれば良いのかもしれないけれど、部活で疲れた成長期の体は睡眠を欲していた。要するに、睡眠欲が勝った。

 

友達がいうような、お父さんとのけんかは一度も怒らなかった。

お父さんと洗濯物を一緒にして欲しくない、とか、もっといえば、別にお風呂も一緒じゃやだ、みたいな気持ちも湧かなかった。

 

父は厳しい人だった。

基本的におねだりは通じない。誕生日プレゼント以外で物を買ってもらった事はないし、そういうもんだと思っていた。

 

 

高校を卒業して大学に入学して、初めて帰省をした時、私は驚いた。

まず、父が朝、昼、晩とすべてのごはんを作ってくれた。

我が家は父が料理をする家だったので、小さい頃は休日の夕食は基本的に父の料理だったことは覚えていたが、私が大きくなってからはそんなことがなかったのでまずびっくりした。

 

それから一人暮らしに足りない物はないのか、散々聞かれた。

そして一緒にニトリに行ってくれた。

 

とことん甘やかされて、お父さんどうしたんだろう。と思わず母に聞いた。

母は、娘が離れて、久しぶりに帰ってきたのが嬉しいんじゃない?と言った。

そうか。これが娘効果。

 

反抗期にけんかもしなかったせいか、私は特別父に対して確執的な気持ちは一切持っていなかった。

一度だって口をきかなかったけれど、それはある意味、父の方が娘との距離をとってくれていたのかもしれない。

 

子どもが反抗期のときの親の態度に正解なんてないんだろうけれど、我が家は反抗期に親が子どもと適度に距離を保つ、ということで大きなこじれもなく過ぎ去ったように思う。

私は遠くの高校に通う事で、1日のうち親といる時間は友達といる時間よりも短くなった。弟は中学卒業と同時に家を出て寮に入り、そこで先輩に鍛えられて帰ってきた。

 

思えば、昔って13〜15歳のうちには、お嫁に行くなり奉公に行くなり、自立していったんだもんな。

今は教育機関が長いからなかなか難しいのかもしれないけれど、案外人間の心の成長には合っていた習慣だったのかもしれない。

 

なんてことを思いました。

 

 

色々試して残った、我が家のレギュラー食材ベスト3

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・合理的

・せっかち

・ズボラ

の三拍子そろった私ですが、なかなか主婦歴も長いものになってきました。同世代の中では結婚が早かった方でもあるので、共働きでの家事の楽なやり方、とか早い・安い・旨いレシピのこととか、結婚したばかりの友達によく聞かれたりもします。

 

そんな我が家で現在、上記条件を満たし、かつ栄養もあるが故に冷蔵庫に常備されている食材をまとめてみました。

(野菜については月1の宅配を利用のため記載なし)

 

 

1.応用力高め!何に入れてもボリュームアップに使える『油揚げ』

5枚で98円という具合にリーズナブルな辺りも嬉しいポイント。

原材料は豆なので、肉代わりにも使ってみたりしています。

・お味噌汁の具材の+1。

・おひたしのボリュームを上げたいときに刻んで入れる。

・野菜炒めで肉を切らしたときに肉の代わりに入れる。

・そのままトースターでチンして、カリッカリにして麺つゆと刻みネギをかければそのまま一品になる

などなど、癖も強いわけではないので本当に汎用性が高いやつです。

 

 

2.こいつがいなければ始まらない。『卵』

何もなくても卵があれば、どんなごはんもちょっと豪華になる。私が愛してやまないnanapiにも卵が登場するレシピが多いです。新鮮であれば生でも食べられるし、ゆでたり焼いたりするだけで食べられる手軽さも嬉しいポイント。

 

 

3.中華味にすれば食欲溢れる男性ウケもいい『豆腐』

お肉ばっかりで夫、(彼氏)を太らせたくない。そんなときに多用できるのが『豆腐』味付けを中華風、特に麻婆豆腐っぽい感じにしてしまえば、がっつりなおかずなのにヘルシー。男性に好評です。

薬味を揃えてそのままも出せるし、お酒のつまみにもなる。万能なやつです。そして安い。

 

 

 

ベスト3中2つが豆製品。豆って日本人の生活にはなくてはならない存在ですね。

豆そのものもたまに買うのですが、炊飯器に放り込むだけでちょっと凝った風の炊き込み御飯ができちゃったりしてとても助かっています(笑)

豆ってずぼら主婦の味方なのかな。

 

 

久しぶりの歯医者に行って感じた、カルチャーショック

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奥歯の銀歯が取れて、歯医者に行った先月。虫歯も少し見つかったので、これを機会に治療する事に。

実は上京してきてこっちで歯医者に行くのは初めて。地元以外の歯医者に初めて行きました。

(地元と言っても近所にはなく、隣町の歯医者でしたが)

 

 

《カルチャーショックその1 予約をしたら待たされない》

地元では歯医者がそもそも少ないせいか、事前に予約をして行っても、2時間、3時間待たされる事が普通でした。

(隣町にある歯医者いくつかのうち、一番お医者さんがしっかりしていて評価が高かった)

なので私の中で『歯医者=めっちゃ待つ』という式が成り立っていたため、すぐに名前を呼ばれたときは本当にびっくりしました。

※というか初診から基本的にネット予約or電話予約必須の為か、待合室に4つしか椅子がなかった。

 

 

《カルチャーショックその2 診察で座る場所にテレビがついていた》

歯医者って処置後にちょっと待つ事ありますよね。型を取る時とか、麻酔が効くのを待つときとか、放置時間。

地元で行ってたときは、特段正面には何もなく、謎の風景画が飾ってあったので、ひたすらそれを見ていたのですが、なんと、この歯医者にはテレビがついてた!

多分都内どこもそう、というわけでなく、新しめの場所とか儲かってそうな場所だけなんでしょうが、これは本当にわぁって久しぶりに田舎者丸出しの表情でテレビを眺めていたと思います(笑)

 

 

《カルチャーショック3 処置が早い》

予約で患者数が絞られているせいか、処置もまた素早かったです。地元では処置と処置の間の待ち時間が30分くらいある時はざらだったのですが(今思えば、30分謎の風景画を見続けていたわけですね(笑))、こちらはほぼなし。

虫歯の歯を削るお医者さんがやってきたと思えば、次には型取りしてくれる人がさっと登場し…

いやはや、思っていた以上に歯医者が早く終って、次のスケジュールまでだいぶ余裕をもって終了して驚きました。

すごい!でも、予約したらこれくらのスピード感欲しいよね。っていうのは日本人の感覚なのかしら。

でも本当に感動しました。

 

 

《カルチャーショック4 みんな挨拶しない》

これは田舎のお互い気持ちいい風習だったなあ、と今となっては思います。

地元では処置後、歯医者さんの先生に、ありがとうの挨拶を一声かけてから処置室から出るのが風習でした。

ばーっと椅子が並んでる中、一人ほいほい処置する先生のところまで出向いて挨拶をします。小学生くらいまではお姉さんと一緒に先生のところに行って、挨拶してました。

今回も癖で、挨拶せねば、と先生に声をかけたら、一瞬驚いた顔をしていましたが、すぐににっこり笑って、お疲れさまでした、と言われました。

(ここで受付やらなんやらをやってるお姉さんがぽかんとしていたので、あっこれは田舎の風習だったか、と気がつきました(笑))

まあ、でも言われて悪い言葉じゃないし、歯医者さんの邪魔にならない程度に挨拶は続けたいなあ、とも思ったり。

 

 

歯医者さん、都心ではコンビニより多いとのことで競争率も高い事からサービス水準が高いのでしょうか?

もう一つ思ったのが、麻酔が全然痛くなかったという事です。(麻酔しているのでその後の痛みも当然ありません)歯医者に対して嫌な物はこれで音だけになりましたので、サボラず、治療が終るまでちゃんと通えそうです♪

 

 

やっぱりレビュー数は大事。ネットの口コミは田舎では通用しない

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個人的には●べログで3.5越えるでしょっていう地元でお気に入りのお店が何軒かあります。

都内で3.5、もっと細かく言うと3.58を越えてくると、ほぼハズレがないってイメージ。(3.6を越えると高級店ばかりかラーメン屋、鰻屋がヒットする)

実際は口コミサイトでの評価は高くなく、東京から友達を連れてくると、最初は点数の低さに期待値下げめで、その後評価がずどーん、と上がるんですけどね。

 

 

何でこんなに低いんだろーって思ってたんですが、レビュー数の問題かなあ、と最近思い始めました。

 

そもそもレビュー数が少ないのと、すごくいいお店は一定数みんなに教えすぎて混雑して欲しくない、という思いがあるので、わざわざレビューを書き込まない、みたいな循環があるのかなあ、と思います。

 

点数は低いのに、1軒は30分前には行かないとその次からは入れないし、(予約不可のため。待てば入れるが、銀座のカウンター寿司のようなもてなされ方をするので時間がめっちゃかかる)1軒は予約しないとまず入れない。

 

 

というわけで、田舎で美味しい物を食べたいと思ったら、地元出身者かつ現在東京に住んでて舌が肥えているよっていう友人に聞くのが一番正解なんだろうな、とも思いました。

 

地元の人に聞くと、地元の人にとって美味しい場所であって、ぶっちゃけ味は微妙、みたいなお店紹介されたりするので要注意です(笑)

 

 

 

世界遺産に行って感じた、日本の現金社会について

 

 

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ゴールデンウィークも終盤。友達と岩手県にある世界遺産中尊寺金色堂に行ってきました。

金色堂を見学する為のチケット売り場は小綺麗で、外国人観光客の姿もチラホラ。新しい売り場だし、チケットの価格は良い値段だし、カード使えそうかな〜と確認してみると…

 

なんと、というか、やっぱり…というか、

カードは使用不可でした。

 

 

最近ツイッターで中年の方が、

東南アジアや中国ではカードや電子マネー決算が主流で現金が使えないそうだ、現金が使える日本はやっぱり先進国、みたいなことを聞いて体が震えました。

みたいな呟きがあったのですが、金色堂の前で私も震えてしまいましたよ。世界遺産なのに!

カンボジアアンコールワットだってチケット売り場でカード使えたよ!

日本より受付全然小汚かったけど!(失礼ですね。ごめんなさい。でも本当に平泉の方が超絶綺麗なのに)

 

 

いや、現金が使えるという事は、それだけ国が信用されているという事だし、偽札なども少なく、安心・安全な社会が映し出されている証拠。

という発言については、本当にそうだと思います。安全な国じゃないと、現金は使えないし流行らない。

それは一つの側面だと思うし、否定しません。

 

 

でも、そこよりも、世界遺産という認定がされた事によって、海外の人も多く来る事が想定されている場所において、カード支払いができない、というホスピタリティ精神がもはや先進国ではない、と感じました。

いや、周囲に両替所がすぐあります、とかなら分かりますが、日本って地方の観光地に行って両替できる場所がほぼないですよね。外国からくる方は事前に両替するか、空港もしくは都市部に滞在中に銀行で?

 

そして平泉に両替できる場所ってどこ?

 

現金がどこでも使えて、信用されている事は素晴らしい事です。でも、それを世界遺産観光地でもやるのは、ホスピタリティ低いんじゃない?って思ったって事です。

 

もちろん、手数料とかそういうので小規模居酒屋なんかで取り入れるのは難しい面もあると思います。海外でも、欧米系はほとんどカード使えるけど、東南アジアのちょっと小さい飲み屋に入ったら向こうの通貨かドル支払いです。

 

 

でも、金色堂でそうしちゃうのは違うんじゃないかな〜と思う訳です。

すごい僻地にあってそうした機器の導入が大変な地域、とかでもないし、その近所にあるコンビニやJRの駅ではカードを使って買い物ができるんだもの。

 

 

それにカード支払い可能にした方が、平泉なんかは結果的にお金もたくさん落としてもらえるんじゃないかとも思う。

外国を旅行すると、相当な信用できなさそうなお店でない限り、現金はいざという時のためにもとっておきたいから、結構カードで支払いしちゃう。

旅先だし、思いっきり楽しみたいから、日本円にしたら良い値段するお酒も注文しちゃうし、お土産も多めに買っちゃう。

現金のみだと、この先も何かあるかもしれないってとっておいちゃうけど、カードなら、その時自分が本当に欲しいと思ったものちゃんと迷いなく買えるし、思いきり良く使えたりするのもまた事実。

 

日本で現金が主流な事はある意味すごい。

でも、2020年。たくさんの外国人に、たくさんお金を落としてもらう為にも、少なくとも世界遺産関係の場所では使えるようになると良いなあ、と思います。

 

『怒る』という才能について

 

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ゴールデンウィーク。まったり過ごしつつ、昼間のバラエティをちらっと見た時に、『怒る』も才能なんじゃないか、と考えさせられました。

 

 

もちろん仕事の一環だとは思いますが、芸能人の方の中には『怒る』という感情をさらけ出している方がたくさんいるように思います。

(感情を表に上手に出せるからこそ、芸能人というお仕事をされているのだと思いますが)

 

演技であれなんであれ、感情としての『怒』を表に、どどーんと出せるって才能だよなあ、と感じました。

というのも、『怒る』って結構すごいパワーがいることだと思うからです。

 

 

私は面倒くさがりで、基本的に他人に対してちょっぴり冷たい人間なんだと思います。

そんな私にとって『怒』という感情は噴出する前にこうした思考回路を辿ってくる。

・怒る前にそもそも呆れてしまう

・そして怒る気力が湧かない(ある意味相手を無価値化してしまっている)

・こいつに怒れる程自分はできた人間化、という問いを自分の中でしてしまう

・もはや同じ人間とは思っていない、という怒りよりもある意味残酷な側面

 

結果、『怒』という感情が噴出する事は本当に少ない。

噴出したらしたで、した後自分で勝手に落ち込む。

そして落ち込んだときの事を覚えているから、『怒』はさらに出にくくなる。

 

 

感情の一つとして大事な物だと思うので、きちんとコントロールして、出すべきときにはきちんと出せるようにはなりたいな、でないと自分自身に知らず知らずのうちにストレスがつもりそう…

 

 

って思っていたのですが、発散の仕方が違うだけで、『怒』の感情は自分もきちんと発信しているかも、ということに最近気がつきました。

 

スポーツ

自転車で誰もいない農道をとばしている時

日記を書いている時

などなど。

 

迷惑のかからない感情の発散の仕方がみつけられている、とポジティブに捉える事にしました。

 

 

それにしてもやっぱり『怒』を魅せる感情にできる芸能人の方はすごいなあ。

 

 

『バクマン』という漫画が教えてくれた、田舎の強み

最近ジャンプのバクマンという漫画を読み直ししています。主人公達がジャンプ連載という目標を掲げ、漫画家を目指す漫画です。

作品を生み出していく場面なんかは、バトル漫画に負けない勢いのある描写があって、なんだか燃えます。スポーツじゃないのに。

 

アニメ化もされて、無駄に漫画内で登場したアニメの歌なんかが豪華で、NHKってやっぱりコネとか権力とか金とか持ってるんだな、と思わされました(笑)

 

 

さて、以前こんな日記を書いた事がありました。

kuro-yan.hatenablog.com

そう、私は超・ど田舎出身者。ぶっちゃけ中高生時代とか遊ぶ場所がないので、みんな割と部活か勉強か、どちらかに集中しているような環境でした。

 

バクマン』の新妻エイジも、青森の超田舎出身で、天才的に面白い漫画を生み出す奇才として描かれているのですが、彼はこんなことを言っています。

 

「僕の家、青森のかなり田舎で同級生の家まで30分以上あったり

皆はゲームとかで遊んでたけどゲーム売ってる所も遠かったし

お金もなかったし マンガばっかり描いてたです。

そうしてるのが一番楽しかったですけど」

 

 

 そう言われれば、超田舎は何かに惑わされることがないから、自分がやりたいと思った事にとことん打ち込めた環境でもありました。

部活か勉強か、とは書きましたが、他の遊びが遠かったので自分が好きな事を見つければそれに没頭するのが簡単でもありました。

 

中学生の頃にはインターネットにかなりはまって、色んな人と色んな議論チャットでする事にハマりました。ブログも書いていて、田舎では出会えない、同世代の色んな意見が聞ける事がとても楽しかったです。

学校では勉強そこそこ、部活は部長兼キャプテンのバリバリの体育会系でしたが、体育会系あるあるの、寄り道でご飯食べてだべる、の寄り道する場所がなかったのが幸いして、家に直帰してネットとホームページ作ったりとか、動画を作ったりとか、写真の加工をしたりとか、そんなことばっかりしてました。

 

 

また、『バクマン』を改めて読み直して、都会の人の田舎出身者に対する目線、というのも改めて知る事ができたかな、と思いました。

新妻エイジは超天才として描かれ、広島から単身上京した福田さんは努力の人。覚悟と根性が座っていて、主人公達に一目置かれています。

 

ある意味、田舎から上京する、というのはそれだけでパワーがいること。ある意味、田舎から出てきた人ってそれだけで田舎におけるふるいに一度かけられて這い上がった経験がある人ってことになるんでしょうね。

 

 

東大出身の友人が言っていたのですが、東大生には大きく2パターンいるとのこと。1つは努力の人。ある程度の努力を持ってして東大に入ってきた人。もう一つは超天才型の人。一切勉強せずに入学してきたような人。

そして超天才型は田舎(地方)出身者が多い、との事。地方だと、まだまだ大学全入って考え方がないし、東京に出るとしたら給付型の奨学金がとれた、みたいな子だけだったりするから、本当に数年に一度の奇才しか東大に行かない、みたいになったりするからかな。とも思いました。

つまり、『バクマン』でいう新妻エイジみたいなやつしか大学いかないって思ってる部分があるということです。

(あとは福田のように目標に対する熱量が高い人)

 

 

というわけで、田舎に生まれ育ち、どうして自分はこんなところで生まれ育ってしまったんだろう、と思っていた自分が過去にいた訳ですが、なんていうことでもない。人生の始めの方に、そういうふるいにかけてもらっていた、ということなんでしょうね。

もちろん何がよかったとかは結局後づけになるのかもしれないですが、現実を突きつけられたり、何か困難にぶつかるのは、早ければ早い程、自分のことをよく知れるし、自分が何になりたいか、色々挑戦して失敗する時間も山ほどできます。

そうした失敗を早めにできたという意味では、田舎も悪くなかったなあ、と思います。

 

というわけで中学、高校の自分に会えたら、田舎でよかったんだよって言ってやりたいです。

 

 

オワコンでも、やったことがないことはとりあえずやってみる〜フェルミ推定〜  

 

 

フェルミ推定の本を購入してから、コツコツ読み進めています。

 

読み進めて思ったのが、実際に誰かと一緒に活用する事の大切さです。読む→活用のプロセスを繰り返す方が読むだけの何倍も教育的効果が得られますね。

活用大事。

 

都市部に出て来るまで、周囲にコンサルに行こうなんて子は一人もいなかったし、そういう思考をする人もいなかったからすごく自分には新鮮です。

今では周囲にコンサルやってる友人も多いし、そういうのが身近になったのと、単純に面白い!っていうのも続いている要因の一つかもしれません。

 

そして自分自身がこの思考法を学んで気がついたのは、実際、東大とか京大とか、そういう上位校の本当に優秀な子ほど、割と素でこういう思考ができている、こういう思考法が癖づいているんだな、ということです。

また、フェルミ推定以外にも、演繹、帰納の使い分けばっちりだし、その説明もみんなすごく上手い。

 

もしかしたら、幼い頃からこういう思考法を身につけたからこそ、そういう大学に行けたのかもしれませんね。

ま、何事も始めるのには遅すぎる事もないので、私は今からこつこつやってみよう、ということで、夫に付き合ってもらって学習スタート。

 

 

…したわけですが、ある日、こんな記事を発見(笑)

www.j-cast.com

 

既に発祥の地である場所では、もうオワコンなんですね〜。世の中の流れって早いです。

ただ、思考法の一つとしてはとても有効な方法で、色んな事に使えると思ったし、やる意味はあると思ったので、ちょこちょこ続けてみたいと思います。

 

 

 

自分の環境を客観的に捉えたい

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こんにちは5月。気がつけばあともう1ヶ月で日記が1年続いているということになります。最初は3日坊主を恐れていたのに…積み重ねって大事ですね。

 

さて、ひ孫。

自分の環境を客観的に捉える事できてる?

 

って突然聞かれても、ナニソレって思う人が大多数だと思います。というか突然聞かれたらびっくりしますね。

でも、仲良くなった友達とは話したいテーマでもあったりします。というか、これができている人は高確立で「嫉妬」「過度の羨ましがり」「できないよ光線」を発信してこない人だからです。

 

 

自分の環境を客観的に捉える、が、何を指すのかというと、自分自身が置かれている現状を、客観的な数値で示した場合、自分は社会でどんな立ち位置にいるのかを知る、というのが一つあります。

例えばこの時代で言うなら、偏差値。賛否両論色々ありますが、一つ学校的な勉強をする能力値が日本人という平均の中でどの辺なのか、というのを知る一つの数値です。

あと社会人であれば年収とか、自分が働いている業界、その業界の市場規模。

その世代における年収に対する自分の現在位置。

 

 

数字から目を逸らしている人の中にも、自分の幸せを見つけて、自分の人生を自分の足で生きている人はいますが、割と少ないです。

主観ですが、アウトドア系(キャンプ好き、登山好き)など自然と対峙することを趣味としている方が、「割と少ない」中の多数を占めているような気がします。なんでしょう。自然と向き合う時間が長いせいか、各種方面でたくましいし、なんか仙人みたいです。

 

 

 

数字に目をつけていても、それに対して分析をせず、落胆したり喜んだりしている人は、正直微妙です。「嫉妬」「過度の羨ましがり」「できないよ光線」を発信してくる可能性がものすごく高いです。

「嫉妬」も「羨ましい気持ち」も「できないかもと思う事」も、自己との対話の中で使ったり、過度になりすぎなければちょっとは必要な人生のスパイスだと思います。

けれども、友達に対して使いすぎると、素敵な友達は逃げて行くでしょう。それは、その態度も、それだけでは美味しくないし、やりすぎれば相手を嫌な気持ちにからです。

 

「嫉妬」ばかりの人と一緒にいると、エネルギーを吸い取られて行くようで、いつしか自分も他人に対して文句ばかり言うようになってしまいます。

そしていつも、自分の人生を誰かの生にしてしまう癖がついてしまいます。

 

「羨ましい気持ち」これは時にすごく大事。これはある意味向上心の源でもあったりしますが、誰かと比べての「羨ましい気持ち」ばかりだと、本当に自分が欲しかった物や自分がやりたいことを見失います。

六本木でステーキを食べるのも美味しいけれど、山の山頂で自分の足で運んだ肉を自分で焼いて食べるのも美味しいです。

「羨ましい気持ち」ばかりだとどちらかに偏ったり、本質的に何が自分にとってよかったのか、ということを見失います。

 

「できないよ光線」たまには大事だし、もしも自分がイケイケどんどんタイプだったら、友達に一人は必要なタイプです。というのもたまには冷静に自分を見直す事も人生において大事だからです。

ただし、「できない」とばかり言って、どうすればできるか、ということを一切考えない人の隣にいるのはしんどいです。エネルギー吸い取られます。

 

 

というわけで、自分の分析をしている友達は大事にした方が良いよ。

さらに、自分自身の出生であったり、ルーツなんかをきちんと捉えている人は、親や親戚とのいろいろも乗り越えた人。ここまでくると、かなり強い。

 

 

というわけでひ孫。自分自身の分析をすることを怠るなかれ。