くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

流行のボードゲームをやってみた

 

bodoge.hoobby.net

 

最近、NHKのニュース特集も組まれる程、注目されているボードゲーム。都内にもボードゲームカフェがたくさんあるようです。私は行った事がないのですが、知らない人とでもすぐに仲良くなれる楽しさが面白いようですね。

ネットですぐに繋がれるからこそ、現実世界で楽しい時間を過ごすことの価値が上がっているようにも思います。

 

さて、人狼ゲームやレジスタンスアヴァロン、等はやったことがあったのですが、その他にも様々な面白いボードゲームあるんだよ、と友達が企画したボードゲーム会に遊びに行きました。

土曜日の昼間から、ボードゲームをする為に友達の家に遊びに行くっていうシチュエーションがなんだか中学生以来なような気がして、懐かしい気持ちになりました(笑)

変わったことと言えば、手みやげに持参するお菓子のレベルがちょっと上がったことでしょうか^0^昔はせんべいとかそういうのを近所のお店で買って持っていっていましたが、今回は貰い物で夫婦では食べきれないと判断したバームクーヘンを持参。

 

さて、肝心のゲームですが、こんなラインナップでした。

▼友達曰く、期待値計算のゲーム『ハゲタカのえじき

▼小学校高学年女子が好きそうな可愛い絵柄なのに人狼のように人を疑うゲーム『タイムボム』

人狼とは違う角度で人を疑うゲーム『レジスタンス アヴァロン』

▼完全右脳重視。お互いの感性を披露し合う平和なゲーム『ディクシット』

 

 

 

 

▼友達曰く、期待値計算のゲーム『ハゲタカのえじき

とても簡単なゲームなので小学生はもちろん、数字とマイナス、プラスの概念が理解できれば、幼稚園・保育園生でもできそうです。

プレーヤーはそれぞれ1〜15までの数字が書かれたカードを手元に持って、中心に出てくるポイントカードを取るべく、自分の手持ちカードのどれを選ぶのか考えます。

ポイントカードは数字が一番大きい人、が取れるのですが、一番大きいカードだからといって15を出して、他にも15を出している人がいた場合、15同士の人は取れず、そのすぐ下で大きかった人がポイントカードを取ることができる、というゲームです。

あれですね、いつだったか流行った、たけのこにょっきっきゲームにちょっと似ているような気もします。誰かと被ったら負け、みたいな。

あの子は15を出したし、あの子は14と13を持っているし、だとしたらこの場面ではこの数字を出して来る可能性が高いだろう……みたいな計算をお互いにやり合って戦いました、が。

期待値計算がめちゃめちゃ早い(得意な)人達の中、算数は割り算で挫折したレベルの私が参戦しましたが、3回戦中1回勝利を収めました(笑)

 意外と計算できない人が予測不能な動きをすることによってゲームが動いて、思わぬ結果に繋がる、ちょっと運の要素もそこそこあるのが楽しめるポイントなのかも知れません。

 

▼小学校高学年女子が好きそうな可愛い絵柄なのに人狼のように人を疑うゲーム『タイムボム』

超可愛い絵柄なのに、内容としては結構人狼に似ていました。プレーヤーは警察(ポリス)と爆弾を爆破させたいボマー団に分かれて戦います。

やってみての感想としては、人狼とは違って市民サイドである警察(ポリス)も嘘をついてボマー団を欺こうとすることが必要である、ということ。

人狼感覚でやっていたら、ポリスは一度も勝てないという結果に終わりました(笑)途中で、上級ルール「スパイ」も導入したのですが、それでもポリスは勝てず。。ポリス勝ちパターンを研究する必要がありそう、というところで終了しました。

可愛い絵柄ですがなかなか面白いゲームでした。 

 

 

人狼とは違う角度で人を疑うゲーム『レジスタンス アヴァロン』

昨年夏にやってから、結構面白い、とはまっているゲーム。これだけは一度やったことがあったのですが、やっぱり面白い。これも人を疑う系のゲームです(笑)

ルールが複雑なのですが、こちらのサイトが分かり易かったです。

coronavi.jp

人狼もそうなのですが、最初に人を疑う・欺く系のゲームは中々自分の性格的にも難しさ、やりにくさを感じることが多かったのですが、慣れてきてからは一番おもしろさとやりがいを感じているようにも思います(笑)

なんというか、すっきり感があるんですよね。

また、主張したり話をすることがとても大切なゲームなので、割と多人数での喋りが苦手で、「東北の人ってしゃべらないよね」の代表みたいな私でも、必要とあらばしゃべることができる力、をゲームによって身につけられたような気がします。

 

 

▼完全右脳重視。お互いの感性を披露し合う平和なゲーム『ディクシット』

 人を疑いまくったから、最後は疑わない、平和で、右脳を使うゲームをしよう、と友達が用意してくれたゲーム。フランス製ということでとにかく絵がきれいだし、おしゃれ!絵柄だけでもかわいくて集めたくなってしまいます。

 そんな色んな絵柄をプレーヤーがそれぞれ持っている中、親となった人のお題に合わせて、それに近い絵柄のカードを手札から選んで出し合う、というのがゲームの流れです。

すごく分かりやすく解説されている記事を見つけたので、詳しく知りたい方はこちらを。

blog.skky.jp

 

多分、普段ゲームは苦手だからあんまりやりたくないなあ、という人程活躍できるゲームな気がします(笑)

私の友人には芸術、音楽関係の人も何人かいるのですが、そういう右脳で仕事をしている人達と一緒にやってみたいゲームだなあ、と思いました。

 

 

ゲームを通して知らない人ともすぐに仲良くなれるし、将来家族ができたら家族のコミュニケーションツールとしても使えるなあ、とも思いました。特にディクシットみたいなゲームとかは。

(集まった人の一人に、家族でアヴァロンをよくやる、という方がいましたが、疑うゲーム故に終わった後にピリピリする場合もあるとのこと(笑)でも、負けることも勝つこともある、という社会性を学ぶには良い機会なのかもしれない)

 

意外とお値段も手頃で、アヴァロンはもう夫婦で、いろんなところで3回程やって気に入ったのでAmazonで買ってしまいました^0^

友達を呼べば家でやりたい放題ですね(笑)

その他、ディクシットだけは絵柄に芸術性があるせいかお高めですが、それ以外はテレビゲームを買うよりは圧倒的にお手頃価格。

気に入ったのがあれば是非。

    

 

 

 

 

これからの時代を生き抜くためのブラック企業との付き合い方をまとめてみた

 

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ひ孫へ。あなたの時代の職、とか働くってどうなっているんでしょうかね。

もう週休五日くらいにはなっているんでしょうか。

逆に全ての人が全ての仕事に対して満足度が高くて、いや、365日毎日働いているようなもんだよ、みたいな世界になるかもしれませんね。

だって今の経営者層ってそういう働き方だし、そういう働き方でものすごく幸せそうな人が多い。

意外と、きっちり2日休んで5日働いて、とやっている人の方が愚痴が多いし。

私の時代の働く、は大変そうな人が多いですが、私自身は割と楽しく働いています。この時代に、どうして楽しく働くことができていたのか、そのライフハックを書き残しておきたいと思います。

 

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ブラック企業」と言われると、給料が見合っていないくらい低い、長時間労働、業務外の異常な回数の飲み会の強要、サービス残業、サービス休日出勤。などなど。その定義や状態は様々。

 

年配の方から言わせれば、「そんなものはブラックではない、俺たちの時代では当たり前だった」というものも多いとは思いますが、ブラック企業のブラックと言われる所以の原因のほとんどは法律違反。赤信号なのに突っ込んでいって、誰かをひき逃げしてはいけないのと同じだと思うんですがね。

 

けれども、一部年配の方達の「そんなものはブラックではない、俺たちの時代では当たり前だった」には、これからの時代を生き抜く為の重要なライフハックが眠っているとも感じます。

例えば、確かに業務外の飲み会を強要するのはいけませんが、全部ダメです、というわけでもない。仕事のやり方、人間関係等、確実に業務外の飲み会に救われた人もいたようにも思いますし、そういうところから処世術を学ぶこともあります。

そんなライフハックとしての、ブラック企業との付き合い方、をちょっとまとめてみました。

 

▼ここはブラック企業。自分の敵を正しく見極める。制度が敵なのか、人が敵なのか

▼どうしようもない上司の対処法

▼どうしようもない顧客への対処法

▼どうしようもない同僚への対処法

▼辞めるときは後腐れなく。最高に惜しまれるくらいを目指すのも実は面白い

▼【おまけ1】いい会社、に思うこと

▼【おまけ2】就職は結婚、はもう古いと思う理由

 

【はじめに】

ブラック企業に入ること=失敗した、という立式が立ちがちな世の中ですが、ここではあくまで、ブラック企業に入ること=自分自身にある側面必要だった修行の一つ、として考えたいと思います。

ただし、会社の要請を守って死ぬよりは、会社の無理な要請は応えずにクビになる方がよいと思いますし、基本的に自分の命は大事です。

 

 

▼ここはブラック企業。自分の敵を正しく見極める。制度が敵なのか、人が敵なのか

ブラック企業に入ったことを試練とした時、大事なのは敵(戦うべき相手)は何なのか、というところを明らかにすることがとても大切です。

例えば、上司も疲弊していて、同僚共々みんなが辛い場合だと、制度(仕組み)もしくは社長を始め経営陣に問題があると言えるでしょう。そういう場合は上司、同僚と結託して団体戦を行える場合もあるかもしれません。

圧倒的に悪人のような人物が上にいて、制度云々ではなくとにかくヤバいやつがいた場合、分かり易くその人物自体が敵になります。人によるとは思いますが、制度よりも攻略し易いように思います。

 

この敵を見極めるときに最も重要なのが、

「なぜ、自分自身にこのような試練が降り掛かっているのか」

という自分自身に対する現状把握だと考えています。

というのも、対人関係が上手い人はすごくヤバいやつがいたとしても、なんやかんやで対処ができてしまって、仕組み事体の方に問題を感じたり、逆に対人関係が上手くない場合は、とにかく対人に問題意識が行きがちです。

同じブラック企業にいながらも、感じている問題点は実は人それぞれ違う、みたいなこともあるのは、それぞれに降り掛かっている試練の違い、とも言えるでしょう。

 

つまり、自分の敵を正しく知る為には、まず自分自身を知るという作業が最も大切ということになるのです。

 

 

▼どうしようもない上司の対処法

さて、敵の正体が分かりました。自分の敵は、一旦上司だった場合、のことについて考えてみます。

どうしようもない上司、というのも何パターンかあるかと思います。

けれども、どのパターンであっても、上司ということを理由に共通して使える技の一つが、「持ち上げて、質問をする」という行為かな、と思っています。

上司という立場上、後輩および部下に褒められるというのはとても嬉しいことですし、外面では褒められることを避けていても、真性のサイコパスでない限り、内心は嬉しいと思っている人がほとんどかと思います。

かつ、頼られるのも嬉しいものです。その頼るという部分において最も効力を発揮するのが「質問」。後輩や部下の、教えてください、という姿勢は上司の心をくすぐる最も良いお世辞、と私は思っています。(もちろん本当に聞きたいときもある訳ですが)

質問に織り交ぜて、自分自身の知見を含めた2択を出したり、この提案とこの提案だったらどっちが有用でしょうか?という相手に決定権を与えて相手が決断しているかのように見せかけて、実はこちらが最初に決めてしまっている、心理学で言う『ダブル・バインド』という技を使えば、質問をしながら自分自身の流れにもっていくことも可能になるでしょう。

 どこまで極めるかは、自分自身の精神状態と適正との相談を。また、どんな敵と対峙する時にも心に留めておきたいのが、引き分けにするのか勝利にするのか、という結果をどこにおくか、ということ。

敵の正体が分かって、戦い方が分かっても、実践してみたらそれは自分が苦手な分野だった、ということもあります。実は対上司との戦いは上手いけれど、対同僚は下手。みたいな。

下手な場合は、無理に勝利せず、引き分け、つまり自分自身が最低限害が及ばないレベルで落とし込む、という判断も時には必要です。

 

 

▼どうしようもない顧客への対処法

さて、敵の正体は顧客、つまりお客さんでした。この場合、同僚及び上司と結託して戦うことも可能です。結託できるときは結託しましょう。数は武器。味方がいるだけで精神的にも安定します。

 

顧客との対応で一番気をつけたいのが、上司や同僚と違ってコミュニケーションを取れる機会が少ない場合が多いということです。特別な職、部署でない限り、顧客とのコミュニケーションというものは一番少なくなりがちです。

上司や同僚とは飲みにいけても、お客さんと飲みにいくって大抵接待で本音で何て基本無理ですし。

しかし、自分がそうであるのと同じように顧客にとってもそれは同じです。コミュニケーション量は圧倒的に足りない。

ここで大切なのは、コミュニケーション量が足りないからといって、コミュニケーション量を増やせば良いという訳でもない、ということです。というかそれ以上増やすことが困難な場合が多いので、この解決方法はあまり適切ではありません。

どうしようもない顧客、というところで圧倒的に大変なのがいわゆる「クレーマー」的な発言、行動。

対処方法としては、その「クレーマー的発言、行動」に隠された、真の行動理由を探ること、がとても大切です。「××をできるようにしてほしい」と言いつつ、真意としては相手を屈服させたい、承認されたい(承認欲求)、ただ寂しくて話を聞いて欲しい、 というのはままあることです。日本人的なのかもしれませんが、言葉を言葉のまま受け取らず、この人どういう意図でこの発言をしているのだろう、と分解してみることがカギになることが多いでしょう。

 

 

▼どうしようもない同僚への対処法

 敵の正体はなんと同僚。でも実は一番戦い易かったりもする。というのも、同僚というのは、自分自身のライバルにも置き換えられる存在。

いわばピッコロであり、ベジータであり、フリーザ様です。各人、とてつもない悪人たちでしたが、2018年現在悟空とは共闘状態です。

一度本気でぶつかって上手くいくパターンがドラマもあっていいですが、現実問題はそう甘くはありません。

ここでも上手く行くのが顧客と同じように、相手の思考を予測するような、相手の行動の本質を見抜けるようになることが一番の近道です。

例えば、ものすごい意地悪を仕掛けてくる人だとすれば、相手はなぜ自分に意地悪をするのか多方面から考えます。

単純に自分自身への嫉妬なのか。嫉妬だとすれば、どういう部分に対するものなのか。(自身がプライベートでの各種自慢を職場で話し過ぎていないか、何か情報を得たときに自分だけの物にして自分だけの利益になるような行動ばかりとっていないか)

自分ばかりが頑張っていて相手がどうしようもないと、自分ばっかりいつも損している、自分ばっかりいつも頑張っている、と思いがちですが、冷静に将来的なことを考えれば、正当な努力は将来的に正当に評価されます。

ましてや今や同じ会社にずっといるということが当たり前ではなくなってきた世の中。頑張っていることが本当に自分自身の力になっていれば、それは別の場所でも活用できる自分自身の血肉となって、以後自分に幸運を与えてくれる物になるでしょう。

楽ばかりしている人は、どこかでひずみが生まれる物です。

 

 

▼辞めるときは後腐れなく。最高に惜しまれるくらいを目指すのも実は面白い

ブラックだと思ったら、いつかは辞めたい。明らかにいくつかの法に触れ、多くの人の迷惑になっているような会社は明日にでも辞表を出して構わないと思います。

ただ、そうでない場合。そう、これまでの日本の慣習としての文化が大いに残っていたり、そもそも業界が自分にはちょっと違ったかも、と思ったり(業界によってカラーってありますよね)法律に触れる訳ではないけど、そこにずっと居続けるもんでもないときっていうのがあると思います。

もちろん自分の方向性として、そもそも会社に属したくない、属さない覚悟、というものを決められたのであれば独立の道を歩んでいいと思います。

けれども独立が向いていない人だっていますし、会社等組織で輝ける人、というのも一定数存在するのもまた事実。さらに今の世の中、まだまだ大きな会社という存在が社会を支えているのもまた事実です。

そこに大きな自由はないかもしれませんが、時にそれは世界にまたがる大きなプロジェクトであったりに関わらせてもらえるような縁を頂けることがあるからです。

(正直、あんまりお金なくても楽しめる世の中に進みつつある今、お金以外の無形の価値ある物の一つが、こうした縁とかつながり、だと思います。ネットでのつながりでできたプロジェクトも増えてきましたが、まだまだリアルはやっぱり強いです。私も本当に大切な事業をともに進める人は、リアルで出会ったいい人、素晴らしい人の方が優先される)

 

とりあえず次もまた組織で働く、というのであれば、どのような組織においても自分自身を演じきれるくらい、自分のレベルが高まると楽だと思います。

(一生その会社にいなければいけないような世の中ではないからこそ。三年、とか五年とか期間を決めて働くことが一般的になりつつある世の中だからこそ、ストレス無く演じきれる部分はありますが)

弘法筆を択ばず、というように、すごい人はどこへいっても正直すごい。(だからすぐ辞めちゃうんですよね)

それで、仕事に関する能力って目に見える能力ももちろん大切だし、そう言う人にはどんどん頭のいい人にしかできない仕事をやってもらって世界をよくしてもらいたいわけですが、そうでない人にだってたくさんチャンスはあると思います。

というのも、普通のことを普通にできる人、人当たりよく誰とでも仕事ができる、分からないことがあったらちゃんと聞く、とか、失敗は次に活かす(学習する)とか、そういう精神的な面において能力を発揮する人の数って意外と少ない。

(多分もっとそういう人が多かったら、ツイッターはもっと平和かもしれないですよね(笑)

惜しまれながら辞めた方が気持ちがよいですし、入ったときは嫌だったけれど、その嫌だった人達に惜しまれるような存在になれたという成長実感もある。(かつ、そういう人達に惜しまれるということは実際、それなりに成長もしているでしょう)

 

 

▼【おまけ1】いい会社、に思うこと

 今よりいい会社、というCMが正直嫌いです。理由は二つ。

一つ目は、今その会社で働いている人、働き続けている人にとても失礼、ということ。

2つ目は、「いい」は人によって全然違う、はずなのに、「いい」の基準を決め込んでいるその会社こそ危ないんじゃないか、と思わせられるところ。

 

例えば、社内公用語を英語にした会社がいくつかありましたが、あれだって、英語が母国語の人にとってみればめっちゃ「いい」けど、英語が母国語ではない人にとってはちょっと困る。

環境を変えることが好きで、しょっちゅう出張があったり、異動や転勤が多い仕事が好きな人にとって、そういうのが多い会社は嬉しいけれど、逆に一つのところにとどまりたい事情がある人にとってはちょっと困る。

 

そもそも自分自身の「いい」を探求していくような時代に入ったはずなのに、「いい」の基準はこれですって決められても多分満足しないし、なんかちがうってどこかで思う。宗教だって、ライフスタイルだって、「いい」は自分で考えるもの。

 

▼【おまけ2】就職は結婚、はもう古いと思う理由

ぶっちゃけそろそろ、就職は恋愛、くらいフランクなものになりつつあるのかな、と思います。

だって会社が昔程従業員を愛して止まないような制度が残っていないから。(愛して止まない会社ももちろんありますが)相手からは付き合うけど食事とたまにデートくらいで、って言われているのに、こっちばっかり結婚を前提に孟アピールするのは、なんとなく違う気もする。 

もちろん付き合ってみて、結果的に結婚しちゃう場合もあるかもしれませんが、全員が結婚しちゃうような世の中ではなくなってきているので、そろそろ「就職は恋愛」くらいの方がしっくりくるのかなって思います。

もちろん、結婚するくらいの勢いで、会社と付き合うことで得られる物もたくさんあるから、気持ちだけはそれくらいのモチベーションでいるのも一つの手法として大事。

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なんやかんやと色々書いてみたけれど、心構えとしては、『自分が会社を利用するくらいの気持ち』っていうところの一言に落ち着くのかもしれません。

 

また、自分の敵は誰なんだって、会社の制度だとか上司だとか、同僚だとか、お客さんだとか、色々書きましたが、

なんだかんだ、後からその現象を見直してみると、『自分の敵は結局自分』だったりもします。

人付き合いは自分の鏡、と言いますが、人に限らず自分自身がいる環境は、初期設定以外基本的には自分で選んだ環境であったり、神様が、お前の能力値だったらこれ乗り越えられるから、って言って送り込まれた環境で、自分自身の表している。

だから結局、自分が勝たなきゃいけない相手は最後は自分自身、ってことになるんでしょうね。

 

 

日本の識字率の闇を垣間みたような気がした出来事について

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日本の識字率は100パーセント。語られて長い歴史をもつこの一つの事実について、最近本当にそうなのか?という記事がありました。

www.nipponnosekaiichi.com

識字率とは文字が読み書きできる人の割合どれくらい?っていう数値。日本は寺子屋文化のおかげかどうか、戦後も江戸時代もとにかく高い識字率を記録した、という記録が残っている訳ですね。

 

しかし最近、こんな記事を見つけました。

確かに、実態として、きちんと義務教育を受けていない子、がいる限り、100パーセントとは言い切れない実態はありそうです。少数派にはなりますが、いわゆる戸籍を持たない子、みたいな子もいます。

日本の人口が増えた今、パーセンテージ(割合)としては増えていなくても、読み書きに不便をしている人の数自体は増えている可能性はありそうです。

 

 

hentenna-project.com

別の記事ですが、上記のニュースを踏まえて、この記事では、こんなことが書かれていました。

「文字が書ける」ことと「文章が書ける」の間には、すさまじく深い溝があります。社会人になって早10年ほどの私ですが、過去に部下を持った際に、あまりにも文章が書けない人が多かったことを、この記事を読んで思い出しました。

もちろん「私は◯◯しました。」といった簡単な文章が書けないわけではありません。ただ、主語・述語関係がめちゃくちゃで文脈が意味不明だったり、自分が思った順に言葉をただ並べていくことしかできない若者がかなりの数いたことに驚きましたね。考えてみると、そうした人たちは大体家庭環境に恵まれていませんでした。

 

 

この「文字が書ける」ことと「文章が書ける」の間、という言葉で、とある出来事を思い出しました。

 

これは図書館でのできごとです。

たまたま普段行っている図書館が蔵書整理で長いお休みに入り、違う図書館に行ったときのことでした。事前に調べたところ、私でも利用者カードを作れることが分かっていたので、到着してからさっそく利用者カードを作成。

最近はそれぞれの図書館ごとに様々なルールがあるため、それを確認しようと作成後のガイダンスも受けました。その後、こんなやり取りをしました。

 

図書館員さん「何か質問はありますか?」

くろやん「パソコンを使って、本を読みながらレポートを書きたいのですが、どこの座席を使っても大丈夫ですか?」

最近はパソコンを使っても問題のない図書館も増えましたが、パソコンを使っても良いエリアとそうでない場所を分けている図書館も多い為の確認です。

図書館員さん「このエリアの席と、このエリアの席は大丈夫です(館内案内図を指しながら)先ほど作った利用者カードを使って申請をお願いします(申請するコンピュータを指差す)」

くろやん「分かりました。ありがとうございます」

 

ここまでは普通の出来事かと思います。が、ここから数時間後、事件が起きました。

私が申請した机でレポートを作成していると、突然「ねえ」と、大きな声で後ろから話しかけられました。図書館なので響きました。

ちょっとびっくりしながら振り返ると、スーツを着用した年配の方がいました。腕には案内人の腕章。どうやら図書館の正規の案内人のようです。いわゆる街の中央図書館で広い場所の為、こうした人がいるのでしょう。

 

案内人さん「あなた、ここはパソコン禁止ですよ!今すぐやめてください!」

そんなに大きな声で言わなくても、っていうかここ、だめなの?と焦る気持ちを落ち着かせて、冷静に聞きます。

くろやん「先ほどここで、と中央カウンターで言われたのですがだめなんですか?」

案内人さん「だめなものはだめなんです。とにかくやめてください」

ここで少し、?と思いました。案内を受けてここに座っていたので、だめなものはだめ、と言われてもイマイチ響きません。いや、ここって案内受けたけど。違うのか。

仕方がないので片付けをし、席を立ちました。案内人さんは私がきちんと席を立つのか、片付けの様子を見守っています。そのまま居座られるのを避ける為なのでしょう。

座席のキャンセル申請をするように言われたので、すぐにキャンセル申請へ。申請をした時には案内人の人はいなくなっていました。

大きい図書館だし、本を読みながらパソコンを使える席くらいあるだろう、と再び中央カウンターへ。

念のため、聞く前に図書館案内の小冊子をめくってみたものの、やっぱりパソコン使用に関するところがインターネットのことしか書かれておらず、ネットを繋がない、自前のパソコンでレポート作成するには?について、もう一度直接聞くことに。

 

くろやん「パソコンを使って、かつ本を読みながらレポートを書きたいのですが、適当な座席はどこでしょうか?」

先ほどよりもパソコン、を強調します。

図書館員さん「このエリアとこのエリア(案内図を指差しながら)でしたら大丈夫です」

くろやん「そこ、パソコンだめなんじゃないですか?」

図書館員さん「はい、だめです」

 

もうここで正直泣きたくなりました(笑)日本語が通じていない?

丁寧に質問を重ねた結果、インターネットサービスを提供している席で、30分ごとの更新をすれば使える、という話を聞き出すことに成功しました。(予約者がいれば交代となる)

30分ごとは面倒だな、と一瞬思いましたが、個人的に15分ごとに立ち上がる、Daigoの超集中力を実践中だったので、ま、いいか、と思ってインターネットコーナーへと行きます。

 

ここでの申請でまた問題が。選択ボタンに30分がない(笑)

どういうこっちゃ、と思っていると先ほどの案内人の方が通りかかりました。

案内人「あ、あんたさっきの。ちょっとこっちに来なさい」

え?他人にあんた?って言う?というのは置いておいて、また私何かしたのかなあ、とドキドキしながついていくと、到着したのは先ほど座席を取ったシステムの前に。

案内人「自分が使ったところはちゃんとキャンセルしてください!」

また大きな声で、周囲にいた関係ないお兄ちゃんもびっくりした表情で振り返ります。もちろん私のカードはキャンセル済み。さっきあなたがそう言ったからすぐにキャンセルしにいったんじゃない。

既にキャンセル済みのカードなので反応なし。

案内人「あれっ?」

くろやん「先ほど、言われたとおり、キャンセルしました。カウンターでインターネット席の案内を受けたのでそちらで申請しようと思ったのですが」

そう言うと、先ほどのインターネット申請のところへと再び連れて行かれました。中央図書館という広い場所なので、正直この辺で歩き疲れてきました(笑)

 

案内人さん「インターネットは何分使いますか?」

くろやん「インターネットは使いません。ただ、パソコンを使ってレポートを書くならここだと案内されました。利用時間は30分ごとの更新と聞いたのですが、こういう場合はシステムのどのボタンを押せば良いのでしょう?」

案内人さん「とにかく120を押せば良いから」

くろやん「え?いいんですか?中央カウンターの方は30分とおっしゃっていましたが」

ボタンは60分もあります。60と120の二択で、30分と言われていたら、とりあえず60を押しておいて、というのは分かりますが、なぜ120?という疑問でいっぱいです。とりあえず多い時間にしとけってこと?

案内人さん「とにかく押してください!」

くろやん「は、はい」

図書館に似合わない大きな声で言われて、そのまま120分申請のボタンを押しました。

その後特に何も問題は起こらなかったのですが、適切に質問していても、先ほど「そこはだめ」と言われて不安を覚えていた私はテキパキと作業する若いお姉さんを捕まえて、不明点を確認。

 

お姉さんのおかげで色々明らかになったので、今後の利用には支障がなさそうですが、この図書館からの帰りに『識字率』の記事を見つけて、あれっと思ったのです。

今日、私が会話をした図書館員さんも案内人さんも良い年をした大人でした。特別に何か助けが必要なマーク等を下げている訳でもありませんでした(たまにヘルプマークを下げた館員さんもいらっしゃったりするので、そういう場合複雑な質問をその方に投げるのはなるべく避けるようにしています)

日本語でそれなりに会話もした訳ですが、微妙に伝わっていない、と感じる場面が多々ありました。

案内人の方がおっしゃっていたことも、図書館員さんがおっしゃっていたことも、理解はできますが、微妙に会話が成り立っていません。この感覚はRPGゲームの道具屋さんとか、宿屋の主人に話しかけているような気分でした。

上記記事にあった、「文字が書ければ文章が書ける」訳ではない、というまさにこの事体が発生していたのではないかと感じたのです。

 

そして微妙に会話が成立しない、RPG感のある会話の感覚が少し懐かしい感じもしました。どこかで、前にも、こういう感じ、味わった……!

 

そう、私の出身地である超ど田舎です。

 

たまに近所のおばあちゃんおじいちゃん達と話していると、文章の起承転結は基本的にありません。文字や単語ははっきりしていても、てにをはがぐちゃぐちゃだったりして、通じているのか通じていないのかよく分からない。

小学生頃までは自分も「てにをは」が怪しいので気にしなかったのが、中学生、高校生となるにつれて、何だか通じないなあ、と思い始めた記憶が蘇ってきました。

(同じおじいちゃんでも近所で唯一大学まで行ったおじいちゃんの話しは、てにをはがしっかりしていたし、他のおじいちゃんおばあちゃんたちと比べると、会話が文章になっていました)

 

会話が通じているかいないか、のレベルであれば、普段のオンライン英会話での英語での会話の方が意思疎通できてるんじゃなかろうか、とまで思ってしまいました(笑)

 

過去、識字は単に読み書きができる、という定義でしたが、法律も制度もここまで複雑を極めている先進国で、本当にそれだけで識字、と言っていいのほうか疑問に思いました。

今日のように会話が成り立たないと、普通の仕事は難しいように思いましたし、よっぽど特別な技能を持っていないと、高い価値を生み出すことも難しいでしょう。

ぶっちゃけたまに行く途上国のタクシーの運ちゃんの方が英語もできるし、よっぽど会話が通じる、ようにも思います(´・ω・)

 

もちろん会話ができること=識字、という定義ではありませんが、読み書きが理解できる、の理解できるが、本当にそうなのか、「日本の識字率ほぼ100パーセント」という過去の栄光に隠れた闇が広がっている気がした出来事でした。

 

 

【目標振り返り】1月のモチベーションをそのままに、2月のふりかえり

 

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kuro-yan.hatenablog.com

 

1月にやる気を出して、今年の目標を決めたものの、そのまま決めっ放しになってしまいがちなのが、『目標』。本気で達成するべく、目標は振り返って、達成具合をきちんとチェックする習慣を付けたい、継続は力なり、ということで2月の振り返りです。

 

▼映画を150本観る

今月観た映画本数26本(現在44本)

本数だけみるとほぼ毎日観ていた感じになりますが、今月は1日で2本観たり、多い日は3本観る日もありました。プライムのドラえもんにはまり、一本が90分と短かったせいもあるかもしれません。

今月の一押しはもちろん『グレイテスト・ショーマン

kuro-yan.hatenablog.com

 

▼本を100冊読む

今月読んだ本の冊数12冊。(現在31冊)

今月は最近流行の本なんかもちょこちょこと読みました。LIFESHIFT、お金2.0、などなど。パラダイムシフトについて書いてある本が最近は多いのか、自分がそれを選んでいるのか。。色々読みましたが、ジェダイ教徒でもある私はこれが今月のベスト(笑)

 

▼日記を毎日書く

今月も無事、毎日書くことができました(^0^)

 

 

▼英会話力。オンライン英会話始めました。

kuro-yan.hatenablog.com

ついにひと月が経過しようしています。コツコツと続いております。三月も引き続き勉強したいです。そろそろ英語の小説、アソーカにも手を付けたいです。

 

▼切り絵作品

一旦停止中。最近はもっぱらガーデニングのことばかり考えています。切り絵は雨の日、寒い日限定にしようかなあ。

 

美ジョガーになる

ホットヨガ&5kmランニングを平日ジムで続けました。平均週三日といったところでしょうか。毎日の習慣にしたいです。

 

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振り返りから、3月の目標も設定

▼映画を150本観る (続行)

▼本を100冊読む(続行)

▼日記を毎日書く(続行)

▼英会話力(続行)

 ※本を読む方も始めたい。

▼切り絵作品→ガーデニングに切り替え

美ジョガーになる

 ※食生活にも気をつけたい 

 

逃げるように、の2月が終わって明日から3月。最近日中はコートもいらないような日もあったりして、春が近づいてきているのを感じます。

基礎を作り込んで春を迎えたい、そして活動の夏を迎えたい。という気持ちを強く、基礎作りの3月をしっかり過ごしていきたいです。

 

 

 

 

 

たまに世界が果てしなく思えて、そういう時、人生がとてもワクワクする。

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headlines.yahoo.co.jp

若者の死因、自殺が1位。なんとも悲しいニュースです。

色んな見方があるとは思いますが、女性だからでしょうか。もしも自分が生んだ命が自ら死にいったら…と想像するだけで、ものすごく悲しい気持ちになります。

 

 

私は基本的にポジティブな人間なので、あんまり死にたいとか考えたことはないのですが、人生で全く考えたことがないかというと、そうでもないです。

小学生の時、意地悪された時は泣いてもう人生終わらせても良い、とか思ったことありますし、思春期のときも相応に人生について悩んで、死にたくなったときもあります。(死にませんでしたが、10円ハゲができるくらいにストレスだったようです)

 

死にたくなりそうになりながらも、こうして生き延びている訳ですが、その理由の一つとして、自分の命と向き合う時、必ず世界とも向き合っている、というのが一つある気がします。

 

▼世界と向き合う。それは地球を感じるということ。

文字にするとだいぶ怪しいですね(笑)

地球を感じる、というのは何も怪しいことでもなく、すごく身近なところで言うと、超田舎で回りに電球も何もない場所で天の川を見たときに感じるもの、のようなものです。つまり、人間以外のものの存在を大きく感じる瞬間、とでも言えば良いのでしょうか。

 

当たり前ですが、この世の中に生きているのは人間だけではありません。

私達の大多数は人間の中で、もっと言うと人間のシステムの中で生きていますが、自然の中に入ると、そんな人間のシステムがとてもちっぽけに感じます。

今晩星を見上げて、その光っている星の場所で起きていることなんて、私達に想像できないように、あちらの星から私達のことをみれば、今自分が感じている悩みなんて、すごくちっぽけに思えてきます。

平たく言えば、世界はまだまだ広いって感じる、ということなんでしょうかね。

本気で逃げたければ、実際に一旦、地球の裏側まで逃げてみればいい、とさえ思えます。

お金がない、時間がない、家族が心配する、会社・学校がある。

色々あると思いますが、それも人間が作った物なので、究極的には抜け道が必ずどこかにあるものです。

神様が作った宗教でさえ、まだ完璧に機能していないので(戦争とか宗教のせいでおこったのもあるよね)、人間が作った物がそりゃ完璧になんて、幻想もいいところです。

 

 

▼世界は果てしない、まだまだ行くところはたくさんある

人間以外の物、自然の存在を大きく感じると、私は不思議と好奇心も湧いてきます。なぜ、自分はここにいるんだろう、という哲学的な好奇心から、この川の水はどうしてこの幅で流れているのだろう、とかどこまでどれくらいの距離を流れているのだろう、とかこの風はどこから吹いてきたのだろう、という自然科学的なものまで。

疑問で溢れると、死んでる場合ではなくなっています。なんやかんやで自分という存在をつかって地球を遊んでいるのだと思うと、気楽です。

誰かが、地球は遊び場、人生は壮大な暇つぶし、という言葉を残していますが、死にたくなったときはまさにこの言葉がてきめんだったりします。

 

 

▼迷惑をかけない人、はいない

そもそも迷惑ってなんでしょう。人が嫌がることをする、それも一つの回答です。

けれども、生まれてから死ぬまで、迷惑をかけない人、なんていないし、もしもいたとしたら、その人のそう言う思考回路が一番迷惑な気もします(笑)

だって、俺は誰にも迷惑なんてかけたことないぜーって言っている人、絶対自分が何か迷惑をかけていても、それは迷惑じゃないってこじつけているパターンだし、迷惑をかけているかもしれないなあ、と謙虚な人の方が人としては多くの人が付き合い易い人、だと思います。

 

なんやかんやと書きましたが、自分についての生死を考えることも、必要なことではあると思います。

とある国では、生きるということと一緒に、どう死ぬべきか、ということも考える風習があるそうです。日本でも過去、武士なんかはそういう思考をしていたようにも思います。

死ばかりを考えるのはバランスが良くないですが、同じように生きることばかり考えているのもあまりバランスが良いものではないようにも思います。

生きるのと同じくらい死のこともたまには考えた方が良いでしょうし、死ばかり考えている人は、たまには生のことも考えてみるのも、思考がクリアになると思います。

そして、自分自身の生死がミニマムに自分の内面の極地にあるとすれば、果てしない世界のことについて考える、という行為は外側の極地を指すかもしれません。

 

私は、バランスよく、どちらのことも考えているうちに、人生がわくわくしてきますので、何かに悩んだ人はぜひ、お試しあれ。

 

トランプ大統領の発言を斜め上に捉えてみた

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www.jiji.com

先週金曜日頃でしょうか。いつものようにNHKのBSで、ワールドニュースを見ていた流れで、アメリカの夕方のニュースが流れました。

そこで銃撃された生徒達と話し合うトランプ大統領の姿。どんな発言が飛び出すかと思いきや、教師も銃を持って武装すれば良い、と。

いやあ、言い切れちゃうのがすごい。多分政治家の中には、そこまで思っていても、人気取りの為に濁す人の方が多いんじゃないかな。

発言の中身はともあれ、ここまではっきりと自分の意見を貫いて表現されると、一周回って清々しささえ感じそうです。

 

そのニュースの中だったかで、トランプ大統領が就任して銃規制が緩んだ後、教育機関に置ける銃関係の事件は3日に一度くらいで起きているらしいです。日本の地震より頻繁なんじゃないだろうか。

そういった背景から、高校生及び若者による、銃規制の声、というものはどんどん高まっているようですね。

 

端から見ていれば、目には目を、歯には歯をという古代的戦いの解決法を提案する、文明人らしくない代表トランプ大統領、に見えます。

本人もそのつもりかもしれませんが、こうして若い人たちが、強烈すぎるリーダーに反旗を翻すことによって、将来的にはアメリカが銃規制を実施するような方向に行っているような気がします。

つまりトランプ大統領は、強烈な銃推進派を演じつつ、実は銃規制を進めているのではないか、とも見えるのです。

(ここまで進んだら、大統領が交代したらすぐに規制の方向に走りそうな気がしてならない)

 

なぜなら、老人は死にますが、若い人はこれからを生きるからです。怖い想いをした彼らが大人になる時、銃規制派の方が多数派になるのではないでしょうか。

外から見ているからなんとでも言えますが、トランプ大統領くらい過激(というか意見がはっきりしている)な人が上にいることによって、政治に感心が向き、様々なことに関する議論が巻き起こっているように見えます。

政治に無関心になってしまいつつある某国の状態よりも、そういう側面では民主主義的には健全とも言えるかも、なんて思ってしまいました。

 

 

話は変わりますが、夫に、もしも明日から武装しろ、と言われたら、なんて答える?と聞かれました。

思わず有川浩の『図書館戦争』を思い浮かべてしまいました(笑) 

 ※図書館が武装する話です(笑)

 

私だったら、まずそういう能力で採用されている訳ではないから、それをあくまでさせるのであれば、訓練と給与のアップを求めるし、アップしないのであれば、専門家(なんでしょう?自衛官とか?警察とか?)をきちんと雇うことを主張したい。

ここまで考えて、はっと思ったのが、銃ではなくても、日本の学校の先生って今、もしかしてこういう状況?って思いました。

だって、小学校の先生って、20代、30代の先生ならまだしも、40代以上の先生って、英語を教えることなんて想定されていなかったのに、今突然英語教えろっていう状況になって、でも給料は上がっていない。(むしろ下がっている)しかも今後は彼らはプログラミングも教えなければいけない状況になるってことでしょ。

 

ある側面だけ見たら、日本の政治家もトランプ大統領と変わらないのでは?

と思っちゃった。

 

 

【感想・ネタバレ有】様々な立場の目線が交錯する映画、グレイテスト・ショーマン

 

大ヒット公開中、という映画『グレイテスト・ショーマン』を観てきました。

realsound.jp

LA・LA・LANDスタッフが10年かけた、(LA・LA・LANDより先に作り始めたのに、LA・LA・LANDが先にできたそうです)その楽曲や映像としての切り取り方、ミュージカルとしてのクオリティは圧巻でした。アメリカで有名な興行師、P.Tバーナムの自伝とは思えない、アクション映画さながらの迫力ある映画でした。

 

本作は観客からは評価が高いが、批評家からの評価は分かれている、と評されているのが全てを語っているようですが、LA・LA・LANDが芥川賞だとするならば、グレイテスト・ショーマンは完全に直木賞、つまり超大衆的エンターテイメントな作品だったと私は思います。

(そりゃ批評家からの評価は分かれますよね)

 

そんな『グレイテスト・ショーマン』、私はもちろん面白いと感じました。同時に、これがついに日本でも流行る日が来たのか、ということを感じました。

もしもの過程ですが、もう少し前の日本だったらこんなに流行らなかったようにも思うのです。

 

《目次》

▼一昔前なら猛反発?!バーナムが雇い入れた奇抜な人達の存在

▼マイノリティだけじゃない、こういう人からみた世界、が複数描かれている

▼19世紀のことが今、また表に出て、みんなの心をさらった理由

▼おわりに。絶対にクレジットも観るべき映画

 

 

 

▼一昔前なら猛反発?!バーナムが雇い入れた奇抜な人達の存在

物語は19世紀のアメリカ。バーナムは貧しい生まれながら、人々を楽しませたり、笑わせたりするのが好きな少年。

紆余曲折ありながら、バーナムは古い博物館を購入。中々人は集まらない状況で、自分の子どもの「動かない死体より、生きていて動く物が見たい」という一言から、とにかく面白く、これまで見たことのないような人達を集めます。

小人、巨人、ひげが生えた女、曲芸が得意な兄妹、などなど。いわゆる見世物小屋です。

もちろん映画の中の世界でのことですが、一昔前なら、日本では大ブレイクどころか、猛反発運動が起きていたんじゃないかと思うんです。

news.livedoor.com

小人プロレス、というものがあったわけですが、これらは「こういう人達を見せ物にするんじゃない」という声が上がり、表舞台から消えていってしまいました。

奇しくも、映画『グレイテスト・ショーマン』の中にも同じようなシーンがあります。このようなものを見せ物にするなんて、と。19世紀のアメリカで起きたことが、20世紀の日本で起きていた訳ですね。

 

今回映画にも、実際に小人である役者サム・ハンフリー(オーストラリア)が出演しています。今回大ヒット興行中、ということで21世紀の日本では受け入れられた、と言っても良いのかもしれません。

この映画はそういった人権に対する歴史を考えさせられる側面も持っていると、私は感じました。

 

 

 

▼マイノリティだけじゃない、こういう人からみた世界、が複数描かれている

主人公のバーナムだけでなく、いわゆるマイノリティであった人達からの目線でも物語が描かれているシーンが結構あります。バーナムからみたらこう見えるけれど、この人からみたら、世界はこう見えているのよ、というシーンだったり。

 

加えて、金持ちと貧乏人、という視点も登場します。

印象的だったのは、義理のお父さんを見返して、人々を見返して、王女様にも会って、いつしか家庭を置いてけぼりにしてどこまでも上を目指し続けるバーナムに妻が一言、嗜めるシーン。しかし、貧乏だったバーナムが裕福だった君には理解できない、と裕福な家出身の妻に言い放ちます。

これは世間でも、いわゆる「成り上がり」系の人が陥り易い泥沼を描いているように見えました。貪欲であるが故にどこまでも追い求める、その一生懸命さはとても素晴らしいエネルギーです。

そして、バーナムの主張である、「裕福だった人には分からないよね、人に下に見られるこの気持ち」というのも分からなくもないです。

しかし、承認されたい欲というのは果てがないもの。もっと欲しい、もっと欲しい、と思う前に、本当に大切なことが何だったのか、省みて、冷静に目の前を見つめることも必要です。

余談ですが、それを見つめずに欲を追い求めた存在こそが映画『STARWARS』に登場するダース・ベイダーでしょう。(※彼は自分の愛する妻を失うことを恐れた末に悪の帝王になり、全てを失いました)

 

また、金持ち達からの視点も中々に面白いです。バーナムが集めた個性の強い集団に、これは芸術ではない、と一蹴する金持ち達。また、個性的な彼らを見せ物としてしか観ていなかった初期のバーナムの存在もまた、非常に世の中に対して刺さるものがあるように思いました。

金持ちとして描かれていましたが、時に苦労無く育った身分の人は、何の気なしに、マリーアントワネット的な発言をしていることがあります。(「パンがなければ、ケーキを食べれば良いじゃない」みたいな)

私も、過去、都会育ちの夫に「どんなに田舎で育ったとしても、今やインターネットもあるんだから、情報格差がそんなに大きいとは思えない」みたいなことを言われたときは、カチンと来ました。(検索したくても、どんな言葉で検索したら良いのか分からなければ、インターネットも有効に使えません)

まさに、マイノリティ、経済、いろんな立場の人からの目線がまさに交錯している映画でした。

 

▼19世紀のことが今、また表に出て、みんなの心をさらった理由

昔、有性生殖と無性生殖、ということを中学生のときに習いました。無性生殖はアメーバみたいなやつで、自分だけでどんどん増えていけるやつ。

一方有性生殖は必ずオスとメス、男女がそろわないと増えることはありません。

この二種類、それぞれのメリットデメリットも理科で習いました。

無性生殖は早く増殖できるけれど、病気に弱い。みんな同じだから、一つの病気が流行ったら、一気にみんな病気になり、全滅してしまうリスクが高い。

一方有性生殖は、増え方はゆっくりでも、みんな違うから、何か病気が流行っても、生き残れる可能性が高い。それぞれが違えば違う程、繁栄できる、システムなのです。

 

今も既に言われ始めていますが、これからは人と違いがあればあるほど、つまり個性があればあるほど、価値がある世の中になっていく、と言われています。実際、画一的に、言われたことだけしかできない人材、というものの価値は薄まっています。それは、画一的なルーティン化できる仕事はロボットがやってくれるから人間は創造的に働くことがすでに求められ始めているからです。

19世紀には、人権という観点で注目されたものが、21世紀の今、今度は個性を大切にする、という観点からまた再注目されたからこそ、こうして人々の心の琴線に触れているのでは、と思います。

それは私達が生き物として有性生殖を選んだ瞬間から始まっていたのかもしれませんね。

 

 

▼おわりに。絶対にクレジットも観るべき映画

なんやかんやと書きましたが、エンターテイメントとしてとても面白い映画でした。脚本がハマらなくても、各シーンが本当に細かい部分まで練り込まれているので、最後までいろんな視点で楽しめると思います。

お酒好き、歴史好きな人であれば、バーナムたちが飲む、飲み物に目がいくでしょう。貴族の飲み物と大衆の飲み物を上手く使い分けて、シーンが描き分かれています。ヒントはビール、です。

曲芸師のヒロイン役の演技も素晴らしいです。スタントなしだというシーンは圧巻でした。

最後の子ども達のバレエシーンでは、お願いごとをしたときに、バレエシューズを欲しがった子は中心で踊り、サンタの嫁になりたいと言った子は、木の役で出てきます(笑)このおちゃめな感じが彼女のキャラを演出していて面白いと思ったし、勝手にまた別の物語が想像できそうだと思いました。

(勝手な妄想ですが、サンタの嫁になりたいといった彼女は将来、おもちゃ屋さんを創業する人物とでも結婚しそうです(笑))

 

そしてなんといってもクレジット。邦画だと色々小ネタを盛り込むことが多いですが、洋画はいつもかなりシンプル・・・

のはずが、とても素敵な油絵をバックにクレジットが流れます。

これもまた、伝統的、古典的な芸術とバーナムが立ち上げた大衆のエンターテイメントの対比となっているようで面白かったです。(絵もきれいでした)

 

というわけで、鑑賞の際はぜひクレジットも最後まで。

 

 

マッチングアプリの話を聞いて思いついた、報告書学習法

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昨夜我が家に泊まった友人、友人のお姉さん(私と同い年)とランチに行ってきました。その際に話題に上がったのは最近流行のマッチングアプリ

アプリ台頭前に結婚してしまったので、私は利用したことがなかったのですが、姉妹は使ってみたようで、その話を聞いたりしました。

match-app.jp

自分が使ったことがないだけに、新鮮で勉強になることも多かったのですが、マッチングアプリの話以上に私に響いたのが、「報告書」でした。

 

姉の方が、マッチングアプリ活用後、その感想等を会社なんかで提出する報告書風にまとめ、姉妹で共有していたのです(笑)

私も見せてもらったのですが、分かり易い上に面白い!

そして、普段自分が感じたことや体験したことを、こうして報告書風にまとめておくことが、高い学習効果を生むのではないか、と考えました。

 

《報告書学習法のポイント》

・体験後すぐに記入。スマホのメモ帳に、件名、概要、詳細、総括、というテンプレを作っておいて、帰りの電車内で書ける範囲で書く(この時間の制約重要)

・誰かに見せる(私の場合は夫、もしくはやると宣言した友人に。こうするとやるやる詐欺を防げる=有言実行できる)

 

《効果について考えられること》

・すぐに頭の中のことを文字化(=可視化)することによって、体験したこと学んだことを整理し、まだ分かっていないことやその学びが自分の中でどのような位置づけとなるか考える材料になる。

・時間を決めて取りかかることによって、自分がその体験や学びから最も重要だったこと、印象に残ったことがよく残る

・ネタとして蓄積できる

・テンプレを作って電車の中でやる、とというルーティンを作ることによって、物事をやりっ放しにすることを防ぐ(=多くの自分の行動を学びの時間に変えられる)

 

さっそくその後、私だけが参加した交流会を、帰りの電車内で報告書を作成し、夫にLINEのノートで共有しました。

いつも、一人で何かに参加してきて、夫に「どうだった?」と聞かれた後の感想が、短く、内容がこもっていないことが多かった私ですが、こうして報告書にすることで、喋るよりも伝わるし、夫も質問がし易くなり、夫婦での「体験の共有」がスムーズに行くようになった気がします。

 

しばらく続けてみようかな、と思います。

 

 

 

就活生に会って考えさせられた、就活で一番大切なこと

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【要約】

・友達(就活生)が我が家に泊まりにきた

・相談されて、自分がどのようにして人生を決断してきたのか振り返った

・多くの就活生(学生)の現在地から感じる、就活で一番大切なこと

 

今日は友達(就活生、現役の大学生)が我が家に泊まりにきました。昨年カンボジア旅行でお世話になった、友人の妹さんです。

カンボジアでだいぶお世話になったこともあり、就活で都心に出てくるときに、宿泊地として使って良いよーとお声かけしていたのを思い出して活用してくれたようです。

帰国してから色んな企業を見に行ったり、面接練習やら就活ゼミに行ったりやら、色々あった彼女から、様々な相談を受けました。彼女から見たら、私達夫婦はちょっと年上で自分の人生のロールモデルの一つとしてイメージし易い年代なのかもしれません。

 

色々聞かれるうちに、自分自身がどのようにして人生を決断してきたか、道を進んできたか、を振り返ることができました。

 

そもそも私は大学生から社会人になる時、彼女を始めとする多くの就活生と同じ位、悩みが合ったかというと、それはほとんどありませんでした。

嫌味に聞こえそうですが、自分の進むべき進路についてほとんど悩みがなかったのです。0ではありませんが、多くの就活生ほど深刻ではありませんでした。

 

なぜ、なかったのか、それには大きく二つの理由があったと思います。

1つめは、高校選択から本気で、自分自身で進路を選択する機会を得ていたこと

2つめは、自分自身について探求する大切さを理解し、常に実践していたこと

です。

 

1つめ「高校選択から本気で、自分自身で進路を選択する機会を得ていたこと」について、多くの人が、そのときの自分自身の力ある限り、一生懸命考えたと思います。

私自身も大人になるまで、みんな同じように考え、悩んで選択していると思っていました。けれども、大学、社会人と進むに連れて、自分が少数派であったことに気がつきました。

多くの人は、高校に行くことは当たり前であり、そしてその選択の基準は基本的に学力でした。

 

けれども私自身は、環境と親からの問いかけで少し違いました。

まず、そもそも高校は義務教育ではないから行く必要は無い、(いかないという選択肢もある)という前提からのスタートでした。高校へ行くこと、という多くの人が常識的に考えるところを疑い、もそも高校に行くことの必要性、から考えたのです。

ちなみに私の回答は、

・大学に行って勉強してみたい(高卒資格が必要)

・大検を自力で取れる程、勉強に関する能力はない(努力で補っていましたが、勉強は得意な方ではないため、先生に教えてもらう必要がある)

・もっといろんな同年代の人と会ってみたい(田舎で幼稚園からみんな同じクラス、みたいな環境だったので同年代の人ともっと会ってみたかった)

 

これもすぐに答えられた訳ではありませんでした。親からの問いかけがあったことによって、「2つめ、自分自身について探求する大切さを理解し、常に実践していたこと」をスタートさせていたのです。

自分がどれくらい勉強ができるか、これは県内模試を受ければそれなりにすぐ分かりますし、その結果を出す為に費やした勉強時間を加えれば、自分自身の生産性も分かります。そこから勉強は好きだし、努力もできるけれど、生産性が高くない方であることを理解したり、また、本で様々な偉人の話しから人生のロールモデルを疑似体験し、こういう生き方はいいけれど、こういうのは自分は嫌、みたいなこともよく考えたりしていました。

 

また、私の友人の中には学費の問題で高校に行くことが困難な子も多く、奨学金でまかなっても厳しいと判断した友人の中には、アルバイトを一年やってから夜間で高校に通い始める子もいました。

正直言うと友人は私と同じ、教科によっては私よりよい成績でした。

当時は大学全入時代が始まろうとしている世の中で、まだ高校にさえ自由に行けない子を置いていく社会ってどうなの?っていう疑問でいっぱいでしたが、友人は自分のペースで楽しく人生生きていましたし、私自身も、そういう友人の姿をみて、世の中で当たり前とされているレールを歩く、ということについて良い意味で疑問を持てるようになりました。

 

当たり前ですが、自分で選ぶと何をするにも自分で選んだこと、という意識になるので、力の入れ方が変わります。

そうした訓練を、多くの人は就活をする段階になってからやる、ということが多いような気がします。(大学選択で行う人も多いようですが、やっぱり親からの期待や周囲の目線を気にして、結果的に自分自身の選択になっていない人も多いようです)

 

 

そんなこと言ったって、もう既に就活は迫っているよ。(もしくはもう就職したよ)という人も、遅いということはないと思います。

2つめ「自分自身について探求する大切さを理解し、常に実践していたこと」はいつからでも始められることだと思いますし、何ならずっと続けた方が良いことだとも思います。

それは、就活生である泊まりにきた友人に、ある質問を投げられて気がついたことでした。

 

「くろやんさんからみて、今いい会社、いい業界ってどこですか?」

社会人として様々な業界、業種、会社の人と出会ってきての、その上でどんなところが良いと思いますか?という意味での質問でした。

 

もちろん私からみた視線のいい会社、というのはたくさんあるけれど、そもそもの「いい」の基準がきっと友人と私では大きく違う。

もちろん歩みたい人生の形が似ていれば参考になるけれど、能力値が違えばその人にとっての「いい」は当たり前ですが変わります。

私にとって、という部分は答え易くもありますが、就活生である友人にとってそれは近道ではないと考えました。

 

そういったことを話した上での、私自身が思う良い会社は答えましたが、それよりも、遠回りに見えて、自分にとっての「良い」を追求する方が大切かもしれない、と私は答えました。

案外、自分のことは自分が一番良く分かっていなかったりします。いろんなことを知ったり、やってみたりして、「あ、やってみたけど意外とつまんなかった」とか「興味なかったけど、やってみたら楽しかった」ということはとても多いです。

 

そうした試行錯誤を重ねていくと、徐々に自分の姿が見えてきます。そうしたことを意識していれば尚更、よく自分の姿が見えてくる。

自分はこういうことが好き

自分はこういうところは一般的な平均よりも高そうだ

自分のこういうところは一般的な平均よりも低そうだ

自分はこういうところは譲れない条件としてある

 

まさに、就活生がぶちあたる「自己分析」というやつなのかもしれません。

(そしてこれは、世の中を勉強して知っていかないとできない分析でもある、と最近感じます。そう言う意味で、本を読んだり色んな世界の勉強をすることはとても大事)

 

就活中の友人へのヒントとしては、

まず自分がどういう方向で生きていきたいか(=ゴール、目標設定)

自分の手札調べ(=自分の能力値はどうなっているか)

を出しました。

 

ゴールが分かって、自分の持ち札(持ち駒)を自分で話せる状況になれば話しは一気に進みます。そうした戦略を立てるのが上手い年配の知恵者をあたればよいのですから。

 

しかし、考える上でゴールは明確でなければいけないものではないということに、気をつけなければいけないと思います。

ゴールは自分が知る世界が広がれば、自ずと変わる物だから。

大体、自分が設定できるゴールは自分が知っている世界にとどまります。けれども、人生年を重ねれば、色んなことを知るし、色んな経験も積む。そうすると、ゴールは変わる。

 

けれども、ゴールが変わっても、大体その人の中には不変のものがあります。

例えば、ずっと同じ場所で平穏に暮らしたい欲求が強いのか、(ずっと同じをキープするには、緩やかに上る必要があるでしょう。そもそも環境自体が常に変化しているので)冒険を強く求めるのか。成功を求めるのか幸せを求めるのか。物質的な豊かさをどこまで求めるのか、精神的な豊かさをどこまで求めるのか。

そして、その不変なものを探求していこう、という姿勢を作ることとこそ、就活で一番大切なこと何じゃないかなあ、と思います。

 

友人からは相談された身だったはずですが、気がつけば自分自身の生き方、今後を改めて観直すきっかけになっていました。

こうして友人の話しを聞きながらも、自分の生き方を探り続けようとする自分の姿勢に気がつくと同時に、大切にしていきたいなあ、と改めて思いました。

 

 

最後に、自分を知るツールの一つとして、最近活用しているのがこのストレングスファインダー。会社によっては研修で使っているところもあるようですね。昨年春に2.0が出ていたようです。

人間誰しもがもっている34の資質について、最も強く現れているのはどんな資質?というランキングが出てきます。

kuro-yan.hatenablog.com

お金はかかりますが、タダより高い物はない。お金を出した方が有益な情報を得られる確立は高いです。(ネット上にはそうではないものもたくさん落ちているので気をつけた方が良いですが)

自分のことをもっと知りたいと思った人には是非、おすすめです。

 

 

 

 

猫派?犬派?終わらない派閥論争の終結点

今週のお題「ねこ」

 

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実家では犬を飼っていた。

都心部で捨て犬としてうろうろしていたところを、父の友人が発見し、保護。飼える人を探していたときに、父が声をかけられた。

父は犬や猫といったペットをあまり好んでいなかったが、結婚相手である母が犬や猫好きだったことを覚えていて、最後の最後で父に声がかかったらしい。

捨て犬なのでもちろん既に成犬。おすわりと待てができるが、とにかくよく吠える犬で、それが都会では近所迷惑になって捨てられたのでは?とまで言われていた。

見た目はパトラッシュのようなもふもふとした毛(色は白と茶。もう少し大きかったら本当にパトラッシュ)。中型犬と大型犬の間サイズくらいの、雑種のメスだった。

 

吠える犬だったので、父の友人は田舎に住んでいる友人に声をかけて回っていたらしい。けれども貰い手が中々つかず、最終的には母の犬を飼いたい、という夢を後押しするためと、その犬がほえるが、すでに待てとおすわりができる躾けられた犬、という友人の営業トークで、犬は我が家にやってくことになった。

 

我が家であればご近所さんも犬を飼っていて、向こうも夜中中吠えまくっていても、トラブルになったことはないし、我が家も特に気にしていない。さらに熊やイノシシ避けにもなるかもしれない、みたいな思惑もあったようだ。

 

そんなこんなで犬は我が家にやってきた。

宅急便かなにかで届いたのだが、「活犬」という表記をされて届いたエピソードは、未だに我が家の笑いネタの一つだ。魚かよって(笑)

 

パトラッシュに似た犬は本当によく吠えたが、何かにおびえて、というよりは構って欲しくて吠えているようだった。

散歩も大好きで、私や弟が当番のときは、田んぼのあぜ道で好きなように走ろうぜってダッシュしまくったりもした。犬も私達も疲れるまで走った。

基本的には外で飼っていたが、雪があまりにも多いときは部屋の玄関に入れた。父が率先していれた。元々、犬小屋の上にさらに屋根付きの小屋を作っていたところに入れていたから、雪に埋まる心配はさほどしていなかったのだが、父が一番心配して、そして父がいれた。

(子ども達的には嬉しかった)

寒い日は肉を食って活力を付けさせた方がいいんじゃないか、と寒さ厳しい日は父が肉を焼いて与えており、一番犬を飼うことに反対だった父が犬に一番好かれた。(結構あるあるみたいですね(笑))

 

私と母が主にかわいがっていたのだが、飼い主に似るとはよく言ったもので、ちょっとドジな私と母に似て、散歩中、何もないところで転んだり、(犬の転ぶ姿を見たのは後にも先にも、まだこの子だけ)雪を落とす側溝の小さな足に片足を突っ込んでしまって、軽いねんざ状態になり、しばらく足を引きずることになったり。

心配な部分も合ったけれどとにかく可愛かった。

 

犬は強さも見せてくれた。母が作り上げた畑にやってきた猿、キツネ、狸、そしてイノシシたちを追い払った。よく吠えるのと、少し身体が大きいことが功を奏した。

特に狸との決戦はすごかった。犬は野生に戻ったような俊敏な動きで狸と対決し、勝てないとふんだ狸は森へ帰っていった。

決戦の次の日の朝、犬には父が焼いた肉が与えられた。

 

犬が我が家にいたのは、私が小学校の高学年くらいのときから高校に上がったくらいまでだった。

猫も好きだったけれど、飼ったことで犬も好きになった。

 

結婚してみると、夫は猫派で、実家では猫を飼っている家だった。都会だと、猫の方が楽なのかもしれない。散歩の必要がないから。

夫曰く、猫のツンデレなところが好きらしい。決して媚びないその姿が好感が持てるとのこと。

私はどちらかといえば一緒に楽しめたり、呼んだら来てくれる方が好きだから、犬派かもしれない。と思っていたら、夫の実家に新しくやってきた猫が犬みたいな猫で、呼んだら鳴いて返事をするし、撫でて欲しいと積極的。

その猫を見ていると、何だか猫もいいなと思えてくるんだから、とどのつまり犬だろうが猫だろうが、どっちでもいいけれど、やっぱり大事なのはその犬や猫がもっている性格なのかもしれない。

人間だって、一緒にいる友達は自分と性格が合うやつがいい。

きっと動物も一緒だ。

 

子どもたちがすっかり自立して、母は再び動物を飼おうと画策しているようだ。

犬を一度飼って、意外と面白かったのと、畑を守るというお役に立った一面をみて、父も犬には寛容になった。(猫は未だに飼う意味が分からないと言っている。ただ、都会にいると、猫のゴキブリやネズミと戦ってくれる一面の方が貴重に思える)

 

ただ、自分たちの年齢だったり、旅行に行くときの預け先であったり、猫であっても犬であっても共通の悩みが色々とある。

 

そんな、猫か犬か迷い、終わらなかった母の悩みは最近解決されたそうだ。

ついに、猫派か犬派か、終わらないと思われた論争に終結が打たれたのかと、その結論を聞いたところ、思いも寄らない回答だった。

 

結局どっちを飼うことにしたの?

 

母「あ、ロボットにしようかとおもう。アイボ。今は犬しか出てないから犬ってことになるのかしら。旅行のときは電源を切っておけば良いし」

 

時代を感じる回答に、いつの日か、そもそも動物を飼うという選択肢の中に、ロボット、というものが普通に登場する日も近いと感じた。