くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

いらないものリストについて考える

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最近、ミニマリスト界隈では「いらないものリスト」というものが流行っているらしい。本棚は本に溢れているし、生きてきた中で溜め込んだ書類を整理できていない、そんなミニマリストですとは言えない生活を送る私だけれど、これは必要ないと思った者について、メモしておこう。

 

私にとって必要のなかったもの1:食器棚

これを手放したのは意外と最近のことだった。一人暮らしから二人暮らしになったのに、その時よりも広いおうちに引っ越しをしたのに、食器棚は手放した。

普通に考えたら、一人暮らしの時の方が必要なくて、二人になったら食器の数が増えてこれまでよりも必要品になるかと思いきや、その圧迫感から解放されたくて手放した。電子レンジも炊飯器も手に残したまま、工夫をしたら、万能だった食器棚はさよならとなった。

ホームパーティーが好きな我が家は、以前より食器もグラスもカトラリーも増えたけれど、それでも食器棚が必要だとは思わない。シンク下に、木材でしきりを作って、隠れたお気に入りの食器置き場が今はある。

電子レンジはカラーボックスと板を組み合わせて作ったキッチンカウンター圏作業場に収まって、炊飯器はシンクとなりに新たに置いた、コンパクトな棚の上に収まっている。

 

私にとって必要のなかったもの2:ベット

一人暮らしのとき、大切にしていたものの一つがベットだった。ソファ代わりにもしていたし、寝転がって読書をするにもとても重宝した。

結婚後、彼が布団派だったことから一緒に布団派に。後から聞くには、布団派だったかというとそういうわけでもなく、ただ単にベットを買うのが面倒だと思ったことと、引っ越しのときに運ぶのも面倒になりそうだから買わなかった、とのこと。

当初より広いおうちに引っ越してから、ベットへの変更案も出たけれど、今となっては布団への愛着もわいてそのまま布団生活実行中。

上げ下げが楽で、湿度の高い日本だと布団が一番保守点検しやすいのよね。あと実は布団を二枚並べるのって、キングサイズのベットと同じくらいのサイズがあると聞いて、広々と寝たい気持ちが一致した私達はそのまま布団生活へ。

使う頻度の少ない客間にはクイーンサイズのベットを一つ置いて、ホームパーティ時に終電を逃した友人を泊めている。たまにベットに寝たくなったときに二人で使っている。頻度が少ないからお手入れも、ベットリネンの交換も自分の思うようにできるし、定番のマットレスのカビ、にも悩まされずに済んでいる。

 

私にとって必要のなかったもの3:衣替えが必要なほどの量の服

寒いところに住んでいたときは驚くほどの衣類を持っていた。重ね着するために肌着もたくさんもっていた。

それ以外にも、ぱっと見て素敵だなと思った服は買っていた。

けれど気がついたのだ。自分はファッションにそれほど強い興味もないし、小綺麗な格好が毎日できていれば、毎日同じような格好をしていても、対して問題でもないってことに。そもそも、毎日ファッションを考えることは私にとってとてもすごい楽しみというわけでもない。たまに洋服屋で考えるのは楽しいけれど、毎日は考えたくない私は、ワードロープをスティーブジョブズ並にシンプルにして、その決断力を違う場面に使った方がいい、ということにも気がついた。

衣替えも正直面倒くさい。今はそんなに寒い地方に住んでいる訳ではないけれど、真冬の北欧に旅行に行けて、常夏のは話にも遊びに行ける洋服はそろえた上で、衣替えをしなくて済む服の量に調節することができた。

ときめかない服というものほど、自分のテンションを下げるモノはないね。

 

 

今のところ大きいものでは3つあった。モノと向き合うと、自分の心の状態がなんとなくみえる。書類が片付かない私は、いったいいつになったらこの大量の書類と向き合えるのだろう。

ダンボール二箱分も捨てたのに。

 

 

学校でやってたテストと主婦力について

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インスタグラムをのぞくと、この世は幸せで溢れていて、普段テレビのニュースで政治家に対して文句を言う人達の大群が嘘のように思えてしまう。

見せ方一つで世界の見え方は変わるんだから、インスタグラムもテレビのニュースも過信しない方がいい。

 

インスタグラムで私が見るものといえば、レシピサイトやスーパー主婦たちの朝食、夕食、お弁当写真だ。レシピサイトはそれが仕事だからとにかく、スーパー主婦たちの写真はすごい。とにかく美しいし、美味しそう。

朝、撮影用だけに作ったプロの方でしょ、と思いきや、そんな写真が日本だけで何アカウントも、何種類も出てくるんだから、私が自分で思っているよりスーパー主婦は世の中にたくさん溢れているのかもしれない。

 

それは中高生のとき、クラス、いや。学年に1人はいためっちゃ器用な人とか、めっちゃ勉強ができる人、のように学校に数人の単位、くらいの感覚でスーパー主婦も存在しているんだろう。

 

学校にいる時はテストの点数と、校種や地域によっては部活動での活躍でその人の輝き度が計られていた。場合に寄っては声の大きさだったかもしれない。

けれども多分、インスタグラムで輝く料理たちを作る主婦たちは、きっと必ずしも全員が学校での人気者、だったわけではないだろう。

 

そう考えると、ただ単に物差しが変わるだけで、インスタグラムでスーパー主婦とあがめられることも、学校のテストで一番になってちやほやされるのも、本質的には同じことなのかもしれない。

 

学力の世界、主婦の世界、他にもきっと色々ある。インターネットで色んな人とつながれるようになったから、誰もが何かしらの世界で上位1%に入れる可能性をもつ世界になったのかもしれない。

 

そんな世界で強いのは、自分で自分の物差しが作れる人だと私は思う。

自分の物差しを勝手に作れば、その物差しではきっと自分が一番だし、先駆者だ。誰と争うこともない。世界は広くて、そんな物差しをまっていた、という同志と出会えることもあるかもしれない。

 

なんてことを考えながら夕ご飯を作った。ブロッコリーとタマネギの野菜スープ。インスタ映えは多分しない。

 

 

いつまでも成長したいと思って、大切にしたいこと

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ー自分より若い人を尊敬しなくなったら、自分の成長は止まる気がした。

 

社会に出ると、年配であればあるほど何でも正しくて何でも尊厳ある、そんな風が吹く場所がたくさんある。そういう場所はその対もあって、年少であればあるほど何でも正しくなくて尊厳もない、という風も一緒に吹いている。

 

年配の方の意見は貴重だ。昔話の姨捨山のように、お年寄りには知恵があって私達が思いつかなかった解決方法を提示してくれることもある。

姨捨山の話では、国に降り掛かった災難をある青年が解決していく。その青年は、王様の信頼を得て、最後にこういうのだ。こうした災難の解決方法を教えてくれたのは、私の年老いた母であると。年老いた人間は重労働はできないが、こうして私達に知恵をくれる、と。

 

現代においてもそういう話しはたくさんあって、私も職場で経験豊富なお姉様方に助けて頂いた経験がたくさんある。

そういう時はこうすれば上手くいくよ

あのことならこの人に聞くのが一番良いよ

この勉強ならこの本が詳しいよ

私も後輩ができたら、こうして知恵のおすそ分けをたくさんしたいな、と思いながら仕事に励んだ。

 

けれども、そうでない人ももちろんいた。やたらと若いんだから、とぶっちゃけ今のご時世セクハラで訴えたら勝てそうな案件スレスレのこともあった。

飲み会の場であっても、そういう人の意見をどうぞ、は自分の意見に賛同してくださいという隠語であることも学んだ。

その後、そうでない年配の人に、意見をきちんと述べるよう嗜められ、まず出会った年配の人が意見を述べられてもいい人かどうか、見極める必要があることも学んだ。

 

 

けれど、ふと大学時代をふりかえって、これは社会だけの現象ではないことに気がついた。

そうだ。いた。そんな先輩。

大学1年生や2年生の子に対して、やたら偉そうな先輩。見てくれも良くて、お酒もタバコもできて、なんとなく大人に見えちゃうから気がつかなかったけれど、冷静に今考えてみれば、お前何様だよっていう先輩はいた。

 

そして全然そんなことはなくて、後輩からも学ぼうとする先輩もいた。

そんな先輩はかっこよくて、偉ぶろうとする先輩よりもなんだか余裕があって、一歩も二歩も先に行っているような、そんな風が吹いていた。

 

社会に出てから助けてくれたお姉様の1人もそういえば言っていた。私にはない考え方をkuroyanちゃんからもらってるって。

私なんかが、と当時は思っていたけれど、きっと先輩はそうやって自分にない物を一生懸命取り込もうとしていたんだ。

自分が後輩と接して、この子がもってる文化を自分に取り込みたい、と思った想いは、きっとお姉様のそれを一緒だったんだ。

 

成長が止まっても良い、そう思っている人はそれでも良いんだと思う。

けれどもずっと心の中に焦燥感がこもったまま、一歩、二歩先に言っている人に対して嫉妬したり、社会に対して悪口を言い続けるんだと思う。

 

私はそんなことに、せっかく自分がもらった命の時間を消耗させたくないな。どうせなら、楽しい気持ちと嬉しい気持ちにあふれた人生にしたい。

そう思うと、成長をすること、はやめられないしやめたくない。

 

あのお姉様のように、若い人を尊敬し続ける人になりたい。

 

 

カンボジアも微笑みの国だった

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3連休を使ってこちらに来ていたので最終日となる。

夜行バスを使った後の高級ホテル。最高に快適だった。人類の進歩に乾杯したい。割とどこでも生きていける人間の部類には入ると思っているけれど、やっぱり快適なことに越したことはない。

 

シェムリアップトゥクトゥクに乗って思った。カンボジアトゥクトゥクは良心的だ。もちろん日本とはやっぱり違うから、最初に価格をふっかけてこようとする人もいるけれど、だめだと分かるとすぐに値段を下げてくるし、下げる時も特に強気で出てこない。

たまたまそういう人にしかあたらなかったのもあるかもしれないけれど、バンコクトゥクトゥクは現地の人でさえ交渉に困るくらいぶっとんだ提案される。

個人的に微笑みの国の称号をクメール人にあげたいくらい、笑顔が素敵でぼったくりさえちょっと奥ゆかしさがある国民性だったように思う。

もちろんそうじゃない場合もあるから気をつけなきゃいけないんだけど。

やっぱり実際に行ってみないと人柄ってわかんないもんね。

 

 

 

ムスカ大佐もここでラーマーヤナを一生懸命読んだのだろうか

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行動時間が長くなるから、という理由だけでアンコールワットのあるシェムリアップまで夜行バスに乗った。一人だったら絶対乗れない気がするけど、現地民が一緒というだけでなんだか心強くなるんだから、人間って不思議だ。

運転手がクスリをやっている可能性もあるらしく、生きててよかったわーとケラケラ笑う案内人の話しを聞いて、まじか、と思ったけど。

バスを降りた後に聞いてよかったと思った。

 

宿代や国内線分の料金が節約できた分、ごはんに惜しみなくお金を使う。惜しみなく、といっても、高級レストランの高級朝食ビュッフェが日本円にして800円弱だ。

 

アンコールワットを見学するために、まずチケットを買いにいく。アンコールワットとその遺跡群は本当に広くて、最初はどうして1日券の他に、3日券、さらには7日券もあるのかと思っていたけれど、夕日が沈み始めるころ、7日券を買う価値があることに気がついた。もっと長く休みが取れたら、次は7日間がっつり来てみてもいいかもしれない。

1日しかいられなかったけれど、1日では足りないことはよく分かった。

 

アンコールワットだけで午前中3時間を使ったのだ。回廊に長く続くラーマーヤナ物語の壁画、反対側にはマハーバーラタ。他、様々な遺跡。

ムスカ大佐もこれ読んだのかな。

 

アンコールワットほか、天空の城ラピュタのモデルとなったベンメリアにも行く予定だったけれど、タプロームというアンコールワット寄りの遺跡が天空の城ラピュタ感がめっちゃ出ていて、結構満足してしまったので、今回は行かず。

アンコールワットには感動したけれど、私はアンコールトムの方が結構好みだった。中がリアル脱出ゲームのように入り組んでいて、気分はインディージョーンズだ。

もちろんちょっと危険な箇所もあるのだけれど、人の手が入っていない分そのままの遺跡を感じることができた。

 

 

プノンペンに降り立った

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飛行機から降りた時、肌にべたっとした暑さを感じて、夏にタイムスリップしたような気分になった。日差しが強く感じるのは赤道に近づいたせいだろうか。

というわけで、初カンボジア。今回は現地在住の友達の妹さんにお世話になる。

 

カンボジアは20数年前に国として落ち着きを取り戻したような国で、現在の国としての歩みはそれこそまだ20数年という、若い国だ。もちろん歴史はあるのだけれども、国としての歩みという意味で20数年。

歩みがソ連崩壊以後、というのだから冷戦の波というものの恐ろしさを感じる。公だって私達がイメージする戦争が起きていなくても、国という大きな単位に影響を与えていたのだ。

 

カンボジアに入ると、基本はクメール文字にクメール語だ。けれどもちょいちょいフランス語に中国語もみかける。歴史的にそれは納得。

しかし、さらに驚いたのは、英語が話せる人がとても多いことだ。

タクシーの運ちゃんはもちろん、トゥクトゥクドライバーも結構上手い。その辺のマーケットにいるおばちゃんも割と話せる。

タイに行った時はバンコク市内でも基本話せる人はいなくて、現地の友達にほぼほぼ全部対応してもらったりしたっけ。しゃべってくれたのはホテルで働いている人と、ちょっといいレストランで働いている人と、ウーバーの運転手くらいだったっけ。

 

自分があんまり上手じゃないので、こうして英語が上手い人をたくさんみると、自分もがんばろって心の中でいつも思う。

言葉をしっかり話せるだけで、文化の違いとか細かいニュアンスについて、説明を聞いた上で感じることができる。

もう少し英語の勉強頑張ろう。

 

そういえば意外とこちらは安全運転な人が多かった。

もちろん信号無視はあるし、信号があってないような交差点もたくさんあるから、安全かと聞かれたらそうでもないけれど、超スピードで走る車やトゥクトゥク、バイクを見かけなかった。出してても見晴らしの良い直線道路で60km/hくらいだったとおもう。80km/h出ている車を見かけなかったし、乗らなかった。

道がまだ悪いところが多いからだろうか。

 

同じ東南アジアのバンコクでは、空港から市街地まで、車は80km/h〜100km/hで普通道路をぶっとばされた。道路がきちんと整備されたら、そういう車も増えてくるのだろうか。

 

高速道路らしきものを作っている様子が見えたので、数年後は車のスピードは変わっているかもしれない。

 

 

明日、私はカンボジアに旅立つ。その前に

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明日から日本は3連休。紅葉始まる北海道、都内でお目にかかれない秋刀魚を求めて東北、ひやおろしや新米を求める旅もいいかもしれない。せっかくの体育の日、運動をしても涼しいこの気候は気持ち良さそうだ。秋の日本は楽しみが多い。

 

楽しみが多い日本を出発して、私は明日からの3連休をカンボジアで過ごす予定だ。日本を飛び出した友人に会いにいく。

今年の目標は行く行く詐欺をしないこと。誰かが転勤やらなんやらでどこかに行くとき、お別れ会では多分8割の人が「遊びに行くから!」と言っている。(と思う)けれども実際に会いにいく人はどれくらいいるのだろう。私はこれを行く行く詐欺と名付けた。そう、かくいう私も行く行く詐欺の常習犯だった。もう過去形だ。

 

明日、私はカンボジアに旅立つ。けれどもその前にやりたいことがある。これをやらねば、多分私は明日以降、カンボジアで後悔する。

 

それはカンボジアという国の歴史や文化をきちんと予習していくことだ。

 

なんてことはない。ただし、世界史でやったことをなぞるだけじゃなくて、もう少し詳しいところまで。そうでないと気が済まない、と思ったのはタイの友達にタイを案内してもらってからだ。

 

アジアの国に行くとアジアの他国は日本のことを本当に良く知っている。

多分、歴史的に日本は良くも悪くもアジアの周辺国を支配していたから、年配の方だと国によっては日本語がペラペラな方もいる。

これは歴史の勉強で習うけれど、実際に外国に行って、日本でもないし日本に住んだこともないご老人がぺらぺらの日本語で自分に丁寧に話しかけてくれたり、親切にしてもらったりすると、心の底からふつふつとした名前のつけられない感情が沸いてくる。

 

言葉だけじゃない。歴史や文化にも詳しい。場合によっては私達よりも詳しい。

タイの友人とは英語で会話をしたのだけれど、丁寧にタイの王朝の歴史の説明をしながら、日本の徳川家康の話しなんかも織り交ぜてくれた。

私はタイの王様の名前を覚えてなんかいない。名前を聞けば、ああタイの王様だったかな、と思うくらいで、こういう名前でこんなことした人だよね、なんて説明はできない。なのに、彼は徳川だけでなく豊臣も織田も知っていて、その歴史の流れをしっかり理解していた。

 

タイの友達だけではなかった。アジアの友達はみんなすごく日本に詳しいし、知っている日本語も多い。

たまたま私が出会った、アジアの国々の友達たちが日本好きだったのかもしれない。けれども、彼らの国のことを何一つ自信を持って話せない自分が、なんだか悲しかった。

 

タイを去るときに、次にいく時までにはタイの歴史の勉強、文化の勉強をもっとちゃんとして行こう、そう思った。

タイには来月行く。その前に行くカンボジア

会う友達は日本人だけれど、できる限り、訪ねる国の歴史と文化を頭に入れてその国を訪れたい、という気持ちが強くなった。

私の国のことを一生懸命話してくれる外国の友達たちが本当に素敵だと思ったし、何より自分のことをたくさん知ってもらえたようでとても嬉しかったからだ。

さて、一夜漬けになるけどやらないよりはましだ。

勉強しよう。

 

 

 

 

祖父の手帳から思うこと。

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6月から日記を始めて、気がつけば120ものページになっていた。1行しか書いていない日もあるけれど、それでも毎日欠かさず、何か自分がその日に思ったことを記し続けている。

 

夏に実家に寄ったときに、祖父の手帳が出てきた。祖父はだいぶ古い人間だ。私が生まれる数ヶ月前に老衰で亡くなっているから、祖父と直接会ったことはない。

会ったことがないけれども手帳に細かく書かれているその日の出来事のメモは私にはとても大切なもののように思えた。会ったことがないからこそかもしれない。

私と祖父は絶対に直接話すことはない。けれども、手帳を通して祖父が考えていたことや、祖父が気をつけていたことが透けて見えてくるようだった。

 

今や日記は手帳は紙ではなく電子媒体だ。私はこうして日記を書き留めて、パスワードを子や孫に伝えていくのだろうか。

その前に無料のサービスは淘汰されていくのだろうか。

 

そのとき、私の日記をみた子や孫は何を考えるのだろうか。

逆に私は何を日記に書いたら良いのだろうか。

これまではまず続けるために、ハードルを下げて、1行でもいいからなんでも書く、としてきたけれど、内容のレベルをみて、子孫に恥ずかしくないご先祖さまになりたいな、と思ったり。

 

 

健康を失ったことがある人は器がでかい気がする

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自分の身の回りを見渡すと、様々な人がいる。多分、年数を重ねて生きてきた人の大抵はそうだろう。

ポジティブな人、ネガティブな人。自信がある人、自信がない人。お金持ちの人、そうでない人。卑屈な人。傲慢な人。仏のように親切な人。

大人になるというのは、人間はいい人だけでもないし、悪い人だけでもない、そんな色々を見て、聴いて、感じることができるようになる、ということなのかもしれない。疑いを知らなかった頃は性善説を信じきっていた私も、今では性善説を信じていたいと思う大人、になってしまった。

 

とにかく、年数を重ねた分だけ人に出会う。そこにはいろんな人生があって、経験が人を作るとは上手いこと言ったもんだなあ、と感じざるを得ないことも多々見聞する。

 

人間なんて世界に何億人といるのだけれども、自分がエンカウントする人のサンプルを見ていると、ついつい分類してしまいたくなる。

サンプルが少ないことはよく分かっていても、化粧濃いめの女性は性格もきつめの人多いな、とかって分類してしまう。

 

そんな程度のサンプル数なんだけれども、最近感じることは、病気を乗り越えた人の何か目に見えないものを信じている度合いの高さだ。

 

変な宗教にはまっている、とかそういうのではない。もっと良い意味で。目に見えない力とか、自然に対して敬虔というかきちんと畏れを持っている人が多いな、と感じる。

 

病気真っ最中の人はそうでもない。結構傲慢な人もいたりする。あくまで乗り越えた人だ。これは精神的に乗り越えた人もそうであることが多い。ように感じる。

 

命と向き合うと、自分ではどうしようもない領域にぶつかるからだろうか。その感覚が人を謙虚にさせるのだろうか。

 

 

映画を見続けていて、身に付いた能力

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映画をよく見るようになってから、自分の中で映画のジャンルが増えた。

 

別に世の中で映画のジャンルが増えている、みたいなことではなくて、自分の中で増えたのだ。

これまで私の中で映画のジャンルは、邦画か洋画かアニメか。くらいのジャンル分けしかしていなかった。

映画好きな人が聞いたら怒りそうなジャンル分けかもしれないし、映画は話題の物だけ見に行くくらいの一般人からしたら、え、私もそんなもんだよってところかもしれない。人によっては映画は映画で、邦画も洋画もごちゃまぜにしている人もいるだろう。

 

しかし、映画をたくさんみるようになってくると、なんとなく今日自分が観たい映画の雰囲気、というのが少しずつ説明できるようになってきて、それが洋画は洋画でも、ハリウッド系なのか、フランス映画なのか、インド映画なのか、自分で選べるようになってきた。

 

勧善懲悪を観たければアメリカンなやつをみるし、オシャレなやつならフランス。ラストにもやもやが残る、考えさせられたい時は邦画がよかったりする。

 

何かをよく知る、ということは区別がつくようになる、ということなのかもしれない。本も音楽も服も、そうだった。

 

たくさん読むと、自分の文章の好みや話の好みが分かってきて、自然とそういう本を選ぶようになったり。色々なジャンルを読みつぶして、あれこれ書評家を気取ってみたり。たくさん読むと、ものの良いところと悪いところがどんどんよく見えてくるから、何か評論したくなってくるのかもしれない。

 

音楽もそうだった。特別に興味はなかったところから、色々なものを聴き始めて、最初は単純なのが好きだった。邦楽も洋楽も。和音なんて言葉は知らなくて、ただ危機心地が良いものを選んでいた。ボカロも聴いた。ゲーム音楽も好き。

けれど、だんだん分かるようになると、刺激を求めてジャズにも行き着いた。あれは頭がおかしくなるような音楽だ。いわゆる使っている和音の数が一般的に流れている音楽より多いらしい。

強烈な刺激に慣れた後に、単調なものを聴いてもなんら刺激を感じずにもとに戻ってしまう調子で、ジャズにははまりっぱなしだ。

 

専門的なこともそうだ。会計とか、金融とか、政治とか、色々知るから区別がついてあれこれ言いたくなる。

 

区別がつかないものは大抵興味がなくて勉強をしたことがないジャンルだ。あれとあれの違いが分からん、みたいなやつ。

多分昆虫学者はアリをみて、瞬時にどんな種類か分かるのかもしれないけど、私はアリだと認識することしかきっとできない。

 

区別がつかないからこっちがいいに決まっている、で自分の大事なことを決めるのはとてももったいないのかもしれない。

映画のジャンルがたくさんみていくうちに分かるようになったように、何かを知ることを止めない、ということは続けていきたいと思った。