くろやんの日記

思考・映画・ごはん・旅・自転車・読書・ライフハックのメモ帳

木に竹を接ぐ

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気がつくと日記が50を超えていた。

目標は毎日つづけること。1行でもいいから、で始まって、3日坊主におびえていたのが嘘のようだ。

目標は1年、なのでまだまだ道のりは長いのだが、目標を決めて、こつこつできると嬉しい。

 

今日はこんな記事を見つけた。

bunshun.jp

 

すごくざっくり話すと、

これまで私達人類って、便利な生活を求めて色々なものを発明して文明を発展させてきたよね。

何百年も前の人が思い描いた未来は結構実現されたこと多いよね。

でも、この先を具体的に夢見ることって、私達してないよね

将来、人間が在るべき姿を考え始めることこそ、そろそろ私達やらなきゃ行けないんじゃない?

 

という話だった。

ロボットが仕事を奪う、と言われているけど、裏を返せばロボットが仕事をやってくれるので、仕事をしなくてもよくなってくる。

=お給料が手に入らない、というのではなく、働かなくてもある一定の文化水準で暮らしていくことができるようになる、とも捉えられるかな。

 

実際、今工夫をすれば、生きていくのに大してお金が必要なくなってきている。

田舎に行けば、衣食住は大抵格安で確保できるし、人間関係さえ頑張れば、周囲から差し入れもらえるし。

生きていくのに一番高いのは住民税かも。

旅行やエンターテイメントだって。

映画はレンタルで格安で楽しめるし、Amazonプライムに入れば、無料で観られるものもたくさんある。

旅行だって格安空港の登場やシェアリングエコノミーによって、価格をかなり抑えていくこともできる。

配車サービスもこれからどんどんでてくるんだろう。

 

そんなに稼いでいる人種じゃなくても、結構豊かに生活できるサービスは整ってきたと思う。

それこそ自動運転とドローンによる配送が完成したら、もっともっとお金は必要じゃなくなってくるかもしれない。

 

じゃあ次はどんな世界を夢見るのだろうか。

 

たしかに、考えてみると、ずっと先の未来を描いた小説や漫画は、大抵地球は破滅寸前になっていたり、核爆弾のボタン一つで吹き飛びます、みたいな危ない、夢も希望もない世界として描かれていて、私達に警鐘を鳴らしている。

ドラえもんくらいじゃないだろうか。有名どころで割と平和そうなの。

 

この問題は、自分がどんな風に生きていきたいか、普通の再定義、だと思う。

 

よく、普通の人生がいい、と言う人がいるけど、普通は進化しているから、そろそろ普通をもう一度考えなきゃいけない。

 

 

水心あれば魚心

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最近、ゆとりですが何か、をはじめ、ゆとり世代が社会に出てきてそのトンデモ行動がネット上で流れている。

 

すぐ休む、とか。

すぐやめる、とか。

我慢できないとか、とか。

 

私はいわゆるゆとり世代だ。

事実、そういうどうしようもないやつって確かにいる。

そういうやつは、大抵学生のときから、なんだこいつって仲間内でも思われている。

 

でも、こういう人って、ゆとりゆとりって言ってる世代には本当に存在しなかったのだろうか。本気で相手がゆとりだと思っていっているのだろうか。

 

でも、人口の問題で、100万人の中から上位100人下位100人、ってやるのと、50万人の中から上位100人下位100人って抽出するのでは、たぶん質も違う。

 

企業に採用される人の中に、これまで、すぐなんちゃらってやつが混ざってなかっただけで、実際はそうじゃないところに、どの世代においても一定の割合で、すぐ休むキャラはいたんじゃないだろうか。

 

ゆとりの反対ではないが、最近老害という言葉もネット上で飛び交っている。

上の世代にも、なんじゃこいつってやつは一定数いるんだろう。尊敬できる上司だっているのに、やっぱりなんじゃこいつってやついる。

 

 

もう一つ、おもしろいと思うことがある。

ゆとりゆとりって言っているやつに限って、正しいゆとりの期間を知らないのだ。

意外とゆとりって期間が長い。今中堅でがんばる世代あたりは、カリキュラム上はゆとり教育のはじまりに重なっている。

お前もゆとりだよって言葉を返したくなる。

 

だから思う。

ゆとりゆとり、と言いたいやつは、相手が本当にゆとりだからできない、と思って言っているのではなく、自分自身が上に立ちたいという無意識に近い意識の中での発言なのではないかと。

 

そう思うと、ゆとりってあれに似てるなって思った。

風評被害というか、人の噂もなんとやら、の話に。

規模が大きいから90日どころではないと思うけれど、いつか消えていくことではあるんだろうな、と思ったり。

 

火を以て火を救う

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火事が起きたときに、必ずしも水が有効とは限らない。

 

機会があって、初めて女性専用車両に乗った。

どうしても朝の混み合う時間に、キャリーバックを持って乗らねばならず、通常の車両には乗れそうもないと思い、女性専用車両がある列に並んだ。

 

列の後ろに並んだので、電車が着たときに順序よく乗っていたらいっぱいになったので、私は次の電車に乗ることにして、後ろの女性何人かに順番を譲って、先頭に並びなおした。

 

次の電車がほどなくしてきて、私は電車に乗ると、いつもと違う景色が見えた。

朝なので混んでいることには変わりはない。でも、車両から青空が見えるのだ。

男性と同じ車両に乗ると、人で埋め尽くされて窓の景色なんて一切見えないが、女性しか乗っていないと、窓がよく見えた。

平均身長の問題だった。

 

女性ばかりの車内だと、平均身長より少しだけしか高くないはずの私でも、みんなより頭一つ抜きん出ているような感覚になれた。

 

女性専用車両ができた経緯は様々あったと思う。

女性ばかり優遇されて、と考える人もたくさんいたと思う。

 

昔は、確かに女性にだって失礼な人やなんだこいつ、と思う人もいるのに、どうして女性だけ専用車両ができたのだろうか、と思っていた。

しかも通学する小学生の男子や、障害を持っている方とその補助の方も一緒に乗れるのであれば、ネーミングは他にあったのではないだろうか、とも思っていた。

特に障害を持っている人の中には、ぱっとみただけでは判別ができない方もいる。

最近、間違えて女性専用車両に飛び乗ってしまった人、の対応についても、その女性ありえん!と思った。

 

女性の品格だって怪しい。

 

でも、実際に乗ってみると、女性専用車両が稼働している時間に女性専用車両に乗るのは、働く女性たちだ。

いわゆるいいとこ、で働くがんばる女性たちもたくさんいる。

凜として、まっすぐと立っている女性が多かった。

さらに車両に乗った後も、荷物をもった私をみて、少し避けてくれたり、乗り込むときにもお互いに気遣い合う様子もみられた。

 

平日の日中は、やっぱりマナーの悪いおばちゃんなんかがいたりする。

だから、女性の方が、という論はしない。

男女ともに、男でも女でもない人にも、マナーが悪い人はいる。これは性差ではなく個人の問題だ。

 

でも、女性の場合、朝の時間に乗るのは、ある意味選ばれし人達なのかもしれない。

男女雇用が平等になったとはいえ、管理職の数は少ないし、女性はパート的に電車で乗ってどこかに勤めるような人は男性より少ない。

だからこそ、なんとなく気品というか凛とした雰囲気を感じたのかもしれない。

 

乗ってみたからこそ、思った。

この時間帯の、がんばる女性たちが、一部の不真面目な男性に朝から邪魔されるようなことは、確かに許されない。

 

でもやっぱり、女性専用車両って名前だけは違う名前の方がいいかも、とも思うんだけど。あと10年たったら人口も減ってきて、変わるのかしら。

 

世の中って難しい。

 

 

 

 

 

 

Seeing is believing.

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本や漫画を読んだり、旅行に行くことが、こんなにも教養に影響するんだな、ということを実感した一日だった。

 

 

日本には今、たわいもない会話がもたない営業マンもそれなりにいるのだ。

 

実は農業や黙々と取り組むような職の方が向いているのではないかと感じた。

 

しかし、そういった向き不向きを考えられずに、

とりあえず大学神話によって、結構多くの人が不幸になっている気がする。

 

必ずしも大学に行けば、というわけでもなく。

料理人、とか。大工、とか、そういった専門職業だって必要だし、向いている人もいるんだってことは、しっかり頭に入れておかなければいけないな、と思った。

 

 

勉強でしか人間の尺度を測れないような人間になることほど、かっこわるいことはない。

というのは自分にも言い聞かせていきたい。

 

 

For a lost thing care not

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猫が登場する小説を読むと、猫が飼いたくなる。

犬が登場する小説を読むと、犬が飼いたくなる。

 

私は、動物が好きだ。

好きだと言っても、多分人並みくらい。

好きで好きでたまらなくて、毎週動物園に通い詰めるほどではないし、ペットショップに通い詰めることもない。

今流行の猫カフェ、その他動物系カフェにも行ったことがない。

 

でも、猫も好きだし犬も好きだし。

なんならウサギとか、モルモットとか、ハムスターも好きだ。

 

でも飼うまでに一歩踏み出すのは、当事者が登場してからかな、と思う。

 

人間の勝手で捨てられてしまうような動物がいる事実があるのに、わざわざペットショップに行くことは、私にはできない。

それなら保健所から貰い受けたいとも思う

そんな保健所に行って貰い受けたいくらいに飼いたいという想いができるまで、動物を飼うことは、私の中ではお預けにしておきたい。

 

 

 

 

The best is the enemy of the good.

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headlines.yahoo.co.jp

 

最近、国会議員絡みのニュースが、朝のニュースで話題になる。

朝から、良い年をした大人の女性の罵声を聞くのはあまり気持ちよくないし、論点がずれまくった発言を聞くと、国会議員だからもうちょっといい議論、討論をしてくれ、とも思ったりする。

 

親を見れば子も分かる、ではないが、国会議員を見れば国民性が分かる。きっと、国民の平均がこうなのだ、と自分の周りも見渡す。

 

とても面白くていい友達もいるし、友達の友達の友達くらいまで遡ると、とんでもないやつがいたりするから、やっぱり国会議員にだってきっとそういう人はいるんだ。

 

防衛大臣も話題の人、だけれども、この女性も話題の人だ。

 

正直、このニュースが流れたときに、いったいどこで選出された人なんだろう、と調べて、自分の地域でないことを知ったときは、ちょっとほっとしてしまった。

 

 

そもそも彼女の発言自体は、ツイッターで無名の人が煽って呟く内容と大差はない。今回俎上にのっているのは、国会議員としてのオフィシャルのアカウントで、特定のチームを批判したこと、だ。

(もちろん、それ以外のところに批判が向かっている発言等もあるけど)

 

ここで、私はふと、弁護士の友人が話していたことを思い出した。

国会議員が国民全体の代表、っていうのは、憲法でも言われているだよ」

何かの選挙の前に、選挙について色々雑談していたときのことだ。

 

これによると、オフィシャルマークを携えて、ツイッターで国民の代表が1サッカーチームを批判するって、私たち全員の総意、とまではいかなくても、彼女を選出した人たちは全員そのサッカーチームを批判してますってことになっちゃうんじゃないか、と思う。

 

もちろん、そんなことないってみんな分かってるんだけど、オフィシャルなツイッターで公私混同発言だと、

何が彼女個人の発言で、何が国会議員としての発言か、分かりませんっていうのが問題かなと思った。

会社員やってる人達も、自分だと分かるアカウントで、上司の愚痴言ったりは、一般人はほとんどないと思う。私だって、ちょっと愚痴っちゃう内容のツイートは所謂鍵アカでやるし……

 

もっとユーモア溢れるツイートだったら、いい話題になったかもしれないのに、もったいないし、というか国会議員になるくらいなのに、そこまで頭が回らない人を選出したのか、という意味で、もしも自分の地域から出た人がそんなことやっちゃったら、ちょっと恥ずかしいなって思っちゃうな。

 

でも、私達は思わなければいけないんだ。

この人を選んだのも、私達であることを。

 

 

 

 

Walls have ears.

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サンタはどこにでもいる。

 

梅雨明けした夏真っ盛りに、サンタクロースの話になった。

事の発端はAmazonで注文していたバランスボールだった。

 

届いたバランスボールは段ボール箱に入ったままだった。

私としては、箱を開けるところからドキドキのエンターテイメントが始まるのであり、そのドキドキを奪ってしまうのは申し訳ない気持ちから箱に入れたままだった。

 

しかし、夫としては箱から開けて欲しかったらしい。

 

サンタクロースからもらった箱を開けるわくわく感、の話を持ち出したところ、俺のサンタクロースは3歳で消滅したとのこと。

 

「それで人生楽しいの?」

「いや、楽しくない」

 

即答だった。

サンタクロースがいると思って生きる方が楽しい。

わくわくする。

 

「じゃあサンタクロースってなんなの? フィンランドにいるんでしょ」

「ちがうよ! サンタはどこにでもいるんだよ!」

 

売り言葉に買い言葉をしてしまった。

でもサンタはどこにでもいるよ。

 

「どこにいるんだよ」

「サンタは何をしてくれる人?」

「……ほしいものをくれる人」

「じゃあ、Amazonがサンタだよ」

 

言っている自分でもよく分からなくなってきた。

 

「そうか、佐川もヤマトもサンタであり得るということか。深いな」

 

というわけで、我が家では、サンタはどこにでもいる。

ということになりました。

 

 

 

Take time by the forelock.

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暑い日が続いている。

 

とても暑いのに、空の上でとても冷たい空気が流れると、積乱雲がもくもく育って、その差がさらに大きいと、大きなひょうになるとのこと。

 

天気って科学。

 

昔、田舎に住んでいた頃は、空気の匂いでこのあと雨が降るかどうかわかった。

雨が降る前って、乾燥してくるとまでは言わないけれど、空気がちょっと冷たくなるから、じめじめした感じがちょっと和らぐ。

夏は特にひんやりした空気が流れてきて、ちょっと気持ちがいいくらい。

その気持ちよさにかまけて窓を開け放しておくと、突然バケツをひっくりかえしたような雨がふって、室内が濡れる。

風が吹いていたらさらに室内状況は大変なことになる。

 

それから匂いも変わる。

今思えば、気温が変わって、体感する湿度が変わって、自分が感じる匂いが変化するだけなんだろうけど。

 

地元だから分かったんじゃない?

って言われたことも合ったけれど、自転車旅で走っていた見知らぬ田舎道でも同じ技は通用したから、大体日本だったら同じ要領で、天気の変化には気がつけるんじゃないかと思う。

 

でもいつも読めないのは都会だ。

ちょっと都会に出て、コンクリート率が高くなると、もう分からない。

なんで?って都会の人に聞かれたことがあるけど、なんでかは分からない。

強いて言うならコンクリートの匂いに邪魔されている感じ。

湿度も案外下がらないし、風もビル風によっていつも同じような風が吹いている気がする。本当に直前まで天気の変化は分からない。

あ、なんか降りそうかも、と思った1分後には土砂降りだったりして、洗濯物を取り込む余裕も、その後の予定を動かす余裕もない。

 

さて、そんな夏が今年もやってきたようだ。