時間を上手に使う、というのは、計画表を作ってその通りに動くということではないと思った。
物が増えると、選択をするときに時間がかかるので、自分の器以上の物をもっちゃうと、生きるのが大変になるだけなんだな、と思った。
本や漫画を読んだり、旅行に行くことが、こんなにも教養に影響するんだな、ということを実感した一日だった。
日本には今、たわいもない会話がもたない営業マンもそれなりにいるのだ。
実は農業や黙々と取り組むような職の方が向いているのではないかと感じた。
しかし、そういった向き不向きを考えられずに、
とりあえず大学神話によって、結構多くの人が不幸になっている気がする。
必ずしも大学に行けば、というわけでもなく。
料理人、とか。大工、とか、そういった専門職業だって必要だし、向いている人もいるんだってことは、しっかり頭に入れておかなければいけないな、と思った。
勉強でしか人間の尺度を測れないような人間になることほど、かっこわるいことはない。
というのは自分にも言い聞かせていきたい。
猫が登場する小説を読むと、猫が飼いたくなる。
犬が登場する小説を読むと、犬が飼いたくなる。
私は、動物が好きだ。
好きだと言っても、多分人並みくらい。
好きで好きでたまらなくて、毎週動物園に通い詰めるほどではないし、ペットショップに通い詰めることもない。
今流行の猫カフェ、その他動物系カフェにも行ったことがない。
でも、猫も好きだし犬も好きだし。
なんならウサギとか、モルモットとか、ハムスターも好きだ。
でも飼うまでに一歩踏み出すのは、当事者が登場してからかな、と思う。
人間の勝手で捨てられてしまうような動物がいる事実があるのに、わざわざペットショップに行くことは、私にはできない。
それなら保健所から貰い受けたいとも思う
そんな保健所に行って貰い受けたいくらいに飼いたいという想いができるまで、動物を飼うことは、私の中ではお預けにしておきたい。
最近、国会議員絡みのニュースが、朝のニュースで話題になる。
朝から、良い年をした大人の女性の罵声を聞くのはあまり気持ちよくないし、論点がずれまくった発言を聞くと、国会議員だからもうちょっといい議論、討論をしてくれ、とも思ったりする。
親を見れば子も分かる、ではないが、国会議員を見れば国民性が分かる。きっと、国民の平均がこうなのだ、と自分の周りも見渡す。
とても面白くていい友達もいるし、友達の友達の友達くらいまで遡ると、とんでもないやつがいたりするから、やっぱり国会議員にだってきっとそういう人はいるんだ。
防衛大臣も話題の人、だけれども、この女性も話題の人だ。
正直、このニュースが流れたときに、いったいどこで選出された人なんだろう、と調べて、自分の地域でないことを知ったときは、ちょっとほっとしてしまった。
そもそも彼女の発言自体は、ツイッターで無名の人が煽って呟く内容と大差はない。今回俎上にのっているのは、国会議員としてのオフィシャルのアカウントで、特定のチームを批判したこと、だ。
(もちろん、それ以外のところに批判が向かっている発言等もあるけど)
ここで、私はふと、弁護士の友人が話していたことを思い出した。
「国会議員が国民全体の代表、っていうのは、憲法でも言われているだよ」
何かの選挙の前に、選挙について色々雑談していたときのことだ。
これによると、オフィシャルマークを携えて、ツイッターで国民の代表が1サッカーチームを批判するって、私たち全員の総意、とまではいかなくても、彼女を選出した人たちは全員そのサッカーチームを批判してますってことになっちゃうんじゃないか、と思う。
もちろん、そんなことないってみんな分かってるんだけど、オフィシャルなツイッターで公私混同発言だと、
何が彼女個人の発言で、何が国会議員としての発言か、分かりませんっていうのが問題かなと思った。
会社員やってる人達も、自分だと分かるアカウントで、上司の愚痴言ったりは、一般人はほとんどないと思う。私だって、ちょっと愚痴っちゃう内容のツイートは所謂鍵アカでやるし……
もっとユーモア溢れるツイートだったら、いい話題になったかもしれないのに、もったいないし、というか国会議員になるくらいなのに、そこまで頭が回らない人を選出したのか、という意味で、もしも自分の地域から出た人がそんなことやっちゃったら、ちょっと恥ずかしいなって思っちゃうな。
でも、私達は思わなければいけないんだ。
この人を選んだのも、私達であることを。
サンタはどこにでもいる。
梅雨明けした夏真っ盛りに、サンタクロースの話になった。
事の発端はAmazonで注文していたバランスボールだった。
届いたバランスボールは段ボール箱に入ったままだった。
私としては、箱を開けるところからドキドキのエンターテイメントが始まるのであり、そのドキドキを奪ってしまうのは申し訳ない気持ちから箱に入れたままだった。
しかし、夫としては箱から開けて欲しかったらしい。
サンタクロースからもらった箱を開けるわくわく感、の話を持ち出したところ、俺のサンタクロースは3歳で消滅したとのこと。
「それで人生楽しいの?」
「いや、楽しくない」
即答だった。
サンタクロースがいると思って生きる方が楽しい。
わくわくする。
「じゃあサンタクロースってなんなの? フィンランドにいるんでしょ」
「ちがうよ! サンタはどこにでもいるんだよ!」
売り言葉に買い言葉をしてしまった。
でもサンタはどこにでもいるよ。
「どこにいるんだよ」
「サンタは何をしてくれる人?」
「……ほしいものをくれる人」
「じゃあ、Amazonがサンタだよ」
言っている自分でもよく分からなくなってきた。
「そうか、佐川もヤマトもサンタであり得るということか。深いな」
というわけで、我が家では、サンタはどこにでもいる。
ということになりました。
暑い日が続いている。
とても暑いのに、空の上でとても冷たい空気が流れると、積乱雲がもくもく育って、その差がさらに大きいと、大きなひょうになるとのこと。
天気って科学。
昔、田舎に住んでいた頃は、空気の匂いでこのあと雨が降るかどうかわかった。
雨が降る前って、乾燥してくるとまでは言わないけれど、空気がちょっと冷たくなるから、じめじめした感じがちょっと和らぐ。
夏は特にひんやりした空気が流れてきて、ちょっと気持ちがいいくらい。
その気持ちよさにかまけて窓を開け放しておくと、突然バケツをひっくりかえしたような雨がふって、室内が濡れる。
風が吹いていたらさらに室内状況は大変なことになる。
それから匂いも変わる。
今思えば、気温が変わって、体感する湿度が変わって、自分が感じる匂いが変化するだけなんだろうけど。
地元だから分かったんじゃない?
って言われたことも合ったけれど、自転車旅で走っていた見知らぬ田舎道でも同じ技は通用したから、大体日本だったら同じ要領で、天気の変化には気がつけるんじゃないかと思う。
でもいつも読めないのは都会だ。
ちょっと都会に出て、コンクリート率が高くなると、もう分からない。
なんで?って都会の人に聞かれたことがあるけど、なんでかは分からない。
強いて言うならコンクリートの匂いに邪魔されている感じ。
湿度も案外下がらないし、風もビル風によっていつも同じような風が吹いている気がする。本当に直前まで天気の変化は分からない。
あ、なんか降りそうかも、と思った1分後には土砂降りだったりして、洗濯物を取り込む余裕も、その後の予定を動かす余裕もない。
さて、そんな夏が今年もやってきたようだ。
連休だからといって、出かけなければいけないわけではない。
カレンダー通りの休み、というのが自分の日常になってからしばらく、休みの日は出かけるべきという行動パターンが体に染み付いていた時期があった。
休日に家でだらだらしていることに罪悪感を感じてしまうのだ。
今ではそれはなくなったが、たまにこの罪悪感を夫が発症する。
これはなんていう病名なのだろうか。
自分たちで言うのもなんだが、結構アクティブな夫婦ではある。
アイアンマンに出場し、完走するくらいには運動をする夫。そして元々自転車が好きで、夫の自転車の簡単なメンテナンスをやり、気が向けば70kmくらいの距離を走りにいこう、と誘う妻である私。
運動だけではない。
音楽でもプレイヤーとしてもリスナーとしても積極的に活動をしている。
読書も好きだ。
ある意味趣味に溢れ、休日は忙しくなりがちだ。
だからこそ、私は本当に何も入れない休日、というのを大切にしたい、と考えるようになった。
夫も最近は、何もない休日の価値を理解し、実践している。
何もない休日は、朝ご飯を食べながらその日の予定を考えるところから始まる。
朝ご飯を食べるまで、その日のことは一切考えないのだ。
おかげでこの3連休は本当にゆっくりした。
連休ともなると、さすがに予定を入れてしまいがちだったのだが、2連休以上で予定をほぼ何も入れなかったのは、初めてかも知れない。
というくらい予定をいれない連休でした。
カフェに行って語り合ったり。
図書館に行ったり。
家でクーラーをがんがん効かせて読書をしたり。
気になっていた映画をみたり。
体はもちろん、心も休まる休日でした。