くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

東北の人が笑わない、という理由について考えてみた

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高校生の時、修学旅行で関西方面に言った時、自由行動の行き先について、誰が言い出したのか、

USJは将来カップルで行けばいいんじゃね」

「その他寺院は前日、前々日までに色々いくから、昔の文化ではなく今の文化を知れるところが良い」

という意見が上がって、よしもとのお笑いを見に行くことになった。

ちなみにそのときの班員は7人ほどで全員女。

3人以上ならどのように班を作っても良い、というルールで、なんやかんや人を集めたらこの人数になった記憶がある。

これ以上は分かれろ、と言われたものの、その理念に賛成する人が多かった故に、多分班が分かれても一緒に行ったんだろうけれども。

 

そんなこんなで東北の女子高生7人でよしもとに行った、という思い出は、そういう班が意外と他にいなかったせいもあり、クラス会で少し話題になるくらいには楽しいものとして記憶に残っている。

 

今振り返れば、高校が私服だったこともあって、7人に修学旅行生感はあまりなかったかな、とは思うものの、言葉が明らかに関西弁ではなかったので、どんな集団に見えていたのだろうかね。

 

そもそもそういう劇場に行く、という文化がない東北の田舎から出てきた7人。普通に面白くて、楽しかった。やっぱりプロは違う。

ただ、面白かったね、で終われば良いんだけど、それだけで終わらない思い出も一つある。

 

当日の最後はフットボールアワーさんだった。

前日までなんと東北地方を巡業していたらしいことを最初のしゃべりネタにつっこんできた。

東北巡業、とにかくみんな笑ってくれない。

会場があんなにシーンとしているのは初めて。

でも終わると拍手は盛大。

反応が掴みにくかった。東北は難しいと先輩達が行っていたのは本当。

 

そして最後にこの一言。

「会場に東北の方、おられます???」

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東北の田舎者らしく、私達は固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず、お互いに目を合わせる7人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も手を挙げない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、本当にいなかったのか、それとも私達のように、東北人らしく固まったのか、手を上げた人は一人もいなかった。

 

今では高校時代の良い思い出、かつ東北人的なネタとして関西の方と話すときの私の鉄板ネタになっているんだけどね。

 

さて、そんな『東北人は笑わない』

ということについて、この年末年始考えさせられる出来事があった。

 

テレビではお笑い番組がひしめき合う年末年始。

私も例に漏れず、テレビを付けたらやっていたお笑い番組を、そのまま流れで見始めた。全国で有名な漫才の人達を始め、関西圏のみで活躍している方達も多く出た。

 

大阪で一番ウケている、という漫才コンビが出てきたときだった。

さぞかし面白いのだろうか、という期待の下、テレビに視線を向けた。

 

 

漫才が始まって、数秒経った頃。

なぜ、東北人が笑わないのか、ひらめいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞き取れなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、東北よりも、圧倒的に早口なんだと思う。

 

東京に出てきたときでさえ、関東の人はしゃべりが早くて会話についていけないなあ、なんて思ったのに、関西の人のしゃべりは早送りで見ている気分だった。

 

生で見ればまた違ったんだろうけれども。

テレビでは日本語のはずなのによく聞き取れず、笑いのポイントを聞き逃すという事体が発生した。

 

その後に見たサンドウィッチマンのネタのゆっくりさたるや。

優しさを感じてしまった。

 

東北の人は笑わない訳ではない。

多分、聞き取れていないだけなんじゃないだろうか。

 

東北で売れたい、関西の芸人さんは、多分ゆっくり話せばいいんだと思う。

 

 

魔女の宅急便をみてオソノさんになりたいと思った

 

映画年間150本の目標に向けて、毎週金曜日の金曜ロードショーをみることを決めました(笑)

毎週定期的に同じ時間に映画を観れば習慣化するのでは、という目論みと、それなら金曜ロードショーを観れば良いのでは、というところから、今年は金曜ロードショーを全部観る気持ちで一年を過ごしてみたいと思います。

 

金曜ロードショーは、そんなスタートダッシュに嬉しいジブリ祭りから始まりました。今日は『魔女の宅急便

私は原作が結構好きで、6巻までこどものときにしっかりと読んだのですが、意外とその事実を知らない人が多くてびっくりしています。

学校の図書館とかにあったと思うんだけどなあ。

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前の記事でも紹介した事があったっけ。

最初の頃はキキになりたいのだけれども、だんだんウルスラに憧れて、今回はなんと、ついにオソノさんに憧れの気持ちを抱くまでに至りました。

この映画を最初に観た当初は、オソノさんは大変年上で自分の母親のような人で、特に憧れの気持ちなんてなかったけれど、今回観たら、なんてしっかり自分が作った基盤の上で生き生きと働いているのだろう、と思った。

もっとお金持ちになる生き方もあるし、もっと自由な生き方もある。

けれどもオソノさんはあそこのパン屋さんでとても幸せに生活を広げていて。大人だからきっといろんな悩みもあるんだろうけれど、そういうのもひっくるめて豪快に笑って生きるあの姿勢になんだかついていきたい気持ちになりました。

この年になったからこそ、

オソノさんのキキに対する、私も空が飛べたらなあ

という台詞の気持ちもすごく伝わってくるし、

困っているなら早く言えば良いよ、うちの部屋を使いなよ

という台詞の暖かさも伝わってきた。

 

しかもオソノさん、あの出産が一人目だとしたら、意外と設定若いんじゃないか、とも思えて調べてみると、26歳。

ジブリは年の割にみんなしっかりしているなあ、と思いつつ、あれだけ壮大な出自をしていたり、環境が壮大だったりしたらそりゃしっかりもするかなとも思った。

 

キキのように能力や才能がありながらも悩める若い人の力になれるような、まっすぐ自分の道を歩いて行く強い女性に私もなりたいです。

 

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人の振り見て我が振り直せ

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新年が開けてすぐの行事が『親戚への挨拶回り』

結婚すると相手側のしきたりや習わしに従って動くから、最初のうちは慣れなかったけれど、年数が経つに連れて慣れてくると、それぞれの家で頂くごはんを味わえるようになったりして気持ちが楽になるもんですね。

 

毎年同じ話しを繰り返す親戚も、訪問先への気遣いを説きながら周囲の親戚には気遣いができていないやつ、と思われている親戚も、まあ人間ふたを開ければ色んな人がいますが、人間観察だと思って一日を過ごすとそれなりに楽しかったりします。

 

毎年色んな人のお話を聞いたりして、自分が嫌だなあと思った事を他人にしないように気をつけようと思ったり、逆に自分がされて嬉しかった事を真似しようと学び直す場でもあります。

 

 

今回『人の振り見て我が振り直せ』と特に思った事は車について。

都会では運転をしないというよりそもそも運転免許を持っていない人も割といる。まあ、電車で全部移動できるし、無理に運転しなくてもエコだからいいと思うんだけどね。

そのせいか、大人の自転車のマナーが思ったより酷い人が多いな、と思う瞬間がある。

車を運転すると、自転車のマナー違反がいかに危険で止めて欲しい事かがよくわかるんだけれど、その危険度合いの認識が免許を持っている人とそうでない人とで結構違う。

(もちろん免許を持っていなくても交通ルールをきちんと守っていらっしゃる方はたくさんいるんだけど)

 

交通ルールは最悪自己責任だけど、今回一番気になったのは車の乗り方。

後部座席でもしっかりシートベルトを締める、とか、あと急に曲がれないこと、とか。今の道曲がった方が近かったのに!とか、急に言われても地元のタクシーの運ちゃんじゃないんだから曲がれないよーと思ったり。

 

私の実家は田舎で車社会のため、18歳を超えると大抵の人が免許を取り、就職のときには軽自動車を購入して毎日バリバリ運転を始めるような地域。

私自身は運転があまり好きじゃないけど、できなくはない、というレベルだけど、だからこそ運転の大変さや、どれくらいコストがかかっているか、という認識はそれなりにある。

運転してもらっていたらやっぱりありがとうの気持ちをもつし、ガソリン代を考えたり、高速代金を計算したり、地図をみたり、大学の頃から友達同士でそういう行為が当たり前に行ってきたけれど、相手が免許をもっていない相手だと、そういう会話も生まれないんだなあ、と文化の違いを感じたりしました。

 

今回運転したのは自分ではなくて、私よりも上手な夫で、夫はそんなやりとりに慣れているのか、後ろからヤジがとんでも聞こえていないかのように運転していたので、私もそんなお釈迦様のように無心で運転できるよう心を鍛えねばな、と思ったり。

 

しかしその後、免許を持たない年配の親戚が、私は車が運転できないからこうして乗せてもらえて本当に助かる。運転してくれてありがとう、とお駄賃を少し頂いてしまって、ああ、私もこんなおばあちゃんになりたい、と心底思った。

 

人の振り見て我が振り直せ

 

私はあの親戚のおばあちゃんのような、素敵なおばあちゃんになりたいなあ、と改めて思えたので、いい学びの機会をいただきました。

 

 

遊びも本気でやれば、価値が生まれる

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宴会芸なんて古い。

芸をしに会社に入った訳ではないのに、どうして会社は芸を求めてくるのだろうか。

仕事ができていればいいじゃないか。

 

意識高い学生であれ、普通の学生であれ、こうした意見を多く聞くのはそういう世代だからだろうか。

そんな世代の真ん中にいながらも、私はこの『宴会芸』という文化については無関心だった。何の役に立つのかは分からないけれど、とりあえず言われた事だしなんかやろう。何か出来るように一芸を磨こう。

 

大学で一芸披露を求められる部活動に入部したせいもあってか、そういうものが当たり前だと思っていた部分もあるかもしれない。別のサークルではそういうことが一切なかったので、ああ、もう古い文化なのかもしれないな、と思いつつ、特に廃止をしようと運動したりとか、そういったことはしなかった。

伝統だしな、と流して、芸を磨いた。

 

おかげで社会に出てから困らなかったので、この『宴会芸』という文化をあまり疑わなかったし、問題に思った事もなかった。

つまり無関心だったのだ。

マザーテレサ曰く、愛情の反対は無関心。

圧倒的に、なんの興味も沸かず、賛成でも反対でもない、というかもはや意見を述べられるほどそれについて考えた事もない、という状況だ。

 

ただ、社会を楽に渡っているような気がしたので、特段反対しようという気持ちが起こらなかった、という意味では『賛成派』だったのかもしれない。

 

社会に出てから、幸い宴会芸にものすごいレベルを求められるような職場ではなかったので、学生時代につくった宴会芸貯金で乗り切る事が出来た。

けれども、友人の中にはものすごいレベルの高い宴会芸を職場で求められている、という友人もいた。

歌が得意な人はカラオケを頑張ればいいのだろうけれど、そうでない人は踊りの練習をしたり、何かを暗唱したり、物まねを研究したり、仕事以外の事を一生懸命になっていて、本当に大変そうだと思った。

 

しかし、数年経ってくると、そうやって会社の仕事以外の事にも一生懸命になった友人達は、人間としての器が大きくなったように見えた。

どちらかというと学生時代には気遣いなんて出来ない方で、方々に迷惑をかけていたのにそんなことはなくなったし、会話の幅も広がった。相手の気持ちをよく考える、素敵な大人になったようにみえた。

 

それが宴会芸によるものなのかどうかは分からない。けれども、こうして年相応に大人としてしっかりしている人たちは、会社の宴会芸を乗り切ったか、もしくは学生時代に思いきり、遊びに本気で夢中になった人達である傾向があるなあ、と私の周りを見ていて思う。

学校で与えられたもの、職場で与えられたものだけでなく、自分が夢中になった者に対して本気で遊びに行ったり、一見無関係そうなことに全力で取り組んだ人は、少し人とは違う視点を持っていたりする。

 

遊びだって、本気でやればスキルが身に付く

 

これは文化祭に言える事かもしれない。

文化祭の面白さは偏差値に比例する、昔誰かが言っていた。もちろん全てがそれに当てはまる訳ではないし、そうじゃない例だってあると思うけれど、いろんな高校や大学の学祭、というものを覗いてみた時、賢そうな人達が集まる学校は結構やっていることが本気だ。

例えば折り紙。幼稚園、保育園児たちの遊びのイメージが強いかもしれないけれど、ある日ネットで東大折り紙サークルの作品を見た時、度肝を抜かれた。

こんなん折り紙で作れるのか、という衝撃があった。

折り紙に限らず、歌でも、スポーツでも。何かに本気になる、夢中になる、という経験はそのスキルだったり、精神だったりを大きく成長させてくれる起爆剤なのかもしれない。

 

そして、もしかしたら『宴会芸』は、そんな遊びを学生を卒業するまでに本気になれなかった人達のための最後のチャンスなのかもしれない。

仕事とは何の関係もない事に夢中になって、それをみんなの前で発表する。

 

いや、でも本当だったらそういうバカは十代でやってこそ楽しいし、失敗の規模も小さいんだから、学生のうちに本気で遊んどいた方がやっぱりいいんじゃないかな、と思うけどな。

 

 

2018年、今年の目標リスト

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今週のお題「2018年の抱負」

今年の大まかな方針は『継続』

それじゃあ『継続』という方針の下、どんなことを達成したいのか、リストにしてみました。

 

・映画を150本観る。

《理由》

昨年100本観る事ができたけれど、習慣化することによってもっと観れる気がした。自分の中に教養ストックを増やしたいので、さらに映画を観る本数も増やしたい。

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・本を100冊読む。

《理由》

今年こそは。これも自分の中の脳内ストックを増やすため。今年はブクログ、というアプリをダウンロードしてみました。100冊と言わず、たくさん読みたいな。

booklog.jp

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・日記を毎日書く。一つの日記で3000字だとなおよろし。

《理由》

とにかく続ける事、が昨年までであれば、今年はそれに加えて、意味ある文章を書く、という目標も付け加えたい。1000字くらいだとちょっと軽いかな。3000字くらいあると、読み応えがある。という理由で3000字。

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・日常会話の英語に困らない英語力を身につける

《理由》

昨年友達との会話で困ったから(笑)もう、本当に。夫の友達に会うときに、しゃべれないと本当に困った、という実体験を積み重ね、そろそろしゃべれる人材になりたいという思いから。というかしゃべれないと、あと30年もしたら仕事なくなりそうだしね。

スカイプ英会話で始めようと思うので、まずどこの会社が良いのかとか、調査から始めよう。

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・切り絵の作品を12作る。

《理由》

殺風景な部屋に何か芸術的なものを飾りたい。でも買ってきたいと思うほどのものとなかなか出会えない。それならば芸術を自分で作ればいいんじゃないか。絵はさほど上手くないけれど、切り絵ならば自分にでもできるんじゃないか。という安易な発想から決めました。切り絵。まずは専用カッターと下敷きを買いに行きます。

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美ジョガーになる。

《理由》

自転車やるし、フルマラソンも走るのに、なんだかあまりスタイルが整わない。それは大会に向けて短期的にしかトレーニングしていないからだ。今年は定期的に大会に出るとかして、自分の体を美ジョガーにしたい。あの大会とかで美しく走るお姉様達のようになりたい。

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おおまかに思いついたものはこんなところでしょうか。

楽しく生きるためのツールを増やして行く1年になるといいなあ。

 

 

 

あけましておめでとうございます。今年の目標は『継続』

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あけましておめでとうございます。

2018年。平成30年がついに始まりました。つまりは平成生まれもついに30歳になる人が出てくるという訳で。

 

ゆとりだなんだと言われている人達が世の中をしっかり支えてくれようとしている時代になっているわけですね。

よくよく思えば今の団塊の世代以下だって、新人類やら何やら言われて大人になっているんだから、どんな世代に対してもこうだからだめだっていう思い込みは外して生きていきたいものです。老人も若者も。

 

さて、お正月元旦と言えば?

ニューイヤー駅伝

サッカーの天皇杯決勝

初詣

おせち料理解禁

お雑煮

お年玉

親戚への挨拶回り

何を答えるかでその人の趣味趣向まで読めてしまうんだから、一年の計は元旦にあり、とは昔の人も上手い事言ったもんですね。

 

今年、我が家はサッカーの天皇杯決勝を見に行きました。

特に大のサッカー好き、という訳ではないのですが、友人に誘われてのお出かけです。元旦にどこかに出かける、というのは始めてだったので新鮮でした。

元旦なのにやっている居酒屋もあったりして、本当に頭が下がる思いです。でもお休みでもこうしてだれかが働いているわけで、こういうときに、かわいそうだから休みにしよう、となるのもいいですが、こういうときだからちょっと割高を払って店員さんに還元してね、の方が経済は回るのかなあと思ったり。

学生の頃は年末年始バイトしてましたもん。旅行に行きたくて、お金貯めたくて。貯め時なんですよね、この時期って。

 

サッカーはおおいに盛り上がりました。いつもテレビでしか観ていなかった場所に行ってみるというのは大変新鮮なもので、それなりに行く大変さはあれど、試合も全体を通してどちらが勝つか分からない展開で延長戦まで行く良い試合だったので、本当に楽しめました。

友人が大阪側なので、今回座り席ながらもサポーター席に近いところに座ったので、周囲のユニフォームを着用した年季の入ったサポーターの方と一緒に一生懸命応援し、ゴールが入ると立ち上がって周囲の人とハイタッチ。

知らない人と盛り上がれてなかなか楽しい元旦でした。誘ってくれた友人に感謝です。

寒かったけれど、仕込んだホッカイロと応援していたチームの勝利のおかげで楽しい元旦でした。

 

さて、今年の目標は『継続』

昨年から書く事を続けて、書く事に対するハードルはかなり下がったように思います。今年は意味ある記事、だれかのためになる文章を書けるように、この日記も『継続』して行きたいと思います。

 

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな、の心で生きたい

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2017年もいよいよ今日でおしまい。

毎日なんでもいいから日記を書くを始めて記事も200を超えました。

 

今年は表現する、特に『書く』ということに注力した一年でもありました。

はじめはまったく書けませんでした。書ける日もあって、書けない日もある。けれども日記は毎日何かを書くことを目標にしている。だから書けない日でも何かを書かなければいけない。

書くことがある日はいいけれど、思いつかない日はちょっと辛かったり。何を書いたら良いのだろうか、と悩む日もそれなりにありつつ、今は毎日書く事に溢れる日々を送っています。

 

推敲をしてからアップをしたり、ネットに接続しない日もあるから毎日の更新、にはなっていないかもしれないけれど、日記は毎日スマホのメモ帳につけて、そのアップは欠かさず、ついに今年の終わりを迎えました。

 

書けないときにはとにかく1行でもいいから、なんでもいいから書きました。

魔女の宅急便ウルスラの台詞が頭の中でぐるぐる繰り返し蘇りました。

「描けないときはもがくしかない」

文章も同じで、「書けないときはやっぱりもがくしかない」

そう思って、毎日毎日何かを書き続けました。

どうでもいいこともたくさん書きました。

毎日の書いて来た日記を読むと、自分の精神状況も見えたりしてなんだか面白いです。

 

さて、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』これは中国故事、と呼ばれているけれどその起こりについてはっきりした事はよくわかっていないようです。ググっても、この人が言いました、と断言するような記事は見つかりませんでした。

(あってもそれぞれの記事で言っている事がバラバラなので、どれが正しいのか判別不明)

 

意味としては、稲の穂は実るほどに穂先が低く下がるもの。 人間も本当に偉くなればなるほど、謙虚な姿勢で人と接することが大切であり、会社も成長・発展すればするほど、会社の態度・社員の態度が丁重にならなければならない。というようなものです。

 

世の中で認められている人、一定の成果を収めた人、という人の中には、そのことを武勇伝のように語り、賞賛されています。

自分でもできたから、これくらいがんばったから、もしくはこれくらい頑張れればここまでの人間になれる、といった希望という意味では、そういった武勇伝は一定数必要だと思うし、そういった話しを聞く事は何か参考になることもある。

 

けれども本当に結果を残し続ける人というのは自分の話しをするだけでなく、年下であったり自分よりも権威をもっていない人の話しもよく聞きます。

自分はそれほどの人間ではない、と良い意味で謙虚になれている人は、意外と少ないなあと、大人になって感じました。

逆に、本当にすごい人はどんなに偉くても学ぶ姿勢が崩れず、心の底からかっこいいと感じます。

 

自分自身がそれを実践できているか、たまにきちんと振り返って、卑屈ではなくいい謙虚さというのも磨いて行きたい、紅白をみながらそんなことを考えつつ、年越しをしたいと思います。

 

 

2017年映画を100本みた私が選んだ今年のベスト映画10選

Filmarks(フィルマークス)

Filmarks(フィルマークス)

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私の今年の目標は映画を100本観ること。なんとかきちんと達成しました。

夏休みの宿題は七月の最初の一週間で終わらせたり、課題は割と計画的に進める性格だった気がするのですが、この目標を達成するために、12月はお休みの日に1日3本観る、なんていう日もあったので、来年はもっと計画的に定期的に観たいですね。

というか、案外自分は計画的な性格でもないのかもしれない、という新たな発見にもなりました。

 

見た映画は全てフィルマークスというアプリで記録していました。

filmarks.com

SNS形式で、インスタやTwitterのように面白いレビューを書き続けている人や友達をフォローしたり、フォローされたりする機能があります。

100本観る、と宣言した友達がフォロワーとしていたので、いい監視役効果が発揮されて達成で来た感はあります。本も年間100冊を掲げたのにちょっと厳しかったので、来年は記録アプリを変えよう。

 

さて、100本観たと言えど、映画に関しては素人。観た映画も、ジャンルはバラバラ。そんな100本だけど、その中でよかった10本を記録していこうと思う。

 

1:きっと、うまくいく

英題はAll is well

インド映画ということもあり長いです。2時間51分。けれどもその長さを感じさせないくらい面白かったです。

話しの中心は工科大学に入学したある3人の大学生の学生時代の英雄譚。いろいろやらかします。意地悪な教授と戦ったり、教授に媚を売る学生をやっつけたり、学生がいろいろおばかをする話しはどの国も共通して面白いですね。

そのおばかの中に、感動も恋愛もそしてインドの教育問題が詰まっていて、一言で面白かった、では片付かない、深い映画でした。インドでは詰め込み教育の末に自殺に追い込まれる学生が描かれるシーンもあったりして、日本も人ごとではないように感じました。

 

2:コッホ先生と僕らの革命

 映画のパッケージを見ると、コッホ先生が亡くなったかのような感じになっていますが、そういう映画ではありません(笑)

「サッカーを愛する全ての者に捧ぐ」という副題をつけたいと思った映画。ドイツのサッカーがどのようにして生まれたのか、というお話です。

今でこそサッカー強豪国で街、地域ごとにチームがあってサッカーで大いに盛り上がるドイツですが、元々はかなり厳格な服従、階級がある社会。そんなドイツで『フェアプレー精神』がどのように広まっていったのか、イギリスからやってきたコッホ先生からこども達がどのように自由な精神を学んだのか、という部分が描かれています。

当時のドイツとイギリスの関係性や、人々の思想なんかも勉強になりました。

 

3:インサイドヘッド

 最近のピクサー映画は大人が観てもだいぶ楽しいものが多い。その中でも色んな年代が楽しめると思ったのがこの映画。

反抗期に入り始めた女の子とその家族のお話です。女の子の脳の中では、楽しい記憶と思い出でいっぱいになるように奮闘する感情達。女の子の脳では大切な記憶、として4つのヨロコビに溢れた記憶が厳重に保管されていました。

しかしある日、それが悲しい記憶にすり替わろうとして、慌ててそれを阻止しようとする感情のヨロコビ。その弾みで脳のコントロールセンターを飛び出してしまい、大冒険が始まります。

感情の成長を分かりやすく客観的に表現していて、こどもも、大人も、そしてティーンも楽しめる映画だと思いました。

 

4:パプリカ

映画そのものも面白いのですが、この映画で一番後に残ったのは音楽。トラウマになりそうな音楽が流れています(笑)

表現が狂気的なので、これは多分ティーンから大人に向けられたアニメかと。千と千尋をさらにえぐい表現にしたらこんな感じなのかもしれない。

精神の研究者が人の心の中に入って治療をすることを中心にした物語。どちらが夢で現実か、理解するまでに二回は観ました。観るたびに発見もあるので、ジブリとは違った意味で中毒性もある映画なのかもしれません。

 

5:ブラックスワン

 ぶっちゃけ、今まで観たどのホラー映画よりも怖かったです。別にホラー映画じゃないのに。主人公は何の汚れも知らない、純粋な少女。その少女がバレエ団の主役に抜擢されたところから、徐々にバランスを失っていきます。

良い女の子は天国に行けるけれど、悪い女の子はどこへでも行ける、を素で行くような映画。物語に出てくるちょっと遊びもする女の子、の方が結果的には幸せになれるのかもしれません。

いや、人の幸せはそれぞれだから、主人公の最後はとても幸せだったに違いない、ともとれます。現実にも起こりそうな事だからこそ恐怖を強く感じたのかもしれません。本当に怖かったので、ホラーだと思ってみることをすすめたい。

 

6:東京ゴッドファーザーズ

 クリスマスにホームアローンは定番だけど、日本人なら多分こっちの方がはまる。クリスマスから年末に切り替わるあの日本の年末の感じを上手く表現している映画をこれ以外にまだ私は知らない。

主人公はホームレスにゲイ、そして家出少女が捨て子を拾うところから始まる。全ての伏線がキレイに回収されて、最後にはハッピーになれるあたりも気持ちよかった。また年末に今度は家族で観たい。

 

7:ショーシャンクの空に

言わずと知れた名作。観た事を後悔しない映画、と言い切りたい。久しぶりの鑑賞だったけれど、やっぱり良い映画だった。終始場面が暗いので、昔の映画だけれども最後の開放感に溢れた太平洋の景色がとてもキレイに見える。

冤罪の主人公の刑務所からの脱出を描いた作品なのだけれども、本当に爽やか。刑務所ものとは思えないほどストーリーは明るめ。

気持ちを晴れやかにしたいときはまたみたい。

 

8:BABE(ベイブ)

思いのほか良かった、という感想が一番似合う作品かもしれない。こども向けかな、と思いながら観ていたら意外と良い話しで最後は少し泣けました。1時間30分ほどの映画ですが、中で短編が小分けになっているかたちなので、小さい子でも見やすいかな、と思いました。1作終わるごとに一度止めてトイレ休憩とかも取りやすい。

すごいと思ったのは全部実写だと言う事。家畜系の動物が全て出てくるので、本当に撮影大変だったんじゃないだろうか。動物達の演技もなかなかクオリティが高く、感動しました。

 

9:シン・ゴジラ

 最近大ヒット映画。邦画のシリアスな状況なのにクスっと笑える笑いどころが個人的には上手いなあと思いながら観ていました。

緊急時の対策についても結構リアルな感じがしたので、これを観た後にアメリカ映画(アルマゲドンとか)の危機が訪れる系の映画を観ると、それぞれの国に置ける危機に対応する心づもりだったり、意識の違いを感じられてそれもまた面白いかも。

 

10:UDON

地方創成の草分け的映画なんじゃないかと感じました。あとすごく香川にうどんを食べに行きたくなった。地方はゆるキャラ選手権とかに予算を割くよりも、こういう映画を一本撮った方が地方活性化につながるんじゃないだろうか。

 

さて、2017年は映画を100本みたわけですが、達成してみると案外100本って少ないのかもしれないな、と感じるので不思議です。

最後なんて1日3本という夏休み最終日に宿題をやりきる小学生みたいなことをしたのに。

けれども今回のベストも100本中の10本であるわけで、もっと色んな良い映画をピックアップしたい、と思うともっと観た方が良いのかもしれないです。

50本中の10本よりも100本中の10本、それよりも1000本中の10本、の方が精度が高まるよね。やっぱり。

というわけで来年は150本目指していっぱい観たいと思います。

 

 

 

 

 

 

今年最後の肉の日、肉マイレージシステムについて考える

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先日、初めて『いきなりステーキ』というステーキ屋さんに行ってきた。

ikinaristeak.com

 

ステーキを立ち食いで、ファストフードのように食す事によって客の回転がよくなり、それによって高級なイメージのステーキをリーズナブルに頂く事が出来るというシステムのお店だ。

リブロースステーキが大体1グラムあたり6.9円。300gだと2,070円となる。300gというと、女性が食べるとしたら結構な量だ。私は自転車乗りの体育会系女子だけど、300gの肉を食べたらお米は食べきれず、夫に半分あげたくらい。

次に行くときは、肉だけの注文でも良いかも、と思った。

ランチで2,070円だと、少し豪華な感じだけれど、出てくる肉の豪華さたるや。これなら納得、と思えるくらいには満腹なる。

 

しかもお店の立地によっては座り席がある店舗もあるようで、家族で美味しいステーキを食べることを考えたらえらくコスパがいい店のようにも感じた。

 

 

けれども、私がもっと衝撃を受けたのは『肉マイレージカード』というシステムだった。これは食べた肉のg数が記録されていって、食べた量に合わせてカードのランクが上がり、ランクが上がるとドリンク等のサービスがあるものだった。

この食べた量を全国ランキングを作って定期的にポスターで掲示しているようで、一番食べている人は、ほぼ毎日ここに来ているんじゃないだろうか、と思わせられるg数だった。

 

そういったカードを作る事によって定期的にお店に来るような仕組みを作るお店が最近増えたようにも感じる。

月額8,600円でラーメンが食べ放題にするシステムを打ち出したお店とか、

netatopi.jp

この月額制っていうのが上手いな〜って思う。定期的にお金を採れる仕組みって、不動産の賃貸とか、レンタルビデオとかと同じシステムで、固定的に収入が入れば、仕入れの量も決めやすいし、客が来る日来ない日の波の影響も受けにくくなる。

ジムもおんなじシステムだよね。

 

これからはどれだけその人の生活の日常に入り込めるか、というところがビジネスのキーワードになってくるんじゃないかと感じた。

 

 

そんなにみんな世界一周がしたいのだろうか

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ハワイに行った後、インスタグラムのフォロワーが急激に増えた。中身を覗いてみると、みんな名前を変えただけで同一人物からフォローされたような気がして、少し不気味に思った。

どんな人にフォローされたかというと、みんな世界一周をしながら、もしくは旅をしながら働いている事をアピールしている人達だった。

仕事内容は分からない。

 

彼らは♯ハワイというタグだけを追っているのではないかと思うくらい、♯ハワイをつけた写真を投稿するたびにフォローを繰り返し、こちらが相手をフォローする気がないことを理解すると解除していく。

 

彼らのインスタグラムにアップされている写真は、大体世界中のどこかの海や空や、きれいな建物の写真ばかりだ。世界一周は謳うものの、世界の裏側のこんな面白いところに行ってきたぜ、というおもしろ写真はない。

ただただ美しく、気持ちがよくなるようなものばかりだ。

 

みんなあまりにも同じ写真しか載せていないので、それぞれどこかそういうサイトで拾ってきた写真を投稿しているのではないかと疑いたくなった。

 

そしてその写真の場所をよく見ると、大体ハワイだ。

もしかすると、世界一周しながら働くということについて、私の認識が違っていたのかもしれない。

1ヶ月ごとに拠点を動かしながら働くのではなく、ハワイを拠点に移動しながら働いている、ということだろうか。

移動しながら働く、もはや曲芸師のような響きだ。そういうサーカス集団ありそうだ。

 

胡散臭いフリーランス、ブロガー、起業目指してるマン、意識高い系学生は、なんでやたら世界一周、もしくは旅をしながら働く事を目指しているのだろうか。

 

今年一年、旅行をたくさんした身としては旅ってそれなりに疲れるし、なんなら旅先で仕事なんてしたくない。旅先ではっちゃけて、家でまったり過ごすことも全然悪くない。

旅をしたい彼らはみんな、日本でどんな家に住んでいるんだろうか。

 

私は今年気がついた。

旅も好きだけれど、家でふかふかのソファに座って、だらだらビールを飲みながらAmazonプライムで映画を観る幸せを。

 

私は今年気がついた。

飛行機も好きだけれど、ローカルバスを乗り継いで、日本の秘境にたどり着き、行き当たりばったりの移動で知らない人と知り合う楽しみを。

 

来年は国内をいろいろめぐってみたいなあ。