まっすぐにいこう

けいぞくはちからなり

東北の人が笑わない、という理由について考えてみた

f:id:kuro-yan:20180107102833j:plain

高校生の時、修学旅行で関西方面に言った時、自由行動の行き先について、誰が言い出したのか、

USJは将来カップルで行けばいいんじゃね」

「その他寺院は前日、前々日までに色々いくから、昔の文化ではなく今の文化を知れるところが良い」

という意見が上がって、よしもとのお笑いを見に行くことになった。

ちなみにそのときの班員は7人ほどで全員女。

3人以上ならどのように班を作っても良い、というルールで、なんやかんや人を集めたらこの人数になった記憶がある。

これ以上は分かれろ、と言われたものの、その理念に賛成する人が多かった故に、多分班が分かれても一緒に行ったんだろうけれども。

 

そんなこんなで東北の女子高生7人でよしもとに行った、という思い出は、そういう班が意外と他にいなかったせいもあり、クラス会で少し話題になるくらいには楽しいものとして記憶に残っている。

 

今振り返れば、高校が私服だったこともあって、7人に修学旅行生感はあまりなかったかな、とは思うものの、言葉が明らかに関西弁ではなかったので、どんな集団に見えていたのだろうかね。

 

そもそもそういう劇場に行く、という文化がない東北の田舎から出てきた7人。普通に面白くて、楽しかった。やっぱりプロは違う。

ただ、面白かったね、で終われば良いんだけど、それだけで終わらない思い出も一つある。

 

当日の最後はフットボールアワーさんだった。

前日までなんと東北地方を巡業していたらしいことを最初のしゃべりネタにつっこんできた。

東北巡業、とにかくみんな笑ってくれない。

会場があんなにシーンとしているのは初めて。

でも終わると拍手は盛大。

反応が掴みにくかった。東北は難しいと先輩達が行っていたのは本当。

 

そして最後にこの一言。

「会場に東北の方、おられます???」

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東北の田舎者らしく、私達は固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず、お互いに目を合わせる7人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も手を挙げない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、本当にいなかったのか、それとも私達のように、東北人らしく固まったのか、手を上げた人は一人もいなかった。

 

今では高校時代の良い思い出、かつ東北人的なネタとして関西の方と話すときの私の鉄板ネタになっているんだけどね。

 

さて、そんな『東北人は笑わない』

ということについて、この年末年始考えさせられる出来事があった。

 

テレビではお笑い番組がひしめき合う年末年始。

私も例に漏れず、テレビを付けたらやっていたお笑い番組を、そのまま流れで見始めた。全国で有名な漫才の人達を始め、関西圏のみで活躍している方達も多く出た。

 

大阪で一番ウケている、という漫才コンビが出てきたときだった。

さぞかし面白いのだろうか、という期待の下、テレビに視線を向けた。

 

 

漫才が始まって、数秒経った頃。

なぜ、東北人が笑わないのか、ひらめいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞き取れなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、東北よりも、圧倒的に早口なんだと思う。

 

東京に出てきたときでさえ、関東の人はしゃべりが早くて会話についていけないなあ、なんて思ったのに、関西の人のしゃべりは早送りで見ている気分だった。

 

生で見ればまた違ったんだろうけれども。

テレビでは日本語のはずなのによく聞き取れず、笑いのポイントを聞き逃すという事体が発生した。

 

その後に見たサンドウィッチマンのネタのゆっくりさたるや。

優しさを感じてしまった。

 

東北の人は笑わない訳ではない。

多分、聞き取れていないだけなんじゃないだろうか。

 

東北で売れたい、関西の芸人さんは、多分ゆっくり話せばいいんだと思う。

 

 

魔女の宅急便をみてオソノさんになりたいと思った

 

映画年間150本の目標に向けて、毎週金曜日の金曜ロードショーをみることを決めました(笑)

毎週定期的に同じ時間に映画を観れば習慣化するのでは、という目論みと、それなら金曜ロードショーを観れば良いのでは、というところから、今年は金曜ロードショーを全部観る気持ちで一年を過ごしてみたいと思います。

 

金曜ロードショーは、そんなスタートダッシュに嬉しいジブリ祭りから始まりました。今日は『魔女の宅急便

私は原作が結構好きで、6巻までこどものときにしっかりと読んだのですが、意外とその事実を知らない人が多くてびっくりしています。

学校の図書館とかにあったと思うんだけどなあ。

kuro-yan.hatenablog.com

前の記事でも紹介した事があったっけ。

最初の頃はキキになりたいのだけれども、だんだんウルスラに憧れて、今回はなんと、ついにオソノさんに憧れの気持ちを抱くまでに至りました。

この映画を最初に観た当初は、オソノさんは大変年上で自分の母親のような人で、特に憧れの気持ちなんてなかったけれど、今回観たら、なんてしっかり自分が作った基盤の上で生き生きと働いているのだろう、と思った。

もっとお金持ちになる生き方もあるし、もっと自由な生き方もある。

けれどもオソノさんはあそこのパン屋さんでとても幸せに生活を広げていて。大人だからきっといろんな悩みもあるんだろうけれど、そういうのもひっくるめて豪快に笑って生きるあの姿勢になんだかついていきたい気持ちになりました。

この年になったからこそ、

オソノさんのキキに対する、私も空が飛べたらなあ

という台詞の気持ちもすごく伝わってくるし、

困っているなら早く言えば良いよ、うちの部屋を使いなよ

という台詞の暖かさも伝わってきた。

 

しかもオソノさん、あの出産が一人目だとしたら、意外と設定若いんじゃないか、とも思えて調べてみると、26歳。

ジブリは年の割にみんなしっかりしているなあ、と思いつつ、あれだけ壮大な出自をしていたり、環境が壮大だったりしたらそりゃしっかりもするかなとも思った。

 

キキのように能力や才能がありながらも悩める若い人の力になれるような、まっすぐ自分の道を歩いて行く強い女性に私もなりたいです。

 

人の振り見て我が振り直せ

f:id:kuro-yan:20180106160840j:plain

新年が開けてすぐの行事が『親戚への挨拶回り』

結婚すると相手側のしきたりや習わしに従って動くから、最初のうちは慣れなかったけれど、年数が経つに連れて慣れてくると、それぞれの家で頂くごはんを味わえるようになったりして気持ちが楽になるもんですね。

 

毎年同じ話しを繰り返す親戚も、訪問先への気遣いを説きながら周囲の親戚には気遣いができていないやつ、と思われている親戚も、まあ人間ふたを開ければ色んな人がいますが、人間観察だと思って一日を過ごすとそれなりに楽しかったりします。

 

毎年色んな人のお話を聞いたりして、自分が嫌だなあと思った事を他人にしないように気をつけようと思ったり、逆に自分がされて嬉しかった事を真似しようと学び直す場でもあります。

 

 

今回『人の振り見て我が振り直せ』と特に思った事は車について。

都会では運転をしないというよりそもそも運転免許を持っていない人も割といる。まあ、電車で全部移動できるし、無理に運転しなくてもエコだからいいと思うんだけどね。

そのせいか、大人の自転車のマナーが思ったより酷い人が多いな、と思う瞬間がある。

車を運転すると、自転車のマナー違反がいかに危険で止めて欲しい事かがよくわかるんだけれど、その危険度合いの認識が免許を持っている人とそうでない人とで結構違う。

(もちろん免許を持っていなくても交通ルールをきちんと守っていらっしゃる方はたくさんいるんだけど)

 

交通ルールは最悪自己責任だけど、今回一番気になったのは車の乗り方。

後部座席でもしっかりシートベルトを締める、とか、あと急に曲がれないこと、とか。今の道曲がった方が近かったのに!とか、急に言われても地元のタクシーの運ちゃんじゃないんだから曲がれないよーと思ったり。

 

私の実家は田舎で車社会のため、18歳を超えると大抵の人が免許を取り、就職のときには軽自動車を購入して毎日バリバリ運転を始めるような地域。

私自身は運転があまり好きじゃないけど、できなくはない、というレベルだけど、だからこそ運転の大変さや、どれくらいコストがかかっているか、という認識はそれなりにある。

運転してもらっていたらやっぱりありがとうの気持ちをもつし、ガソリン代を考えたり、高速代金を計算したり、地図をみたり、大学の頃から友達同士でそういう行為が当たり前に行ってきたけれど、相手が免許をもっていない相手だと、そういう会話も生まれないんだなあ、と文化の違いを感じたりしました。

 

今回運転したのは自分ではなくて、私よりも上手な夫で、夫はそんなやりとりに慣れているのか、後ろからヤジがとんでも聞こえていないかのように運転していたので、私もそんなお釈迦様のように無心で運転できるよう心を鍛えねばな、と思ったり。

 

しかしその後、免許を持たない年配の親戚が、私は車が運転できないからこうして乗せてもらえて本当に助かる。運転してくれてありがとう、とお駄賃を少し頂いてしまって、ああ、私もこんなおばあちゃんになりたい、と心底思った。

 

人の振り見て我が振り直せ

 

私はあの親戚のおばあちゃんのような、素敵なおばあちゃんになりたいなあ、と改めて思えたので、いい学びの機会をいただきました。

 

 

遊びも本気でやれば、価値が生まれる

f:id:kuro-yan:20180106154147j:plain

宴会芸なんて古い。

芸をしに会社に入った訳ではないのに、どうして会社は芸を求めてくるのだろうか。

仕事ができていればいいじゃないか。

 

意識高い学生であれ、普通の学生であれ、こうした意見を多く聞くのはそういう世代だからだろうか。

そんな世代の真ん中にいながらも、私はこの『宴会芸』という文化については無関心だった。何の役に立つのかは分からないけれど、とりあえず言われた事だしなんかやろう。何か出来るように一芸を磨こう。

 

大学で一芸披露を求められる部活動に入部したせいもあってか、そういうものが当たり前だと思っていた部分もあるかもしれない。別のサークルではそういうことが一切なかったので、ああ、もう古い文化なのかもしれないな、と思いつつ、特に廃止をしようと運動したりとか、そういったことはしなかった。

伝統だしな、と流して、芸を磨いた。

 

おかげで社会に出てから困らなかったので、この『宴会芸』という文化をあまり疑わなかったし、問題に思った事もなかった。

つまり無関心だったのだ。

マザーテレサ曰く、愛情の反対は無関心。

圧倒的に、なんの興味も沸かず、賛成でも反対でもない、というかもはや意見を述べられるほどそれについて考えた事もない、という状況だ。

 

ただ、社会を楽に渡っているような気がしたので、特段反対しようという気持ちが起こらなかった、という意味では『賛成派』だったのかもしれない。

 

社会に出てから、幸い宴会芸にものすごいレベルを求められるような職場ではなかったので、学生時代につくった宴会芸貯金で乗り切る事が出来た。

けれども、友人の中にはものすごいレベルの高い宴会芸を職場で求められている、という友人もいた。

歌が得意な人はカラオケを頑張ればいいのだろうけれど、そうでない人は踊りの練習をしたり、何かを暗唱したり、物まねを研究したり、仕事以外の事を一生懸命になっていて、本当に大変そうだと思った。

 

しかし、数年経ってくると、そうやって会社の仕事以外の事にも一生懸命になった友人達は、人間としての器が大きくなったように見えた。

どちらかというと学生時代には気遣いなんて出来ない方で、方々に迷惑をかけていたのにそんなことはなくなったし、会話の幅も広がった。相手の気持ちをよく考える、素敵な大人になったようにみえた。

 

それが宴会芸によるものなのかどうかは分からない。けれども、こうして年相応に大人としてしっかりしている人たちは、会社の宴会芸を乗り切ったか、もしくは学生時代に思いきり、遊びに本気で夢中になった人達である傾向があるなあ、と私の周りを見ていて思う。

学校で与えられたもの、職場で与えられたものだけでなく、自分が夢中になった者に対して本気で遊びに行ったり、一見無関係そうなことに全力で取り組んだ人は、少し人とは違う視点を持っていたりする。

 

遊びだって、本気でやればスキルが身に付く

 

これは文化祭に言える事かもしれない。

文化祭の面白さは偏差値に比例する、昔誰かが言っていた。もちろん全てがそれに当てはまる訳ではないし、そうじゃない例だってあると思うけれど、いろんな高校や大学の学祭、というものを覗いてみた時、賢そうな人達が集まる学校は結構やっていることが本気だ。

例えば折り紙。幼稚園、保育園児たちの遊びのイメージが強いかもしれないけれど、ある日ネットで東大折り紙サークルの作品を見た時、度肝を抜かれた。

こんなん折り紙で作れるのか、という衝撃があった。

折り紙に限らず、歌でも、スポーツでも。何かに本気になる、夢中になる、という経験はそのスキルだったり、精神だったりを大きく成長させてくれる起爆剤なのかもしれない。

 

そして、もしかしたら『宴会芸』は、そんな遊びを学生を卒業するまでに本気になれなかった人達のための最後のチャンスなのかもしれない。

仕事とは何の関係もない事に夢中になって、それをみんなの前で発表する。

 

いや、でも本当だったらそういうバカは十代でやってこそ楽しいし、失敗の規模も小さいんだから、学生のうちに本気で遊んどいた方がやっぱりいいんじゃないかな、と思うけどな。

 

 

2018年、今年の目標リスト

f:id:kuro-yan:20180106145601j:plain

今週のお題「2018年の抱負」

今年の大まかな方針は『継続』

それじゃあ『継続』という方針の下、どんなことを達成したいのか、リストにしてみました。

 

・映画を150本観る。

《理由》

昨年100本観る事ができたけれど、習慣化することによってもっと観れる気がした。自分の中に教養ストックを増やしたいので、さらに映画を観る本数も増やしたい。

f:id:kuro-yan:20180106144627j:plain

 

・本を100冊読む。

《理由》

今年こそは。これも自分の中の脳内ストックを増やすため。今年はブクログ、というアプリをダウンロードしてみました。100冊と言わず、たくさん読みたいな。

booklog.jp

f:id:kuro-yan:20180106144547j:plain

 

・日記を毎日書く。一つの日記で3000字だとなおよろし。

《理由》

とにかく続ける事、が昨年までであれば、今年はそれに加えて、意味ある文章を書く、という目標も付け加えたい。1000字くらいだとちょっと軽いかな。3000字くらいあると、読み応えがある。という理由で3000字。

f:id:kuro-yan:20180106144707j:plain

 

 

・日常会話の英語に困らない英語力を身につける

《理由》

昨年友達との会話で困ったから(笑)もう、本当に。夫の友達に会うときに、しゃべれないと本当に困った、という実体験を積み重ね、そろそろしゃべれる人材になりたいという思いから。というかしゃべれないと、あと30年もしたら仕事なくなりそうだしね。

スカイプ英会話で始めようと思うので、まずどこの会社が良いのかとか、調査から始めよう。

f:id:kuro-yan:20180106144812j:plain

 

・切り絵の作品を12作る。

《理由》

殺風景な部屋に何か芸術的なものを飾りたい。でも買ってきたいと思うほどのものとなかなか出会えない。それならば芸術を自分で作ればいいんじゃないか。絵はさほど上手くないけれど、切り絵ならば自分にでもできるんじゃないか。という安易な発想から決めました。切り絵。まずは専用カッターと下敷きを買いに行きます。

f:id:kuro-yan:20180106145022j:plain

 

 

美ジョガーになる。

《理由》

自転車やるし、フルマラソンも走るのに、なんだかあまりスタイルが整わない。それは大会に向けて短期的にしかトレーニングしていないからだ。今年は定期的に大会に出るとかして、自分の体を美ジョガーにしたい。あの大会とかで美しく走るお姉様達のようになりたい。

f:id:kuro-yan:20180106145151j:plain

 

おおまかに思いついたものはこんなところでしょうか。

楽しく生きるためのツールを増やして行く1年になるといいなあ。

 

 

 

あけましておめでとうございます。今年の目標は『継続』

f:id:kuro-yan:20180106142218j:plain

あけましておめでとうございます。

2018年。平成30年がついに始まりました。つまりは平成生まれもついに30歳になる人が出てくるという訳で。

 

ゆとりだなんだと言われている人達が世の中をしっかり支えてくれようとしている時代になっているわけですね。

よくよく思えば今の団塊の世代以下だって、新人類やら何やら言われて大人になっているんだから、どんな世代に対してもこうだからだめだっていう思い込みは外して生きていきたいものです。老人も若者も。

 

さて、お正月元旦と言えば?

ニューイヤー駅伝

サッカーの天皇杯決勝

初詣

おせち料理解禁

お雑煮

お年玉

親戚への挨拶回り

何を答えるかでその人の趣味趣向まで読めてしまうんだから、一年の計は元旦にあり、とは昔の人も上手い事言ったもんですね。

 

今年、我が家はサッカーの天皇杯決勝を見に行きました。

特に大のサッカー好き、という訳ではないのですが、友人に誘われてのお出かけです。元旦にどこかに出かける、というのは始めてだったので新鮮でした。

元旦なのにやっている居酒屋もあったりして、本当に頭が下がる思いです。でもお休みでもこうしてだれかが働いているわけで、こういうときに、かわいそうだから休みにしよう、となるのもいいですが、こういうときだからちょっと割高を払って店員さんに還元してね、の方が経済は回るのかなあと思ったり。

学生の頃は年末年始バイトしてましたもん。旅行に行きたくて、お金貯めたくて。貯め時なんですよね、この時期って。

 

サッカーはおおいに盛り上がりました。いつもテレビでしか観ていなかった場所に行ってみるというのは大変新鮮なもので、それなりに行く大変さはあれど、試合も全体を通してどちらが勝つか分からない展開で延長戦まで行く良い試合だったので、本当に楽しめました。

友人が大阪側なので、今回座り席ながらもサポーター席に近いところに座ったので、周囲のユニフォームを着用した年季の入ったサポーターの方と一緒に一生懸命応援し、ゴールが入ると立ち上がって周囲の人とハイタッチ。

知らない人と盛り上がれてなかなか楽しい元旦でした。誘ってくれた友人に感謝です。

寒かったけれど、仕込んだホッカイロと応援していたチームの勝利のおかげで楽しい元旦でした。

 

さて、今年の目標は『継続』

昨年から書く事を続けて、書く事に対するハードルはかなり下がったように思います。今年は意味ある記事、だれかのためになる文章を書けるように、この日記も『継続』して行きたいと思います。

 

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな、の心で生きたい

f:id:kuro-yan:20180106140010j:plain

2017年もいよいよ今日でおしまい。

毎日なんでもいいから日記を書くを始めて記事も200を超えました。

 

今年は表現する、特に『書く』ということに注力した一年でもありました。

はじめはまったく書けませんでした。書ける日もあって、書けない日もある。けれども日記は毎日何かを書くことを目標にしている。だから書けない日でも何かを書かなければいけない。

書くことがある日はいいけれど、思いつかない日はちょっと辛かったり。何を書いたら良いのだろうか、と悩む日もそれなりにありつつ、今は毎日書く事に溢れる日々を送っています。

 

推敲をしてからアップをしたり、ネットに接続しない日もあるから毎日の更新、にはなっていないかもしれないけれど、日記は毎日スマホのメモ帳につけて、そのアップは欠かさず、ついに今年の終わりを迎えました。

 

書けないときにはとにかく1行でもいいから、なんでもいいから書きました。

魔女の宅急便ウルスラの台詞が頭の中でぐるぐる繰り返し蘇りました。

「描けないときはもがくしかない」

文章も同じで、「書けないときはやっぱりもがくしかない」

そう思って、毎日毎日何かを書き続けました。

どうでもいいこともたくさん書きました。

毎日の書いて来た日記を読むと、自分の精神状況も見えたりしてなんだか面白いです。

 

さて、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』これは中国故事、と呼ばれているけれどその起こりについてはっきりした事はよくわかっていないようです。ググっても、この人が言いました、と断言するような記事は見つかりませんでした。

(あってもそれぞれの記事で言っている事がバラバラなので、どれが正しいのか判別不明)

 

意味としては、稲の穂は実るほどに穂先が低く下がるもの。 人間も本当に偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と接することが大切であり、会社も成長・発展すればするほど、会社の態度・社員の態度が丁重にならなければならない。というようなものです。

 

世の中で認められている人、一定の成果を収めた人、という人の中には、そのことを武勇伝のように語り、賞賛されています。

自分でもできたから、これくらいがんばったから、もしくはこれくらい頑張れればここまでの人間になれる、といった希望という意味では、そういった武勇伝は一定数必要だと思うし、そういった話しを聞く事は何か参考になることもある。

 

けれども本当に結果を残し続ける人というのは自分の話しをするだけでなく、年下であったり自分よりも権威をもっていない人の話しもよく聞きます。

自分はそれほどの人間ではない、と良い意味で謙虚になれている人は、意外と少ないなあと、大人になって感じました。

逆に、本当にすごい人はどんなに偉くても学ぶ姿勢が崩れず、心の底からかっこいいと感じます。

 

自分自身がそれを実践できているか、たまにきちんと振り返って、卑屈ではなくいい謙虚さというのも磨いて行きたい、紅白をみながらそんなことを考えつつ、年越しをしたいと思います。